北海道の公立高校で勤務する司書・成田康子さんの「高校図書館デイズ」を読んだ。学校図書館を支える有志の生徒団体・図書局(図書委員会を校呼ぶようだ)に集う生徒13名の「いま」を切り取った本だ。とても素敵な本で、同じ成田さんの「高校図書館」と一緒に読むと一層いいので、あわせて紹介したい。
高校生の日常をかいま見る「高校図書館デイズ」
まずこの「高校図書館デイズ」は、高校の図書局員メンバーの、本にまつわる日常を集めたエッセイ集。作家との往復書簡という企画に挑戦した時の話、ビブリオバトルに挑戦したときの話、自分の好きな本の話、趣味の漢字や地図の話、小説を書いてみた話…生徒が書いているのではなく、生徒が成田さんにしてくれた話を、成田さんが文章化したものということだ。
この本に出てくる高校生たち、なぜかとても大人びて見える。読んでいる本も、考え方も、当人はそんなつもりないのかもしれないが、「高校生ってこんなにしっかり考えていたっけ?」と感じる文章が多い。もしかしたら、成田さんという大人の書き手のフィルターを通過したから、大人びて見えることもあるのかもしれない。
いや、でもそれだけではない。「教師ー生徒」関係を離れた1人の人間同士として大人と対する時、ひょっとして、高校生はもうすでに立派に1人の大人として自然に会話ができる年齢なのかもしれない。今の自分。これから伸びようとする自分。不安を抱えている自分。それを、ごく自然なかたちで言葉にしている高校生たちが、とても大人びてまぶしく見える。「先生」ではない司書のポジションを活かした成田さんだからこそ、彼らとこういう話ができるのかもしれない。この本には成田さん自身はほとんど存在しないが、話の聴き手としての成田さんの姿が、高校生たちの話す表情の向こうに、くっきりと存在感を持って浮かんでくる。
「高校図書館デイズ」の舞台裏・「高校図書館」
そんな高校図書館での日常を、成田さんの立場から書いているのが「高校図書館」(みすず書房)である。もともと「出版ニュース」に連載された広い意味での同業者向けのエッセイをまとめたものであり、成田さんの日々の仕事の歩み、学校図書館についての意見がつづられている。
今回、「高校図書館デイズ」を片手に改めてこちらの「高校図書館」も読み直したところ、「なるほど、こういう日々の取り組みや考え方が、高校図書館デイズに出てくる生徒たちを育てるんだな」ということが本当に納得できて印象深かった。言うなれば、「高校図書館デイズ」の舞台裏のような本。
成田さんは、成長する有機体である図書館を、「図書館が生徒の役に立つこと」を第一に育てていく。「待つこと」「見守ること」を基本姿勢として、生徒の名前を覚え、対話を重ね、目的がなくてもふらっと訪れるような、そんな図書館を作ってきた。特に、貸し出しカウンターでの生徒とのやりとりは印象的だ。
「先生、あのさ」。生徒が話そうとするとき、何について語るのかをはっきり意識していない場合もある。話さなければ落ち着かないような、だれかに話の糸口をほどいてもらいたいような気持ち。何かを考えたいのだけれど、何を考えたらいいのか自分でもわからなくなっているようす。事情をそれとなく察し、いっしょに考え、そして励ます。気がつけば、同伴者としての役割がそこに生まれていた。(p102)
こうやって、生徒との関係を丁寧に紡いでいく。
図書館は強制されて来る場所ではない。生徒が個々の目的をもって主体的に訪れ、均質ではなく単独あるいは混成のグループでパブリックな空間を形づくる。(67)
(学校司書の仕事の)「前提にあらねばならないのは、(本が好きであることよりも)人が好きであることではないだろうか」(p34)
こういう司書の方が、先生とは異なる立場である司書として図書館にいるからこそ、「高校図書館デイズ」で語られる日々が生まれるのだろう。卒業式を終えた生徒たちが、「こんなふうに話せるところって図書館以外にある?」「ない!ない!」という図書館、あるいは「お茶の間みたいでした」と振り返る図書局。どちらも素敵だと思う。そういう場をつくる人と、そういう場に集う人。両方に触れてみたければ、2冊揃って読むことをお勧めしたい。