石川巧「『いい文章』ってなんだ? 入試作文・小論文の歴史」を再読&読了。
いまいち中身が伝わりにくいタイトルだけど、明治から昭和にかけての作文教育の歴史を、主に入学試験に課される作文という観点からまとめたコンパクトな作文教育史の本。特に明治〜昭和戦争期あたりまでは、入試に限らず作文教育の潮流を扱っているので、国語教師としてもけっこう勉強になる。
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今回読みなおして面白かったのは、作文と書くツールの関係。佐藤秀夫「知の表現具 文具の史的意味」(『教育の文化史4 現代の視座』、阿吽社)を典拠に、以下のような見取り図を描いている。
明治時代以降、日本の作文は基本的に毛筆またはペン書きだった。この場合、簡単に書き直しはできないので、作文もまず書く前に内容をおおよそ考えることになる。そして、最初にこれから書く内容について概略を記し、その書く要素を「布置」していくという意識が強かった。
ところが、1910〜1930年代にかけて安価な鉛筆と消しゴム、洋ザラ紙が普及していくと、それが作文にも影響していく。事前に書く内容をメモするだけでなく、書きながら考えることや、下書きを推敲して清書するということが可能になる。筆とペンの時代には主流だった「書き出しで大意を述べる」というスタイルにも縛られなくなっていく。
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この時代は、芦田恵之助の随意選題綴り方をはじめ生活綴方運動が全国で盛んになっていく時期だけれど、筆者はこの運動の背景に鉛筆と洋紙の普及を見ている。なるほど、なかなか面白い観点。アメリカのライティング・ワークショップの普及にも、PCの普及の影響が指摘されている
こちらのエントリ参照けれど、同じようなことが、日本の生活綴方運動にも言えるのだろうか。もとの佐藤の論考にもあたってみたい。