村上公也・赤木和重「キミヤーズの教材・教具」はなんとも不思議な本だ。まず、タイトルが不思議。キミヤーズという、いかにもアメリカの学習心理学の研究者っぽいこの名前はだれ? ページをめくると出てくる、「もう一人の自分」とか「ピンポン先生」とか「見えない積み木」とか「妖怪なめはち」とか、不思議な教具は何?。そして、全体としてはふざけている感じの教具の羅列の間から、そこはかとなく流れてくる「本気」は何?
これは、村上公也さんの特別支援教育の実践を紹介しつつ、そこに底流する徹底した「子ども中心主義」を赤木和重さんが分析した本である。
目次
動画で見られる村上さんの様々な教具
「キミヤーズの教材・教具」の本の中心となっているのは、村上公也さん(キミヤーズの名前の由来)が考案し作成した様々な教材・教具である。自分の写真を使った「もう一人の自分」、黄色や黒い色の袋に入れる「見えない積み木」など、多彩な教具から、村上さんが授業のたびに扮装するコスプレまでが紹介され、それがどのように機能しているのか解説される。
読者としてとても嬉しいのは、付属のDVDで授業中の様子を実際に見られること。動画があると理解度が違う。たとえば、「スリッパ」という促音(小さいツ)を理解してもらうために、「つ」と書いた箱をジャンプする。「ケーキ」という長音(伸びる音)を理解してもらうために、びょーんと伸びるゴムを用意する。また、わざと見えにくくする仕掛けを使って、生徒が見たくなるように注意を引きつける。見てても「ほほー」と感心してしまうし、単にルールとして促音や長音を教えるのではなく、徹底的に具体化して子どもに理解してもらう、という姿勢が一貫している。
「子ども中心主義」を徹底した迫力!
正直なところ、これらの教具の中には、僕から見て「これはなんのためにやってるんだろう」「教科の本質と関係ないな」と思えたものもあった。特に、村上さんのコスプレ(偽中国人、飛び職人、イチゴママなど多岐にわたる)や天井裏の妖怪なめはちは、今でも子供騙しではないかという気もする。
ただ、僕にはそう見えても、村上さんの論理ではこれは必要なのだろう。そう思わせるだけの一貫性が彼の実践にはある。とにかく「子ども中心である」「教具を通じて子どもに理解してもらう」姿勢が徹底しており、そのためにはなんでもやる迫力があるのだ。これはすごい。一見の価値がある。
でも、自分がやりたいかと言われると…
村上さんの実践は確かにすごい。でも一方で、この村上さんの実践はあまりに「教具」の方に振り切れていて、自分がこれをやりたいかと言われるとイエスとは言えない、そんな不思議な気持ちにもなった。これはどうしてなんだろうか。以下、それについて思ったことを書いてみる。
一つには、僕の中に染みついた教育観がありそうだ。僕はもともと先輩教員に「研究をしろ。論文をちゃんと読め。教材研究が全て」「教え方よりも中身だ」と教えられてきた教員である(具体的にそう言われたわけではないが、僕の勤務校の先輩教員はみんなそういう教師だったし、彼らは近世文学や中世文学など専門の学会に論文を書きつつ授業をしていた。授業プリントからうかがえる専門性の高さは、こちらが申し訳ないくらいだった)
僕自身は不肖の弟子もいいところで、ライティング/リーディング・ワークショップなどに興味を持ってしまったので、そういう古き良き?「親学問重視」の姿勢から遠いところに来てしまった(「作文教育」「読書教育」に親学問はないし、僕の関心は明らかに実践研究だ)。
しかし、そんな僕の中にも、今でもかつての先輩方の教育観はいくらか残っていて、こうした「教具」の工夫が、どうしても「本質」ではなく「小手先の技術」に見えてしまう時がある。もちろん、教師の仕事は生徒を伸ばすことなのだから、ここまで教具を工夫して徹底的に生徒の側に立つのはとても本質的な行為だと頭ではわかってはいるが、でも「この授業が、小学校までならいいけど、中学、高校と教科の専門性が高まった時にどうなるのか、具体的な像をイメージできない」のだ。これが、自分がやりたいとあまり思えない理由の一つ。
僕が自分ではこういう教具を作らないだろうと思えるもう一つの理由は、もっと実際的なこと。こういう、生徒によく伝えるための教具づくりに忙殺されると、時間が有限である以上、自分が本を読む時間がなくなるということだ。僕はそれは嫌だ。本も読みたいし、論文も読みたい。そして、それを生徒に還元できる教員生活を送りたい。だから、仮にそれが生徒にとって有効だとしても、教具づくりに邁進する気にはなれない。それよりも本を読む。そうでないと、僕が楽しく教員生活を送れないだろうから。
こう書いていて、やや苦い自己認識とともに思うのだけど、僕はつくづく「子どもを育てたい」よりも「自分が勉強したい(それが可能な範囲で仕事として教育もしたい)」人なのだと思う。このあたりの僕のスタンス、教師としての僕の限界かもしれないな。とはいえ、色々な教員がいていいさと思ってるけど…。
価値観を揺さぶられる本
後半はなんだか消極的なことを書いてしまったが、村上さんの数々の教具は、「子ども中心主義」を徹底して具現化した教室の様子を見せてくれて、「それで、あなたはどうなの?」とこちらに問いかけてくるような、不思議な迫力がある。それは間違いない。
今のところ、僕はまだ村上さんと同じ立場には立てないようだ。同じ赤木さんが関わった本としては、前に絶賛した「「気になる子」と言わない保育」と基本的には同じスタンスの本であるにもかかわらず、キミヤーズ本に関しては絶賛をためらってしまうのは、ちょっと不思議な気持ち。
ただ、自分がそういう人間なんだと認識させられることも含めて、揺さぶられる本であることは間違いない。中学や高校の教員で、僕と似たような教育観を持つ人がこの本を読んだらどう思うのだろうか。また、すでに村上さんの姿勢に心からの共感を覚える人には、文句ない実践の手引きをなるはず。そういう方にも、もちろんお薦めの一冊である。