[ブクログ][読書]今こそ戻らないといけない本だな…。大内善一『戦後作文教育史研究―昭和35年まで』

ブクログの過去記事より転載。読了日は2013年3月30日。実は、昨日の夜の枕元のお供が同じ著者の『修辞的思考を陶冶する教材開発』だったもので…。

2013年3月30日のレビュー

戦後すぐの昭和22年の学習指導要領(試案)から始まり、昭和35年頃までの作文教育をめぐる論争や実践の歴史を一望できる本。論文をまとめたものであり500ページほどの大部の著作だが、国語科の「作文」派と「生活綴方」派の論争史だけでなく、個々の実践記録も充実しているので、この時期の宝が色々と埋まっているような本である。

「作文」派と「生活綴方」派の対立がやがて止揚されていくような著者の歴史観にはやや強引さも感じたし、何よりここで扱われた「作文教育」が、本当にこの当時に現場で行われていたのかと言われれば、そこにも大きな疑問符がつくだろうと思う。(それはちょうど、国語教育の専門誌に掲載された実践で日本全国の国語教育を代表させるようなものだ)

ただ、それでもこれらの実践を読むと、今自分たちが感じていた問題意識がとっくの昔に論じられ、それに対する具体的な実践の積み上げもあったことに今更気づいて、大変勉強になる。倉沢栄吉や大村はまのすごさにも改めて気づくことができた。自分の関心のある作文教育法のライティング・ワークショップだって、その個々の要素はとっくの昔からあったわけで、ほとんどの場合、良く言っても「その組み合わせ方」の問題にすぎないんだなとわかる。ほんと、「アイデアとは既存の知識の新しい組み合わせである」とはよく言ったもの。

過去の歴史を見てみると、「生活綴方」は、取材(アイデア探し)段階や共有段階で豊富な実践例を持っているし、「作文」は文章の構成を中心に長年の蓄積がある。そうした過去の遺産を組み合わせて行けば自分の授業の質もブラッシュアップできるはずなのに、それを完全に無視して、「これからは○○だ」とか「新しい実践」とか言ってしまえることの恥ずかしさ!

僕たち教員は過去の積み上げの上に、現代的な課題に対応していくべきなのに、それが全然できていないのはどういうことなんだろう。これって大学の国語教育系研究者の怠慢なのか、現場の教員の怠慢なのか。責任論はどうでもいいから、現場の教員が過去の歴史にアクセスしやすい環境が出来てほしいなと思う。

他に印象深かったのは、「作文」対「綴方」という対立が、作文教育をめぐる考え方の対立であると同時に「官/再軍備」対「民/平和」というイデオロギーの対立でもあったらしいこと。この両派の対立が明確になるのは昭和26年(この年、学習指導要領(試案)が改訂されて国家レベルでは系統性重視の方向に舵を切る一方で、『山びこ学校』による生活綴方復興の年となる)なんだけど、そこにも朝鮮戦争以降の日本の動向が反映されているのかな、と思えたのはとても面白い。このへんは、本当は当時の資料を丹念に洗い出してみないと実感できないことなんだろうけど。

この本、勉強仲間と一緒に三ヶ月ほどかけて読み進めていったのだけど、一人だと、たぶん(というかほぼ間違いなく)くじけてたと思う。単に読む動機になったというだけでなく、一人だと見落としていた面白さにも気づくことができた。最後まで読み通せてよかった。☆5つは自分のがんばりも含めて(笑)

2019年4月16日からひとこと

これは読み直さないといけない本だな。2013年当時とは自分もちょっと変わってきているわけで、今の自分の取り組みを歴史的に位置付けたらどうなるだろうという作業は絶対に必要。あと、「新しい学校」を標榜する軽井沢風越学園のスタッフこそ、過去の歴史に詳しくあるべきという思いもある。

ただ、あの当時よりも自分は勉強していないなあというか、家庭生活でやることも増え、夜寝る時間も早くなってしまったので、時間をどうするか考えどころ。丁寧に暮らしていくには、何を読まないかという判断も大事かな。

ちなみに、大内善一さんの『修辞的思考を陶冶する教材開発』、主に小学校の有名教材を例にレトリックについて解説したもので、小学校の先生におすすめです。昨日、西部小学校の先生とあまんきみこ「白いぼうし」の話をしていて、この本を思い出しました。

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