作文教育の目的が「自立した書き手を育てる」ことにあるとすれば、生徒が自立した学習者として自己を調整(コントロール)できるようになることは、作文教育においても重要な課題になる。そして、このような自己調整を可能にする方策として有益とされることが多いのが、生徒にメタ認知について教えること。作文教育におけるメタ認知を促進する活動について、次の本の第6章The role of metacognition in writingから備忘録的にメモしておきたい。
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まず、書くことはそれ自体が認知的にとても負荷の大きなプロセスだ。書く内容を決め、構成を考え、読者を想定し、文 ごと、段落ごとに意味を通し、それをさらに読んで書き直して…そこでは無数の選択や判断がなされている。だからこそ、このような自分の選択や判断について自覚的になることはとても重要だ、という指摘は、少なくとも英語圏の作文教育研究では1980年代以降一貫してなされている(p102)。
また、書くことの認知的負担が大きいからといって、それは「メタ認知できない」ことを意味する訳ではない。生徒はそれぞれの年齢に応じてある程度書くことについてメタ認知できることも研究で示されている。
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では、そのようなメタ認知をどのように促進するか。この本で紹介されているのは、次のような活動だ。いずれも調査・研究を経て効果が認められたもの。
(1)書き手としての個人史を振り返らせる
これはライティング・ワークショップなどのプロセス・アプローチではオーソドックスな手法だと思う。僕もやる。教師自身が書いていると、こういう活動を促すことができるメリットがある。
(2)作文の内容ではなく、プロセスについて語る機会を多く設ける。
これもオーソドックスかな。プロセス全体を意識することは確かにとても大事。この本では、小学校低学年向けのThinking Capというアクティビティが紹介されている。
(3)作文の内容ではなく、そこでの言語の選択(表現)について語る機会を多く設ける。
これは僕がまだ手薄なところ。生徒同士の相互推敲活動だと、つい内容へのコメントが多くなる。用語の選択に敏感になることは、書き手として確かに大事な要素だと思う。ただし、単に語ればいいというわけではなく、教師の導きが必要になる。例えば、一般に推敲する際に、生徒は形容詞などをどんどん書き加えようとするが、実際に効果的なのは、形容詞を削って名詞の印象的な用い方をすることである。
(4)collaborative writingを行う。
これは、二人で一つの作品を一緒に書く活動を指すようだ。なるほど、たしかにこれなら二人で作文のプロセスや表現について議論せざるを得ない。そういう状況を作り出すための仕組みなのかな。ただ、実際に運用するのはなかなか大変そうな気も…。
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とにかく第一に大事なのは、作文の内容ではなく、プロセスや表現について考えて話す機会をたくさん設けること。そうすることによって自分自身をモニターすることを習慣づけていく感じかな。自分も次回はもっと意識してみよう。