論理的文章の「論理」って一体なんなの?

「結局人は論理では説得されないよね」という下記の本を読んでから、また少し「論理」が気になっています。

[読書]人は論理では説得されない。ターリ・シャーロット「事実はなぜ人の意見を変えられないのか」

2019.11.16

もともとこの話題には引っかかりがあって、過去には、こんなエントリも書いているのでした。

評論は論理的文章だけれど「論理的」ではない?

2017.01.16

それで、10月27日に実施された全国大学国語教育学会の公開講座「国語科における『論理』教育の射程」の資料を読み返してみました。今日のエントリは、この公開講座の内容を紹介しつつ、「論理」について自分なりにまとめたものです。

新学習指導要領における「論理」

公開講座の最初では、コーディネーターの古賀洋一先生(島根県立大学)が「論理国語」における「論理」の特徴を、下記の2点にまとめてくださっていました。

  1. 文章構成と論理の区別
  2. 批判的読みの重視

第一に、これまで「論理」は「文章構成の型」と混同されがちでした。例えば論理的な文章の書き方を教えるときに、「序論・本論・結論」や「頭括型・尾括型・双括型」などの文章構成の型が重視されるように。しかし、新学習指導要領では、「文章の構成や展開の仕方について理解を深めること」とは別に、「主張とその前提や反証など情報と情報との関係について理解を深めること」「推論について理解を深め使うこと」が項目立てられています。つまり、「文章構成と論理は同一ではないよ」ということが示されたわけです。

第二に、新学習指導要領では「書き手の意図」を批判的に読むことが重視されています。例えば「読むこと」の項目において、「主張を支える根拠や結論を導く論拠を批判的に検討し、文章や資料の妥当性を吟味して内容を解釈すること」「文章の構成や論理の展開、表現の仕方について、書き手の意図との関係において多面的・多角的な視点から評価すること」を求めています。さらに指導要領解説を読むと、「書き手の意図」について、「文章の内容に表れている書き手の考えのみならず、なぜこの文章を書いたのか、なぜこのように書いたのかということも含まれる」とされているのにも注目。つまり、文章に直接は表れない書き手の執筆意図や、表現内容だけでなく表現の仕方(レトリック)も読む内容に含まれているのです。

古賀先生の整理をもう少し細分化すると、新学習指導要領の「論理国語」では、論理的文章が以下の4つで構成されるわけですね。文章構成を教えればいいとか、推論だけ教えればいいとか、そうなっていないのは大事なポイントかなと思いました。

  1. 文章構成
  2. 推論
  3. 表現の仕方
  4. 文章に直接表れない意図

論理を構成する4つの観点

もちろん、上記とはやや異なる分類もあります。例えば、守田庸一先生(三重大学)の発表「論理を創る」では、間瀬茂夫(2009)「説明的文章における論理の再検討」や間瀬茂夫(2017)『説明的文章の読みの学力形成論』などにおける、間瀬先生の「論理」を分類する視点が提示されていました。

  1. 論理学的観点…推論や論証など、型式論理学や非型式論理学における「論理」。前提と結論のつながりなど。
  2. 修辞学的観点…文章の中にある、読者を説得する要素。(間瀬先生は、文章構成の方もこの修辞学的観点に入れている)
  3. 言語学的観点…文章の結束性。指示表現や接続表現などの言語形式として、明示的に示された言語的つながり。
  4. 認識論的観点…文章の意味内容からうかがえる、筆者の認識の方法。

この間瀬先生の分類を引用しつつ、守田先生は、修辞が論理に厚みを与えて読者を同伴することを述べていました。

このように分類の仕方は一つではありませんが、論理という言葉でイメージされがちな推論や文章構成、段落わけ、接続詞の把握などを超えて、説得のための修辞や筆者の認識までを「論理」の射程に入れている点は、どちらも共通しています。

「水の東西」における「論理」としての修辞

この日の公開講座は、こうした「論理」概念の整理の上に、論理的文章の具体的な教材をサンプルにして展開された議論や実践報告がなされて、とても興味深いものでした。守田先生の講座では、定番教材である山崎正和「水の東西」の説得性が、以下のような特徴で作られることが具体的に確認されました。次の指摘、高校の国語の先生ならどなたもピンとくるのではないでしょうか。

  1. 比較の対象とそれに対する筆者の認識を読者が追従できる文章の構成
  2. 多用される断定形の文末表現
  3. 読者の反駁を予想する表現
  4. 個人的な印象であることを隠蔽し、読者と自らを同一化する表現
  5. 他のテクストの引用

個人的には、水の東西の文章のリズムが、なんとなく鹿威しをイメージさせるところがあって、その響きの効果も入れたいなーと思いますが、いずれにせよ、多くの国語科教員が感じている通り、例えばこの文章と鈴木孝夫「ものとことば」では、同じ「評論」と言ってもまるで違う書かれ方をしているわけです。

また、これまた定番の清岡卓行「失われた両腕」(『手の変幻』1966年に所収)を、その2年前の1964年に日本でミロのヴィーナスが特別公開された時の様々なエッセイと比較するのも面白かったです。このように社会的文脈に置くと、少なくとも「腕がないからこそ美しい」は別に清岡の独創ではなかったのだなということがわかります。

「論証を読む」から「社会的文脈を読む」へ

舟橋秀晃先生(大和大学)の発表「中学期の説明的文章学習指導」では、まず、教科書における論理的文章の教材配列の話が勉強になりました(ここでも間瀬(2017)が引用されています)。

それによると、おおよそ、小学校の論理的文章は、どれも生活世界を対象として、論証構造が次第に複雑になっていく(例:対応の把握→時間順の把握→因果関係の把握)のに対して、中学校に入ると、次第に学問的世界から生活世界を見渡して説明したり論証したりするものが入ってくるのだそう。また、中1では自然科学的話題に関して確かな事実に基づく価値を説明・論証する文が多いのが、中3に向けて、多様な立場をとりうる社会的話題に関して、筆者がレトリックを用いて自分の主張をする文章へと移っていくとのことです。

これ、自分が授業で扱ってきた教材を読んでも、本当にそうだなーと思いました。小学校の文章は、子ども向けにリライトされたものも多くて、文章の外にある社会的文脈の知識がいりません。でも、中学・高校になるにつれて、生活世界から離れた社会的な話題や学問的な話題が増え、しかも出版された文章がそのまま用いられるようになる。その文章はある程度アカデミズムの世界で通用する語彙や背景知識を前提としているから、生徒にとっては、文章を読むことがどんどん社会的文脈を知ることに近づいていく。かくして、「評論を読むなら背景知識を詰めこむと良い」という事態が、高校では頻発するわけですね…。

ちなみに舟橋先生は、「社会的文脈を教え込むこと」ではなく、「複数の文章の比較によって社会的文脈に気づかせること」を提案されていました。

「自分ごと」として具体例を読む実践

続く岡山県立津山東高等学校の難波健悟先生の実践報告「「建設的な批評者」の育成 「自分ごと」として具体例を読む」にも、共感できる点がたくさんありました。子どもたちが書き手の立場に立って、書き手になったつもりで具体例を読んでいく実践報告でした。「具体例が難しい」という子には、「なぜ筆者はそのような具体例を挙げたのだろう」と問い、「筆者の説明に納得できない」という子には、「なぜ筆者はそのような書き方をしたのか」と問う。「説明が長く詳しすぎる」と感じる子には、「なぜ筆者はそのように長々と書いたのか」を問う。こういう授業者の問いって、とても大事だと思います。

筆者になって、筆者の意図を一度くぐらない限り、筆者の文章を「評価」する活動ってあまり意味がないんじゃないか。僕もそう感じているし、書き手の立場に立つことが、読むことにも影響することを期待するからこそ、ライティング・ワークショップもやっているので、個人的にはとても勇気づけられる発表でした。

「見えない論理」を読む実践

最後は三重県立飯野高校・澤口哲弥先生の「『見えない論理』を読む国語科クリティカル・リーディング」の実践報告でした。お名前は存じあげていた方なのですが、こちらの実践報告も興味深かった。Wallaceによるクリティカル・シンキングの次の枠組みを使って、文章に直接書かれていない「見えない論理」を読む実践です。

  1. コンテクスト/イデオロギー…テクストが書かれた背景や問題意識を考える。
  2. レトリック…テクストのレトリックを分析し目的・効果を考える。
  3. 定義・構成…複数の視点からテクストの定義や構成を考える(例:他にどのような書き方があるか)
  4. 想定読者…テクストの出所と想定(想定外)読者を考える
  5. トピック…テクストのトピックに見られる問題の構造を考える

澤口先生は、難波博孝(2014)「『日常の論理』の教育のための準備 論証/説明/感化の論理の区別とその内実」を引用しながら、評論は最初から論証を目的とせず、感化の論理で書かれているので、テクストに直接明示されない「見えない論理」をこそ読まないといけないと主張されていました。

この発表で興味深かったのは、澤口先生のクラスに外国に文化的ルーツを持つ生徒が多くいること。文化的コンテクストが共有されていない集団で「見えない論理」を読む授業をやるのって、素人考えだと相当困難な気がするのだけど、むしろそれを強みに変える「何か」があるのかな…と思える発表でした。澤口先生の理論と実践は、博士論文を単行本化したものがもうすぐ出版されるとのことで、それを楽しみに待ちたいと思います。

高校の「論理国語」につなげるために、小・中ではどうしよう?

やや散漫に書いてしまいましたが、この日の4つの発表で報告された主張や実践は、いずれも論理的文章の「論理」を「論証」や「構成」という狭い観点でとらえないで、修辞の効果に注目したり、社会的文脈の中でとらえたり、筆者の「見えない論理」を探ろうとしたりしたものです。そういう意味で、高校新学習指導要領「論理国語」が目指す論理的文章を読む授業の先進的な例として、とても参考になりました。この公開講座は次回の島根大会でも続く予定なので、次回も楽しみにしています。

僕のこれからのフィールドは小学校と中学校なので、どういう風にして高校の論理国語につなげていけばいいのかな、ということを考えてしまいます。論理的推論や「見えない論理」を読み解くには、やはり、ある程度の抽象的思考ができる必要がある。単純に下の学年に下ろせば良い、ということではないでしょうね。とすると、やはりまずは、文章構成などの「目に見える」論理を追いつつも、「筆者の立場で文章を読む」姿勢を重視すればいいのかな。これは、実際に教えながら考えていきたいと思います。

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2 件のコメント

  • 難波先生のご所属は「津山東高校」です。彼は岡山でも期待の若手実践者なので、これからも楽しみです。