ちょっとした縁があって、さがら総『変態王子と笑わない猫』(著者サイン入り本)を読んでみた。僕はふだんライトノベルもラノベ関連の評論も全く読まない人で、これがいきおい僕にとっての「ライトノベルってこういうものなのか」という印象になるのだけど、もちろんこれが「典型的なライトノベル」なのかどうかは全く知らない。ライトノベル初心者の印象ということで一つお許しを。
物語は、語り手の少年「ぼく」(横寺陽人)が、建前ばかり気にして本音を言えないことを気に病み、一本杉の丘にある「笑わない猫」像に祈るところから始まる。効果てきめん、本音を隠せなくなって、桃色妄想を人前で垂れ流し、見事「変態王子」となってしまった「ぼく」と、同様に「猫」に「本音を隠せるように」と祈ったら能面になってしまった少女・筒隠月子の二人を軸にした、青春ラブコメである。
実在感に乏しい紋切り型のキャラクター設定やその人間関係とか、実際にはあり得ないようなウィットに飛んだ高速の会話のやりとりなどは、住野よる『君の膵臓を食べたい』『また、同じ夢を見ていた』を思い出させる。(そう言えばあの二作はラノベの扱いなのかな?)
きっとこういう「様式」には好き嫌いがあるのだろう。ただまあ、こういう「様式美」を遵守しつつその中でどういう表現や物語が作れるかというところで勝負するのがラノベなのかな、と納得して読んでいた。そういう「様式」は、他のジャンルにもあるし、日本の古典芸能だってこういう「様式」「お約束」揃いであるので、それ自体は取り立てて言うほどのことでもない。語彙も(少なくともこの本については)通常の小説と比べて極端に平易とは思えない。
物語自体もそれなりに楽しく読むことができ、ラストの
ぼくは笑い、筒隠は笑わなかった。ただ、猫の瞳が笑っていた。
という締めくくり方なんて、なかなか素敵だった。ぼくの好みは、どちらかというとこういう小説よりも例えば
みたいな小説の方にあるのだけれど、この小説も、これはこれで面白い。
とすると、例えば学校図書館にラノベを入れるかどうかが議論になったりするのは、一体何が問題なのだろうね。「ライトノベルは学校図書館で読むにはふさわしくない」(質が低い)という暗黙の了解が関係者間にあるからなのだろうけど、その「質」って何よという問題も含めて、単純に「ラノベ=質が低い」とも思えないし、結局は好みの問題なのかな? 非現実的な紋切り型の設定が許されないなら、能楽なんて許されないものだらけだしね…。あと思いつくのは、巻数が多くなりがちなので、書棚を圧迫するということだろうか。ちなみにこの本は、勤務校の学校図書館には入っています。
「このシリーズは1巻目が一番面白い」という複数の生徒の声もあったので、たぶんこのシリーズを読むのはこれで最後かもしれないんだけど、まあ悪くなかったかも、という本でした。