阿部隆幸・ちょんせいこ(編)『学級経営がうまくいくファシリテーション』を読んだ。タイトルに名前のある2名に加えて、実践者6名(前田考司さん、甫仮直樹さん、池谷裕次さん、久保田比路美さん、秋吉健司さん、藤井雅美さん)の手による、教室におけるファシリテーション技術の実践について書かれた本である。時に名人芸のようにも見える「学級経営」の技術を、ファシリテーションの6つの視点で見直してみようという本。個人的には、特にアセスメント(見取り)について考える機会を多くもらった本でもあった。
目次
この本の組み立て
この本の組みたては明快だ。まず第1章「学級経営とファシリテーション」で、編著者2名が学級経営に必要なファシリテーションの6つの技術の全体像を示し、第2章「実践! ファシリテーション6つの技術を活かした学級経営」では、さまざまな具体的場面を事例にしてファシリテーション技術をどのように適用するかを、6名の実践者たちが示し、第3章の座談会で、実践者6名がそれぞれの立場からファシリテーションについて語り合う、という構成である。
そして、僕にとって、第1章の「学級経営とファシリテーション」があるのがありがたかった。これは、単純に僕が理屈先行型で、まずは全体像から入る方が、第2章の個別の事例の理解が進むタイプだからだろう。
ジョハリの窓とファシリテーション
その第1章で面白かったのは、ジョハリの窓を用いて、学びを最大化するとは、「フィードバック(他者からの意見・発言)と自己開示(自身の意見・発言)をできるだけ編み合わせていくということ」(p18)だと整理し、周囲の環境に働きかけることでそれを実現するのがファシリテーションだと位置づけていること。ジョハリの窓自体は聞いたことあったけど、あまりその意義が分かってなかったので、ジョハリの窓とファシリテーションのこういう関連づけは面白かった。
6つのファシリテーション技術の関係は….?
また、本書が提案する6つのファシリテーションは以下の通り。
- インストラクション(指示・説明)
- クエスチョン(問い・問いだて)
- アセスメント(評価・分析・翻訳)
- グラフィック&ソニフィケーション(可視化&可聴化)
- フォーメーション(隊形)
- プログラムデザイン(設計)
個人的に面白かったのは、この6つの技術の関係がどうなっているかをちょんせいこさんが阿部さんとの対談の中で語っている部分だ。例えばこんな感じ。
アセスメントは6つの技術の3つ目に位置づけてあり、真ん中になるファシリテーションを進める際のコアになる技術です。(p53)
これは第3章の座談会でも実践者の方が語り合っている通りだし、僕もこのアセスメント(いわゆる「見取り」)がまだまだだなと感じてもいる。しかしそういう個人的実感を超えて面白いと感じるのは次のような表現だ。
インストラクションとクエスチョンができない中では、アセスメントが効果的に働きません。また、アセスメントできてもインストラクションや問いの立て方がまずいとアセスメントを効果的に活かせません。だから、この順番で練習をするのが機能的だと考えています。(p54)
通常、アセスメントというと「どう子どもを見るか」ということばかりが取り沙汰されるが、この文は「アセスメントがうまくいかないように見えるのは、もしかしてインストラクションとクエスチョンが機能してないせいかもしれない」可能性を提示している。慧眼である。
直接の引用はここのみにとどめるが、この本では全体として、6つのスキルの次のような関係性が示されている。この関係性を理解し、実感することが、ファシリテーションを学びたい人には肝になってくるはずだ。僕も意識してみよう。
まずはインストラクションとクエスチョンの技術を磨き、それに基づいてアセスメントをする。その3つを土台として、適切なグラフィック&ソニフィケーションや、フォーメーションを選択する。それら全てを活かして、プログラムデザインをする。
実践者6名による、第2章&第3章
第2章からは、実践者6名(前田考司さん、甫仮直樹さん、池谷裕次さん、久保田比路美さん、秋吉健司さん、藤井雅美さん)による執筆が中心になる。ファシリテーション技術を具体的な場面に適用した第2章は、単純に「よくある失敗例」が「あるある」すぎるのを楽しんでしまった。わかるわかる、こういう時は自分でも失敗しているのがわかるから、焦って余計にひどいことになっちゃうんだよね….。
秋吉さんの原稿に線が多い…なぜ?
そして興味深かったのは、僕は読んでいて気になる箇所に付箋を貼ったり、線を引いたりするのだが、結果的に、秋吉健司さんの原稿に線を引く機会が多かったこと。直接お目にかかったことのある方なのだけど、「名前を見たら結果的に秋吉さんだった」ので、親和性によるバイアスではなさそうだ。なぜそうなのか、自分では実はよくわかっていないのだが、彼の原稿に、自分の課題意識や何かに引っかかるものがあるのだと思う。編著者のお二人が秋吉さんの実践について「プロセスを作る」という観点から解説されているが、そこなのかな、どうだろう…。
アセスメントについて語る言葉
第3章では、実践者たちが(僕の苦手な)アセスメントについて語っている箇所によく線をひいた。ここでは一人一箇所にとどめるが、本当はもっと引いてある。
- 「アセスメントをしよう」というよりは、つねに自分の中でアセスメントし続けている感覚(久保田さん)
- 第一に考えるのは「その場が安心安全な場所」か(藤井さん)
- 外側に表れてくる行動から子どもの内面を見たい(甫仮さん)
- 最初に見るのは表情・距離・声(秋吉さん)
- 逆にそうじゃない(学級の雰囲気が悪い)時こそ、まず強みに目を向けることが大事(前田さん)
- 「人間性を認める」ことが「強みを認める」こと(池谷さん)
こういう座談会は、参加者がそれぞれの発言に触発されて自分なりの捉え直しがあったり、重みづけの違いが明らかになったりするのが面白い。
最後の「ふりかえり」に励まされる
そして、一番印象的だったのは、実は一番最後の池谷さんの率直な吐露である。これには、同じく「マイナスを埋めるアプローチ」になりがちな自分としては、大いに励まされた。
おそらく、本書を手にする教員には、ファシリテーションには関心があるけど、でも実際にはなかなかうまくいってない、という層が一定数いると思う。僕自身も、「ガラッと見方が変わる」というよりは、2つの概念や考え方の間を行ったり来たりしながら少しずつ変わったり変わらなかったりするタイプなので、池谷さんの「一方でこういう考え方からまだ抜け出せない」気持ちはなんかよくわかる。
この本の場合、最後の座談会がそれぞれの実践者の「生の声」や実感を届けていて共感しやすくなっているのだが、中でも、この池谷さんのふりかえりが締めくくりにあることで、読み手としての自分の実感が池谷さんと重なって、ぐっと距離が近くなった。その意味でもありがたい締めくくりだったと思う。