今日は短めの更新を。今学期もリーディング・ワークショップ(の個別自由読書)をはじめました。しかも今学期は、11月に勤務校の教育研究会で公開授業をする予定。それをきっかけに、今学期はリーディング・ワークショップの勉強をしようと思ってます。
今学期に読む本
とりあえず「やっぱり僕にはこれ」ということでアトウェルの本を読み直し中。やっぱりアトウェルのリーディング・ワークショップって、「鍛える」系ワークショップだなあ。小学生とは思えないほど分厚い本ばかり読んでいた生徒たちだったことを思い出す。
昨日、吉田新一郎さんに薦めてもらったこちらの本も届きました。「サポートのない個別自由読書はするな」という、わかりやすいタイトル。ただ本を読ませるだけでなく、どうやって教師がサポートするか、という本ですね。薄い本なので、通勤電車で読むつもり。
「リーディング・ワークショップって、ただ生徒が勝手に本を読んでるだけなの?それって朝読と何が違うの?」とはよく聞かれること。どういう手だてを講じるべきなのか、いまの僕には必要な本だな。
今日は初回のリーディング・ワークショップ
今日は、二学期のリーディング・ワークショップの初回。アトウェルにならってリーディング・ワークショップで生徒に期待していることを語り、目標を設定してみることを語って、各自の読書へ。
今日は知人の3人の方に授業見学に来ていただき、事後に色々と改善へのコメントや疑問をもらいました。自分の中で課題だなと思ったのは、次の2点。
- 学期ごとに自分で目標を設定して読むように語りかけているが、ふだんの読書ってそうだろうか?目標を設定した読書って、あまり現実的ではないのではないか
- 教師のカンファランスって、あれ、読書したい生徒からすると邪魔なだけじゃないか?
特に最初の疑問は、リーディング・ワークショップにおける読書行為と、日常の読書における読書行為って同じなのかどうか、という点で大きな問いだなあ、と思った。僕は、少なくともそこに教師のインストラクションや環境の設定が入る時点で違うのではないかと思っているのだけど、これはちょっと慎重に考えてみたいと思っています。深めたり広げたり、積極的に挑戦していくためには目標ってあったほうが良いと思うけど、一方で目標をたてることを強調しすぎると、やらされ感も増すし、息苦しくなるよなあ…。「目標」ではなく、知人が言ってくれた「やってみたいこと」くらいがいいのかも。
そんなわけで、しばらくの間、リーディング・ワークショップで試行錯誤してみます。考えがまとまらないままの、備忘録的な記事も出てきそう。あしからず。
私の感じ方としては、授業がそれ以外の場と違っていても、あるいは、同じであってもいいと思いますが、どちらかというと違っている方が授業らしい特別な場面なんだなとは思います。どこがどう違っているか、ここではどうして授業としてある活動をしているのかという(学習者との共通)理解などを持っていれば、それでいいように思います。そうでもないのでしょうか?
そうですね。実際に振り返ってみると、リーディング・ワークショップの「読む時間」は、プライベートの「読む時間」とはやはり少し違っていますね。学習者との共通理解、なるほどそれが大事ですね。
個人的な話ですが、僕は大学時代に500冊、本を読もうと目標を立てました(大学の創立者が学生に当時言われたことで、同じ目標を立てた人がいると思います)。あとこのシリーズ全部読みたいなとか、あの作家の本を全部読もうとか、おすすめされた、おすすめされなくてもいいですけど、ある特定の本を読もうとか、高校生の時からあります。今でも赤毛のアンシリーズを最後まで読んでみたいな漠然と思い10年間、2巻で止まっていますけれど・・・。
僕も目標設定のところが、RWの授業で疑問&課題です。あまりうまくできていません。
まず読んでみたい本リストがあまり機能していません。
このリストが読書の目標ともかなり関連が強いと思うのですが。
僕自身は、読みたい本があったら、SNSに書いたり、特にブログに書いたりおいて、後で、「読んでみたい本リスト」と検索すると、前に読んでみたい思ったことを振り返れるようにしています。読んでみたいと思ったこと自体を忘れるので、助かっています。RWで読書の目標設定を僕も改善したいです。
後期は、読んでみたい本リストと関連づけて、こんな目標設定ができると言う具体例は、自分も含めて示したいと思います(前期は忘れていて、できないなかったです。読んでみたい本リストのミニレッスンだけでした)。読書ノートに目標設定のページ作って。
目標は、意味合いで息苦しい感じが出てくるのだと思います。
営業マンの目標の意味合い、イメージで強調して煽ると苦しそうです。
目標をどのような人がどのような文脈で出すかだと思いました。
知人の方が言われうように
「やってみたい」こんな読み手になりたいとか、読みたい本リスト、このシリーズを読みたいとか(何冊以上読みたいも僕はありだと思います)、こう言う語りの文脈で、煽らないで「目標」と言う言葉を使う分には、いいのかなと思います。後、そのように語るけれど、やらない人には無理にやらせないようにすると、息苦しい感じが出なくなると思います。とりあえず読み続けてみて、記録(または記録)から自分の読書を振り返った時に、目標を立てない人も、自然に目標を立てるようになるかもしれないです。それが心に思う漠然としたもので、書いた目標ではないかもしれないですが。
自分のクラスの子を振り返ると、まず読む経験が少ない子、読書量が足りない子が多いので、読書ノートの記録やら目標よりも、ただひたすら読むことにどっぷり浸かる子が多いです(一方、しっかり書いて明確に目標を立てる子、読書ノートが好きな子もいます。この子たちを振り返りと、個人のマメな性格と、もともと読書量が多かったという要因がありそう)。書く目標に価値があるかは、人の状況によって違うのかなと思いました。子どもたちの様子を見て、アセスメントしながら、やるべきことはやり、自然であるのが一番良いのかなとも思いました。
ありがとうございます。色々とヒントになることがありました。僕の生徒も「読みたい本リスト」があまり機能してません。これは確かに「目標」意識が彼ら自身薄いところに原因があるのかも。ぼくの場合、RWの授業だけで年間を通してるわけじゃなくて、どうしても細切れになるので、そのせいもあるのかも、と思いました。アトウェルとかは、「この学期の目標」をたてさせますよね。そのくらい、ある程度長期的な見通しを持った、遊びのあって漠然としたものくらいがいいのかな。苦しい感じにならないようにしたいです。
ブツブツ書いてすみません。職場に出る前で、でも後だと忘れてしまいますので。
教師のカンファレンスは邪魔になるかは、状況次第だと思います。こちらが、必要だと思って、カンファレンスしても、邪魔な場合もあると思いますし、助けになることもあると思います。
実際に実践されている方の意見やコメントは助かりますので、今後も教えて下さい!
そうですね、カンファランス、こちら側としてはやってみると必要ですね。ライティング・ワークショップと違ってアウトプットがないので、少なくとも生徒の情報を収集するという点では、カンファランスがないとやっていけません。
リーディング・ワークショップのアウトプットとして、レターエッセイやブックレビュー、あと読書ノートはどうですか。僕の学級では、子どもたちの情報を収集するという点でも、子どもたち同士で本と人を繋げ合うという意味でも、ブックレビューが一番うまくいっています。レターエッセイはやらなくなりました。
読書ノートはカイさんのやり方がシンプルで最も気に入っています。
大学ノートの半分のサイズ。
僕はA4の紙を半分に裁断したものに、画用紙の表紙をつけたものを使っています。
基本的に、1ページごとに一冊の本について記録するです。
もしノートに空きが残っても次のページに進みます。
1ページを超えて、書きたいことがある場合は書いてもよいとしています。
ありがとうございます。読書ノートやブックレビューはやってないですね。理由は単純で、160人ぶんのそれを僕が処理できる気がしないからです。今は授業の最後にA4の厚紙に2行ずつ書いて提出してもらっているのですが、それを見るだけで精一杯かな…。これ以上頑張れる(授業外の時間を費やせる)とは正直思えないので、それを考えるとカンファランスでの情報収集がますます大切なのだなと気づきました。
あと、てるさんとのやりとりでもう一つ気づいたのですが、うちの生徒が「読みたい本リスト」に書かない理由もわかりました。それを毎回の授業で回収しちゃうからですね。回収される用紙に書いても生徒には役立たないので、書くわけありませんね(苦笑)
今年度の僕の学級の子たちは28人ですので、状況がだいぶ違いますね。状況に応じて価値的にできればと思います。