最近は一時In the Middleの読書を休止して、これを課題本に。途中まで読んで放り出してた本なのだけど、諸事情あって急いで読まねばならぬ次第。著者のTesra CreminとDebra Myhillはどちらも長年作文教育のプロジェクトをやってきている人で、色々な視点から書くことについて記述されていて勉強になる。
▼
特に第二章「 Writing Teachers」は、教師自身が書くこととどう向き合っているのかという視点が面白い。ざっくり言うと、英語圏の教師は「書き手」として以下のような状況にあるらしい。
(1)大人になってからも書き続けている教師、今も「書き手」である教師は少ない。
(2)読むことは好きだが、書くことはそうではない教師が多い。また、書き手としての自己評価は低い。
(3) (にもかかわらず)教師は熟達した書き手として見なされてしまう。
(4)子ども時代のポジティブな経験(コンテストで勝った、誉められた等)やネガティブな経験(書くことがない、直せと言われたがどう直せばいいのかは教えてもらえなかった)が、現在の教師の意識に影響している。
(5)子どもの目から見た時、教師が書く場面はおおよそ「成績評価をする場面」に限られる(生徒のレポートへのコメントなど)。
簡単にまとめると、教師は「今はあまり文章を書いておらず、また書き手としての自己評価が低いにもかかわらず、周囲からは熟達した書き手として見なされ、生徒の文章を評価する立場にある」というわけだ。 なるほど、これだと作文の授業には積極的になれんよね。日本におきかえてもなんだかわかる気がする…。こういう教師に着目した分析はあまり読んだことないけど、けっこう面白い。せっかく教育研究や教科書が新しくなっても現場の教師の「抵抗感」がその普及を妨げている事例は、作文に限らず見る気がするからだ。
▼
英語圏において教師が書き手であることの重要性を訴えたのがライティング・ワークショップの提唱者とも言われるドナルド・グレイブスで、彼が主導したナショナル・ライティング・プログラム(NWP)では教師自身を書き手として成長させることに主眼が置かれていた。以下のエントリで紹介したビデオでも、教師が書くことの大事さを語っている。日本でも同様の考えが古くからあることはこのエントリで書いた通り。
>▼
では、実際に教師が書くことでどんなメリットがあるんだろうか。それについては後日、別のエントリでまとめてみたい。
(追記)