ライティング・ワークショップには欠かせないのが、「教師も書く」こと。ナンシー・アトウェル「イン・ザ・ミドル」の教えです。このこと、僕は作文関連の講師で研修会にお招きされることがあると、必ず言っている。「教師も生徒と同じ条件で書きましょう」と。本当に、これをやるかやらないかで見える世界が全然違ってくるのです。
大きくていい! モニタよりも壁に投影
僕はこれまで、ミニ・レッスンで図書館の大型モニタ+PCを使って自分の原稿を見せてきた。でも9月に他の先生が図書館の壁にプロジェクターを投影していたのを見て、「おお、これはいい!」と感心。早速書画カメラとプロジェクターを取り出して真似をすることにした。
いやあ、画面が大きいっていいですね!これなら文字やそこへの書き込みもはっきり見える。全然大きくない大型モニタなんていらなかったんや…!!
デモンストレーションでできること
これを使って僕がやっているのは、自分の手書きのメモを見せたり、下書きの原稿を見せて、「自分なりにどこを頑張ったのか」「どこに不満を感じているのか」を説明すること。そして、その不満な点に生徒からの助言を求めることもある。僕の文章の課題は、(ある生徒が「現代文教師にありがち」と評したように)「どこかで見たような表現の詰め合わせ」的になってしまうこと。読書量だけはあるので、あまり考えずにその記憶に頼って書いてしまうのだろう。表現を改善するのに、「ちょっと熟語を使いすぎているんじゃないか」「類語辞典をひいてみたら」などと、生徒が言ってくれるので、次までにそれを試してみる。
デモンストレーションは、教師の書いた作品を見せるのが目的ではない。教師が書くプロセスを見せるものだ。だから、決して上手な文章でなくていい。いや、うまい文章を、などと力んだら一歩を踏み出せないし、下手な方がいいと割り切った方がいいのかもしれない。デモンストレーションを使って、僕たち教師は生徒にこんなことを伝えられる。
- 教師にとっても、書くことはやはり大変であること
- 教師も自分が書いた文章を少しでも良くしようと努力していること
- 教師も自分の文章を共有するのは不安であること
- 教師が自分の文章の長所や短所を分析する時の視点や言葉
- 教師も人からの助言を受けながら文章を改善していくこと
- 教師は人からの助言のうちどれかを選ばないといけないこと。全ての助言を受け入れる必要はないこと
教師がプロセスを見せ、さらにそれを言語化することで、書くプロセスへの理解を深めることができるのだ。また、直接目にあらわれる効果ではないけれど、教師がこうやって一人の書き手として教室にいることで、「ライターズ・コミュニティ」の感覚を醸成することも期待している。僕が生徒に僕への助言を促すことは、ピアで助言し合う雰囲気を作ることにもつながるはずだ。
ぜひ作文の授業にどうぞ
こんな風に、デモンストレーションを通じて、作文の教師はいろいろなことを生徒に伝えることができる。なお、これをやると時間がかかるので、アトウェルのミニレッスンがだんだん長くなっていくのもわかる。50分授業の僕は、アトウェルほどに充実したデモンストレーションは無理だけど、手応えは感じている。ぜひ今後も作文の授業に取り入れていこう。
あすこまさんは読書も書くことも十分にされていて、国語の先生にふさわしいなあといつも思います。
一方、現実を振り返れば、そうでなさそうな人も多かったような。。それぞれの資質・能力・生活の状況などにもよってさまざま。読みたくても書きたくても、実際には難しいのだろうなとは思います。
ひとつ、すぐできそうであまりやってなさそうなこととして、自分(たち)で作った定期試験の問題を(テスト実施前に)制限時間内で作成者側の人も解いてみるということがあるように思います。採点する段になって初めて問題を解いたり、(他の人が作ったときには)初めて見たりすることさえもあるのではないでしょうか?
試す側から試される側にまわると初めて見えてくるものもありそうだなと感じます。
定期考査を自分たちで解いてみるというの、大事と思いつつつい怠りがちですね….それで「時間が足りません!」となることがしばしば…。作文課題にしろ、定期考査にしろ、自分が試される側に回る経験をサボっていると、「これくらいできるはず」と過大に見積もってしまうようです。