4つの時期に独断と偏見で分けて見てきた学習指導要領の「書くこと」領域。
ちなみに学習指導要領全体については以下のような有益なブログ記事があったのでご参考まで。
▷ どの学習指導要領で育ったか (データえっせい)
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さて、戦後の学習指導要領に支配的な「語り方」を、Roz Ivanič の Discourses of Writing and Learning to Writeに従ってざっくり分類すると、こんなことが言えると思う。
①A Skils Discourse(言語技術派)
②A Creativity Discourse(創作派)
③A Process Discourse(プロセス派)
④A Genre Discourse(ジャンル派)
⑤A Social Practice Discourse(社会的実践派)
⑥A Sociopolitical Discourse (社会政治的文脈派)
第1期(1947〜1951):②と⑤を重視(1947年では③要素も)
第2期(1956〜1970):①と⑤を重視
第3期(1977〜1999):⑤を重視
第4期(2008〜) :②と③と⑤を重視
(④がうまく入れられなかったのが反省点。もちろんジャンルについて触れていないわけではないのだけど、大きなくくりで⑤に含まれそうなものが多くて⑤とした。このへんは、もとの論文の僕の理解不足もあると思うので、ぜひチェックしてみて下さい)
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上の変化を見てわかるのは、「戦後の学習指導要領は、基本的に⑤実用文を常に重視してきた」ということである。もちろん第1期や第4期では②創作も重視されているが、意図や目的や相手に応じて機能する実用的な書き方をこそ、戦後の作文教育では最も重視してきたことは間違いない。「事実と意見の区別」も「説明文や論説文の書き方」も、ずっと戦後の指導要領で目指されてきたことなのだ。
にもかかわらず、「学校では読書や行事の感想文ばかり」「もっと実用的な文章の書き方を教えるべきだ」と主張する人が、どうやらネットを見ている限りは多そうなのである。これはいったいどういうことだろう。単に文句を言っている人が目立っているだけなのか、それとも学習指導要領が機能していないということだろうか。
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もし機能していないのだとしても、少なくとも教科書や教師用指導書を作る段階では、学習指導要領は相当に熟読され、その内容が反映されている(日本の場合、教科書は文科省の検定を通る必要があるからだ。教師用指導書だって、教科書会社の人や研究者や熱心な現場の教師が、時間をかけて作っている)。
おそらく問題はその先、現場の教師が授業をする段階にあるだろう。作文教育には人手や時間がかかる。にもかかわらず、日本の教師の教える生徒数は多く、かつその他の業務が多忙で時間がない。この状態だと、
・書くことは個人差が大きいのに、授業中に生徒全員に関わることがそもそも不可能。
・添削する時間も、教師が自分で書くスキルを学ぶ時間(=書く時間)も確保できない。
となるので、いくら指導要領が変わっても、教師の負担を減らさない限りは、学校で効果的な文章の書き方が教えられることを望むのは難しいのではないかと思う。