ピカソの巨大なキャンパス画「ゲルニカ」は、僕に取ってなじみの薄い作品だった。ぎょろりと剥いた大きな目を持つ牛。バラバラになった手足をありえない方向に伸ばしている人々。奇妙というよりも醜い印象を受けたその絵は、僕の中で「スペイン内戦でのゲルニカへの無差別爆撃を批判した作品」という説明文で「処理」されていた。この絵へのそのような印象は、原田マハ『暗幕のゲルニカ』を読むことで、がらりと変わった。
この小説は、2003年に国連本部前でイラク空爆が宣言された際、「ゲルニカ」のタペストリーが暗幕で隠されていた事件に端を発する。その「犯人」にされたのがニューヨーク近代美術館(MoMA)のキュレーター・八神瑤子だった。ピカソの専門家であった彼女は、イラク空爆のきっかけとなった9.11テロで夫をなくしていたのだ。おまけに、彼女はちょうどピカソと戦争をテーマにした展覧会を企画中だった。今こそゲルニカの持つ絵の力で戦争を回避するメッセージを発しようと、彼女は「ゲルニカ」原画の展覧会展示を実現すべく、スペインに訪れる…。物語はそのように進行する。
このストーリーは、瑤子を主人公とした21世紀パートと、ゲルニカが描かれた当時の20世紀パートを行ったり来たりする形で進む。瑤子の尽力でゲルニカの展示が可能になるのかどうかも気になるが、断然魅力的なのは20世紀パートの部分だ。ここでは、傲岸なまでの天才ピカソのセクシーな魅力が、やがて捨てられることもふくめて彼のそばにいる運命をうけいれる恋人ドラの視線で描かれる。ゲルニカが生まれる時の高揚感、それがパリの万国博で公開された時の意外な反応、そして噂されるナチスの侵攻。ゲルニカが完成して以降の、一歩間違えば裂け目が見える不安さの中で続く日常が、ドラとピカソの徐々に冷めていく関係と重なる。雨雲がたちこめる空の下で、それでもドラはピカソとともにあり、命を失うかもしれない覚悟でパリにとどまることを選択するのだ。
アートを題材にしたミステリーの21世紀パートも、映画にしたくなるくらい魅力的。瑤子を支える人々の誠実さや尽力も心を打つ。でも、それでもこの物語は、天才ピカソと彼の恋人ゾラのためにある。ピカソはゲルニカを描き、ゾラはその制作過程を写真に収めた。ゲルニカの細部一つ一つに、一心不乱に描きつづけるピカソの熱意と、それを見つめる恋人ドラの眼差しが、籠っているようにさえ見える。一人の天才的でセクシーな芸術家と、その魅力に抗えない女性の物語が、ゲルニカの成立にはたしかにあったのだ。あなたもきっと、読後にはそう信じて疑わなくなるだろう。