僕が子どもの読書感想文を手伝ってみた、そのやり方。

お父さん、私、悪魔に魂を売ったの」。先日、小6の娘がそう言い出したので何かと思ったら、読書感想文のコンクールでどうしてもクラス代表に選ばれたい、できれば入選したいから、手伝ってほしいということだった。実はあすこま家は僕も妻もともにその種のコンクールによく選ばれていた過去がある。彼女もそれで僕の助力を頼んだというわけ。さだめし僕は悪魔の手先だろうか。

というわけで先週は合計4〜5時間くらい娘の読書感想文につきあったので、そこで自分がやったことを書いてみた。「読書感想文の書き方」情報はウェブ上にもたくさん転がってるのだけど、内容や構成案についてのものが多い。僕は内容そのものよりも書くプロセスに重点的に介入したので、それについて、「心構え編」「書く前編」「ひたすら書く編」「書き直し編」に分けて書いてみる。


ちなみに、娘の学校の先生は読書感想文についてしっかり指導してくださっていた。「読書感想文は、本について書くのではなく、本を読んだ自分について書く」という原則から始まり、合計10以上の「良い読書感想文のポイント」や、構成の型、模範文例まであったのだ。最近はよく指導してくださっているんですなあ…。

目次

「心構え」編

書きたいことを書こう

僕が一番大事だと思うのは、「本人が書きたいことを書く」ことだ。僕は小学校時代、作文コンクールによく出品していたが、これは過去の「入選作品集」を読み込んで傾向と対策を練っていたからだった。当時の僕はそれこそ悪魔に魂を売っていて、「先生や大人にウケるパターン」を見つけることに余念がなかった。

今の僕はこれを激しく後悔している。大切なのは、自分が書きたいことに忠実に書くこと。もちろん他者の評価で自己評価を相対化することは必要だが、評価基準を他人に握られてはいけない。「他人からの評価がすべて」という姿勢を子ども時代に身に着けてしまうと、あとで修正が大変だ。先生ウケよりも、自分の書きたいことを書こう!

今回、娘は事前に学校で書いた原稿を持ってきていた。しかし親子の血は争えず、これがまた「先生ウケの良さそうなこと」ばかり…。本人に「本当にこう思っているの?」と確認したら「言ったでしょ、私は悪魔に魂を売ったのよ」とあっさり全否定したので、「書きたいことを探す」作業から始めることになった。

「書く前」と「書いた後」に時間をかけよう

書くことの基本は、「書く前」(プランニング)と「書いた後」(推敲)にきちんと時間をかけること。特に、「書く前」にある程度のプランができれば、それでもう7割方は書けたも同然だ。また、一度でびしっと文章が書けることなんてほぼないので、書いた後の、大幅な構成や内容の変更も含めた推敲も必須になる。うちの娘も「一度書けばそれで終わり」と思っていたふしがあるので、「書き直しが前提だよ」ということははっきり告げて覚悟してもらった。

できればパソコンで書こう

「書き直しが前提」とすると、一定以上の長さを手書きで書くのは書き直しへのハードルをあげてしまう。加えて、原稿用紙に手書きで書くと完成作品の一行目から書かないといけないのも問題だ。そもそも、完成作品の「書き出し」は、読者を引きつけることを狙う場所でもあるので、書くのが一番難しい箇所の一つ。それなのに、手書きだとそこを最初に書かなくてはいけない。書くことへの精神的ハードルも高くなるし、いい書き出しのアイデアがあとで浮かんでも反映できない。デメリットだらけである。

ということで、書くにはパソコンを使うのがおすすめだ。パソコンなら、後から追加するのも削除するのも場所を入れ替えるのも自由自在だ。なんなら音声入力も活用しよう。うちの娘は下書き段階ではSiriで音声入力し、書き直す時にキーボードを使っていた。もちろん本人がパソコンが嫌なら、無理に強いてはいけないけれど、少なくとも試してみる価値はある。

書くことはもともと大変

これは自分で自分に心がけたこと。下記エントリに書いたけど、書くことはもともととても複雑なプロセスで、小学生にとっては負荷が重い。親が期待のハードルを上げすぎないことも大切だと思う。とはいっても、つい自分勝手な期待をしちゃうんだけどね…。

小学生はどこまで書ける? 書くことの発達段階のモデル

2016.08.08

「書く前」編

書きたいこと(ゴール)を探す

文章を書く時に一番たいへんなのは、この「書く前」の段階だ。娘は「先生に選ばれたい」という気持ちが強すぎて、とにかく先生ウケの良さそうな「きれいな言葉」ばかり並べてある。中身がない。一つ一つ聞くと、その全てが「本心では全くそう思っていないこと」なのである。そこで、まずは書きたいことを聞いていく。この本はどんな本? どこがひっかかったの? どうしてその台詞が気になったの? 何かそれにまつわる体験はした? そんなふうに質問をしながら、子どもが感じたこと、ひっかかったことを見つけていく。それからなぜひっかかったのか、自分にそういう経験があったのか…と質問の嵐。この作業が一番時間がかかる。

子どもの書きたいことは否定しない

仮に、こうやって見つけた「子供が言いたいこと」に対して「え、もう少し深まらない?」と思った時にどうすれば良いだろう。誘導してでもそれを深めたくなる?これについては何が「正解」なのかは僕にはわからない。10年前の僕だったら、多少誘導してでも考えを深めようとしただろう。

今の僕は、ゴールの設定は書き手の仕事であり、自分の仕事はそのゴールにたどり着く手伝いだと思っている。したがって、本人の考えたことや感じたことは修正しない。仮にそれが大人の目から見て浅いように見えたとしても、大人が変に分別くさくなっただけで実は「考えていない」ことも十分にありえる。「自分の考え」なんて、何度も文章を書いたり、本を読んだりするなかで、当人が少しずつ深めれば良いと思う。

付箋に構成を書いて並べる

ゴールが見つかったら、そこに至る中身やその順番を考える。構成を考える時は大きめの付箋を使おう。最初に伝えたいこと(ゴール)を1枚の付箋に書き、それを書くために必要な根拠や、本文のシーンを…というふうに、ひとつずつ付箋に書いて並べていく。並べたら、それを並べなおしたり、いらないものを捨てたり、必要なものを追加したりして、構成を考える。付箋を使っての構成の模索を、書く内容とその順番が決まるまで続ける。

なお、この時に文章の「型」を使っても良い。僕は「型」を使うのがあまり好きではないが、それは「考えずに型に従う」文章を量産する危険があるからで、ゴールが決まって書く中身がある段階であれば、型を使うのも効果的な方法である。現に、娘の場合にも、小学校で渡された読書感想文の型を使わせてもらった。

「ひたすら書く」編

次は、ひたすら書く。付箋に書いた構成案に従って、ひたすら書く。自分にブレーキをかけずに書いていこう。

書きやすいところから書く

パソコンを使うメリットの一つは、「書きやすいところから書ける」ことだ。どんな順序であれ、本人の書きやすい順番で書くのがいちばん。原稿用紙だと最初に書かないといけない「書き出し」は、読者を意識しなければいけない場所なので、一般的には最初に書くのが難しい。書きやすいところから書いて、勢いをつけよう。

気にせずどんどん書く

どうせあとで書き直すので、あまり内容にこだわらず、どんどん書く。くどいようだけど、書き直すのが前提。字数制限も気にしないで、構成案に従って、書きまくる。理由はあとで書くけど、理想を言えば字数制限を大幅にオーバーするくらいがちょうどよい

書く心理的ハードルは、書く前までが高い。いったん書いてしまえば、気分的に山を超えて気楽になるし、どこを直せば良いかも見えてくるものだ。ここまでくればあとはもうひとふんばりである。

「書き直し」編

さて、いよいよ「書き直し」編。本当は数日間は時間を置いてやれれば良いのだけど、うちの娘の場合は提出期限が迫っていたので、書いて即書き直しになってしまった。

音読する

原稿ができたら、それをプリントアウト。まずは娘に自分の原稿を音読してもらう。音読すると本人なりに、書き間違いやおかしいところに気づいてくれる。「こう書こうと思っていた」なんていう考えも出るかもしれない。親が下手に口出しするよりも、音読はとてもパワフル。

誰かに読んでコメントをもらう

他の人に読んでもらって、感想をもらうのも良い。伝わると思っていても伝わっていないことが明らかになる。そうすると、書き直しの必要性が生じる。新たなアイデアが必要で、全体の構成を組み直す場合もあるかもしれない。

うちの娘の場合は、この時点で妻のフィードバックをもらい、後半の順序を入れ替えて書き直した。ただし、ここでも本人が自発的にするのでない限り、ゴール(書きたいこと)は変えない。「自分の文章」でなくなっては、元も子もないからだ。

冗長な部分を削る

構成の入れ替えや書き足しなどをともなう「大きな書き直し」が終わったら、次に一文ごとの修正のような「小さな書き直し」に入る。この段階でやることを全てあげるときりがない。適切な句読点の打ち方、一文の長さのコントール、単調にならない文末表現…。あまりたくさん言うと本人も処理しきれなくなるので、「今回はここ」というポイントを絞ろう。今回僕が選んだのは、「冗長な箇所を削る」ことだった。

よほど練達の書き手でもない限り、僕も含めて、たいていの文章は冗長である。下書きの冗長な部分を削っていこう。僕の教えたコツは、「すべての文について、「この文は何のために存在しているのか、なくても困らない行はないか」と、その役割を問うこと」と、「同じ単語や表現の繰り返しを見つけたら、どちらかを削除したり、一文につなげたりして、短くまとめられないか考えること」。

例をいくつかデモンストレーションして、あとは娘にやってもらう。「何が大切かを見極める」というこの作業自体が、文章力を鍛えるとても良いレッスンになるので、親がやってあげないほうが良い。前に「制限字数をオーバーするくらいが良い」と書いたのは、この経験をさせたいから、ということもある。

娘は四苦八苦しながらも、1600字以上あった作文を、なんとか制限字数の1200字に収めた。とりあえず、現時点でのお手伝いとしては、ここまでできればいいかな、という感じ。

おまけの清書編

学校の規定だと原稿用紙に手書きで提出なので、面倒ながらも最後に手書きしないといけない。娘は提出日の朝に手書きして、なんとかぎりぎりセーフで終了!無事に期日に先生に提出できたということだ。

良いプロセスを身につけよう

以上、足掛け3日間、時間にして3〜4時間くらいは隣でつきあっただろうか。学校では一人の生徒にここまで丁寧に見ることはないので、なかなか楽しい体験だった。最終日の夜、娘に「やってみてわかったことある?」と聞いたら、「自分の気持ちをちゃんと書こうとすると先生ウケしなくなることがわかった」そうである。

「先生ウケしなくてもいいから、自分の思ったことにウソをつかずに書こう」と思えることは、とても大切なことだ。いかにもな優等生タイプの娘がそれができるようになるのは、まだまだ時間がかかるだろう。僕も「先生ウケ」の呪縛からは長いこと逃れられなかった。娘も時間がかかってもいいから、書き手としての自分の軸を大切にしてほしいな。繰り返しになるが、自分の評価基準を他人に完全に委ねてはいけないのだ。

僕は今回、娘の作文をはじめて本格的に手伝った。彼女が初日に持ってきた下書きと比べると、たしかに「先生ウケ」する内容の作文ではない。でも、ぼくの視点では断然この子らしいし、面白い。文体も締まっているし、書き出しも、書き終わりも良くなっている。学校の先生だって「先生ウケ作文」には内心飽き飽きしてるだろうし、この子の作文の変化に、きっと気づいてくれるだろう。親が手伝ったのもまるわかりだろうけど(笑)

まあ、大切なのは、書かれた結果としてのこの作品ではない。彼女が書くプロセスを経験したことなのだ。良いプロセスを身につけた書き手は、いつか必ず良い文章を生む。仮にそれが今回でなくても。今回の経験をおぼえて、良いプロセスを持つ書き手になってくれたらなあ。期待しすぎずに、と自分に言い聞かせつつ、親ばかな僕は、つい彼女の次の作文に期待してしまっている。

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4 件のコメント

  • あ〝〜。読書感想文!!
    私は金曜日、浅いところを質問攻めするなどのカンファレンスを経て、ある程度「審査員受け」を意識して書き直しさせました。ここに懺悔します。
    というか、コンクール出品生徒を選抜する段階で、既に「審査員受け」を意識していることに気づきました…。
    コンクールとは別の視線で、作文の「その子らしさ」「その子の気づき」を大切にしたいものです。

    • 先生はそれがお仕事ですものね。文章は人に見せるものである以上、それが皆無というわけにも行かないと思うし、色々なアプローチがあって良いと思います!

  • 素晴らしい伴走ですね。私は失敗談があります。小学一年の長男が感想文の宿題を手伝ってということで、(親の出る幕じゃないだろと思いながら)母親からも頼まれて、一応、こういうことができるよとアドバイスしたものの、まったく動かず。一字も書こうとしないので、ほおっておいたのですが、それでもしなくちゃいけないというので、例えば父ちゃんならこう書くよと全霊を込めてワープロで仕上げました。それを渡したら、そのまま学校に持って行ったらしくて、担任の先生からお目玉をくらったらしく、二度と私に相談してきませんでした。
    宿題もコンクールも全員参加ではなく、やりたい人ややれる人だけにして欲しいなあと今でも思います。とほほ。

    • 森井さんが全霊をこめて作ったものを「そのまま学校に持っていく」とはなかなかの勇者(笑)先生もびっくりしたでしょうね。