「書くこと」についての語りをざっくり分類すると…

「書くこと」や作文教育と一口に言っても、色々な信念・立場・語り方がある。たとえば「学校では読書感想文や行事の感想文ばかり書かせて、実用的な文章の書き方を教えない!」と憤慨する人は、その時「実用的な文章の書き方を教えることこそが作文教育の本質だ」という信念を語っていることになる。

その作文教育や書くことををめぐる語り方(ディスコース)を分類しているのが、Roz Ivanič の Discourses of Writing and Learning to Writeという論文。日本のものではなくても参考にはなる。詳しくは下記リンク先の論文や、そこにある表をご覧になっていただくのが一番。

 ▷ Discourses of Writing and Learning to Write (PDF)

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さて、Ivaničの分類によると、書くことをめぐる信念にはおおよそ6つの類型がある。もちろん、誰だってどれか一つだけの信念に基づいて動くことなどないので現実の語りや実践はこのグラデーションのどこかに存在しているのだけど、おおまかな目安にはなる。簡単にメモしてみた。(ちょっと翻訳がしっくりこないけど…)

①A Skils Discourse(言語技術派)
②A Creativity Discourse(創作派)
③A Process Discourse(プロセス派)
④A Genre Discourse(ジャンル派)
⑤A Social Practice Discourse(社会的実践派)
⑥A Sociopolitical Discourse (社会政治的文脈派)

具体的に見ていこう。

①言語技術派
「作文教育とは文法的に正しい文章を書けるようにするものだ」という信念。1950年代頃までは支配的な信念だった。この信念の下では、文法、正しさ、技術、適切さ、句読点、スペル…などの表現がよく用いられる。

②創作派
「生徒を一人前の書き手として扱い、その創造性を発揮させることが作文教育だ」という信念。良い文章を読んだり、たくさん書いたりすれば上達するという考えがある。ライティング・ワークショップは基本的にこれ。この信念の下では、創作文・書き手の声・ストーリー・興味深い内容といった表現がよく用いられる。

③プロセス派
1970年代後半から書くことのプロセスに関心が高まるようになり、今では広まっている信念。②と同一視されることも多い。この信念の下では、計画・下書き・推敲・修正などといった表現がよく用いられる。

④ジャンル派
文章を特定の目的に応じたジャンルにわけ、そのジャンルの書き方を学ぶのが作文教育だという信念。一方で、社会で優位にあるジャンルが再生産されていくことへの批判もある。この信念の下では、言語学的な用語や、テクストの種類への言及が多い。

⑤社会的実践派
書くという営みは社会的文脈におけるコミュニケーションであり、その方法を教えるのが作文教育だという信念。現実的な文脈の中で、あるいはその擬似的な文脈の中で文章を書かせる実践がこれにあたる。この信念の下では、実践・目的・出来事・文脈などといった表現がよく用いられる。

⑥社会政治的文脈派
これは⑤よりももう少し広く視野をとり、書き手が存在する(中立的ではない)文脈がどのような歴史的政治的要因で形成されてきたのかを探究しようとする信念。教室での実践ではこのような立場を取ることはなく、研究者がそれをメタにとらえた視点だといえる。この信念の下では、政治性・社会・理念・表象・アイデンティティといった表現がよく用いられる。

さて、たいていの人は、このうちのどれか一つあるいは複数を自分の信念として抱いているのではないだろうか。僕の場合は、ライティング・ワークショップに親近感があるので、やはり②や③を柱にして授業をしているなと思う。

こういう見取り図、自分がどんな立場なのかを自覚し、他の指導法の可能性にも目を配るという点で、とても有益だ。どれが一番正しいのかとか、あるいは全てをカバーすれば一番いい作文教育になるんじゃないかとか、そんな近視眼的な見方はいったん脇において、自分のポジションを探るだけでも充分使いでがあるのではないだろうか。

(15/8/12 追記)
この分類をもとに学習指導要領を読んでみたので、下記リンク先を参照。

学習指導要領「書くこと」を読む:理想に燃える第1期(1947-1951)

2015.08.12

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