ようやく読みました、「ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ」。一人ひとりをいかす教室(Differentiated instructionの訳)についての哲学・原則・方法・コツが載っている本だ。学習の個別化に関心のある教師は必読の本かもしれない。
目次
「わかっちゃいるけど、現実的には無理」
「わかっちゃいるけど、現実的には無理」。「一人ひとりに応じた授業」は、僕たち教員にとってそういうものになっていると思う。生徒の知識・生育環境・個人的な興味関心・適した学び方は、みんな異なっている。それだけ多様な生徒を、同一の内容・同一の進度・同一の評価方法(とりわけテスト)で教えるのは、やはりどこか、根本的なところでおかしい。それは、実際には一斉授業をやっている僕たちの多くも、おそらく薄々わかっていることだ。
でも、僕たちが「知っていること」と「やっていること」の間には大きなギャップがある。「わかっちゃいけるけどね」と言いつつ一斉授業を続ける僕たちは、それ以外の授業のモデルを知らないし、何より授業をがらりと変える勇気も、個別に対応している時間もない。それで、「クラスの真ん中へん」のレベルの生徒をターゲットに授業を続ける。いろんな理由でそれしかないよね、と、「現実の問題」を言い訳にして。
習熟度別授業との違いは? 背景にある考え方
この本に書かれているのは、そんな一人ひとりをいかす授業をつくるための哲学・原則・実践である。哲学や原則にかなりのページが割かれているのは、この実践のバックボーンには多様性の価値を信じたり、すべての生徒の可能性を信じたりする哲学があって、それなしに方法だけ取り入れてもあまり意味がないからだろう。
特に僕は、「教室は、学校の門をくぐったすべての生徒の擁護者であるべきである」という項目で、この本での「一人ひとりをいかす授業」と「能力別グループ分け」の違いを痛感した。とても面白いので引用しよう。
教師が把握したある時点での生徒たちの能力をもとに彼らを授業のためにグループ分けすることは、私たちが重視しているのは協同性よりも同質性であり、本当に賢いのは何人かの生徒だけだと思っているというメッセージを発信することを意味します。そのことに注意を喚起できれば本書の目的としては十分です。努力が必要だとラベルを貼られた生徒は、学校は自分たちを引き上げてくれるよりも、引きずり下ろすような場所だと結論づけることになるでしょう。「賢い」と思われている生徒にとっては、グループ分けされたクラスでは世界の見方が狭くなってしまい、自分には努力する必要などないという結論に達するリスクが高くなります。「中間」のレベルにグループ分けされた生徒にとっては、「あなたはまさに平均です。悲劇は学校にいる間は起こらないかもしれませんが、あなたの人生で本当に祝福される瞬間が訪れる見込みもありません」というメッセージになります。
まさに「ぐうの音も出ない」書きぶり。以前に佐藤学の習熟度別授業批判も読んだけれど、個人的にはあの一冊よりもこのパラグラフのほうが強力に思える。
一人ひとりをいかす原則
一人ひとりをいかす教室の8つの原則については、正直なところ耳が痛い。「わかっちゃいるけど…」みたいなことが羅列されるので、チェックリストを押し付けられるようでちょっと圧倒されてしまうのだ。
- 学習環境が生徒と学習を積極的に支えるものであること
- 教師が一人ひとりの違いにしっかり注意を払っていること
- カリキュラムが学習を支援するために構成されること
- 評価が、日々の中のたえまない診断として存在すること
- 教師が、生徒の多様性をもとに、内容や方法や成果物を変えること
- 教師と生徒が学習について協働すること
- 教師が、クラスの到達基準と個人の到達基準のバランスをとること
- 教師と生徒が個人・小グループ・全体など、柔軟に活動すること
ね、なんだか「おなかいっぱい」になってきませんか? 僕は正直、「こんな全部はムリ!仮に出来ても過労死する!」とここでいったん本を閉じてしまった(笑) 読了に時間がかかったのもそのせい…。
「何を、どう、なぜ」。授業づくりの3つの視点
ただ、この本がありがたいのはこの先がきちんとあること。例えば、一人ひとりをいかす授業を分析する3つの視点「何を、どう、なぜ」は、とりあえずこれを頭の片隅に入れておこうと思えるコンパクトなもの。
- 授業の「何」を一人ひとりをいかす形に変えるのか?(内容、方法、成果物、感情、学習環境)
- 一人ひとりの生徒の違いをどういかすのか?(生徒のレディネス、生徒の興味関心、生徒の学習履歴)
- 一人ひとりの違いをなぜいかすのか?その目的は?(学びへのアクセス、動機づけ、学びの効果、適切なチャレンジのレベル、学びの成果を表現する機会)
「何を、どう、なぜ?」ならかろうじて意識できそうなので、僕はまずこっちを意識したいと思う。
具体的な手法の数々
また、この本の後半では「一人ひとりをいかす授業」の具体的な手法が紹介されている。「コーナー」「課題リスト」「複合的プロジェクト」「周回」「センター」「契約」などだ。詳しくはこの本を読んでほしいけど、たとえば、「コーナー」は生徒の活動場所を指定してそれぞれで異なった活動をさせるもの。これは、共通の課題を持つ生徒を一つのコーナーに集めて小グループでミニレッスンをするように使える。また、「契約」や「課題リスト」は、生徒の個別の選択や特性を尊重しつつも、身につけてもらわない基本的スキルを学んだり、チャレンジ的な課題を与えたりするのに使える。
できるところから…
具体的な手法はあるにせよ、いずれにしてもまずは生徒と頻繁に話をして彼らの個別の状態を把握することがスタート。今の自分が心がけているのは、大福帳などのちょっとしたやりとりを通じて、個別の興味や授業の理解度を把握すること。そこから本の紹介をしたり授業の直前直後に軽く会話をしたり、という程度で、この本で書かれているような「一人ひとりをいかす」には程遠い。
ただ、「一人ひとりをいかす」授業はライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップの理念とそう遠くない。Differentiated InstructionでYou Tubeを検索して見られる教室風景も、ライティング・ワークショップと似てるなとも思う。自分の興味関心と近いことはわかっているので、大福帳みたいな小さな一歩から、少しずつやっていきたい。
この本は、「わかっちゃいけるけど…」の僕たちへの救いになるかもしれないし、やはり「理想論だよ、現実は…」になるかもしれない。書かれていることはかなり「重い」が、一方では「まずは小さくはじめてみよう」と誘ってもくれる。まずは小さく。個別の生徒との会話を増やして、理解度を訪ねたり、別の課題を選べる余地を少しずつ大きくしたり、やってみたい。
関連リンクの紹介
最後に、以前facebookで知ったこちらの関連リンクも紹介。能力差のある生徒たちを教えるときのコツや便利なツールが紹介されている。ツールが英語のものばっかりなのが、国語教師の僕には残念だけど…。
Teaching a Class With Big Ability Differences
https://www.edutopia.org/article/teaching-class-big-ability-differences-todd-finley