[読書] 新学習指導要領と現場をつなぐ、わかりやすい解説書。奈須正裕「『資質・能力』と学びのメカニズム」

大きな改訂がなされる新学習指導要領。そこで注目されているのが、コンピテンシーの訳語として使われている「資質・能力」という言葉である。「何を知っているか」よりも「その知識を使って対象とどのように関わるか」「どのような問題解決を現になしとげるか」という点に重点を置いた能力観をあらわす言葉だ。

この奈須正裕「『資質・能力』と学びのメカニズム」は、新学習指導要領の策定に関わった著者が、「資質・能力」とは何か、なぜそれが必要なのか、そして教科の学習がどうあるべきかを説明した本である。新学習指導要領をベースに授業を再検討する解説書として、読んで得るものが大きかった。

目次

学習指導要領と、教育学と、社会と、教育現場をつなぐ

この本の良さは、とってもわかりやすいところ。なにしろ構成がいいのだ。大きく分けて前半(1〜3章)では、新学習指導要領の理念の説明とその正当化がなされ、後半(4・5章)では、それを受けてどのような授業が期待されるのかが述べられるのだけど、この流れがわかりやすい。

まず前半では、最初に学習指導要領の理念、特にこれまでの指導要領と大きく異なる点が説明される。(第1章)、次に、その理由として、教育学の研究成果をもとに「教科内容を教えれば良い」という従来の教育の誤りが指摘され(第2章)、さらに知識基盤社会の到来という社会的要請が説明される(第3章)。ここまでが前半部。

後半では、こうした新指導要領を受けて、各教科の意義が(知識の伝授そのものではなく)「教科ならではの「見方・考え方」にあることが示される(第4章)。さらに第5章では、そのような授業を具体化するための指針として「主体的・対話的で深い学び」が示される。

ひとつひとつとればどこかで聞いた話・読んだ話というのも少なくないのだけど、ここまでスッキリとその関係が整理されていると気持ち良い。全体として「学習指導要領と、教育学と、社会と、教育現場をつなぐ」ことを明確に意図して書かれた本である。教科書的に一冊持っていて損はしないかな、と思う。

以下は、僕が読んでいて心に残った箇所をいくつかメモしておきたい。

学校は、生徒を「知的な初心者」に育てるところ

まず読んでいて納得したのは、学校は子どもを「知的な初心者」に育てる場所だということ。知的な初心者とは、筆者によれば「その領域に固有な知識をほとんど持たない、その意味で初心者でありながら、手際よく新しい領域の学習を進め、優れた問題解決行動を示す人」(p82)のことだ。

学校は日々新たな学びを子どもに求める場であり、子どもは常に、そして繰り返し初心者となる運命に置かれています。したがって子どもを知的な初心者へと育て上げることは、学校教育における最重要の課題であるといえるでしょう。(p82)

学ぶべきことは、これまでもこれからもどんどん更新されていく。変化が激しい時代になれば、その傾向が強まるだろう。だとしたら高度な知識内容そのものを身につけること以上に、「知的な初心者」としての構えを持つことの方が、僕たちにはたしかに必要だ。生徒が未知の分野に対しても「知的な初心者」になるように。別に目新しい考えではないけれど、目指すべき学習者像として「知的な初心者」という言葉はぴったりくる。

「教科は非常識であるがゆえに素晴らしい」

また、筆者は、教科の目的が教科内容を教えることだという考え方を否定する。「教科内容をしっかり教えれば(人類の知的財産を覚えれば)子どもは問題解決者に成長する」という「教科内容中心の教育」が持つ前提が過剰な期待だったことは、1970年代までの心理学で実証してきた、というのだ。でも、教科そのものの意義を否定しているわけではもちろんない。教科を学ぶことの意義は、世界の見方が変わることにある、という。

教科を学ぶとは単に知識の量が増えるだけでなく、知識の構造化のありようが、その教科の親学問が持つ固有な構造に近似していくよう組み変わり、洗練されていくことなのです。(p124)

教科の系統を感得することにより、日常生活で出合う事物・現象に対して、これまでとはすっかり異なる見方や取り扱い方ができるようになります。このことが、より洗練された、本質的な問題解決を可能とするのです。(p125)

筆者はこうした教科の性格を、ひと言で「教科は非常識であるがゆえに素晴らしい」(p128)とまとめる。たしかに、ベースになるのが自分の体験だけでは、たとえそれがどんなに夢中になれるものであっても、「はいまわる経験主義」のままだ。教科のレンズをかけて世界を見た時に、世界の見え方ががらっとかわる。そこにこそ、教科を学ぶ意義があるだろう。

国語科教育特有の「ものの見方・考え方」って?

これは当然、国語科教育に特有の「ものの見方・考え方」って何だろう? という問いにもつながってくる。これは今度同僚や国語の先生たちと話し合いたいなあ。現時点での僕の考えだけど、やはり国語科に特有なのは「言葉」というレンズを通して周囲の世界を捉え直し、そこで生きていく力をはぐくむこと、だと思う。世界と自分との関わりを認識する基本的形式の「物語」、他人とのコミュニケーションを成り立たせるための伝達の手段としての「説明」、言葉自体によって新たな世界を構築する「詩」…色々なジャンルを読み書き話す聞くという多様な経験を通して、「言葉」というレンズを通して世の中を捉え直す。それが国語科教育の特有の価値じゃないのかなあ。どうだろ。

読者の関心に応じて気になるところが出てくる本では?

先にも書いたとおり、この本は広範にわたる話題をコンパクトに整理しているので、おそらく読者によって気になる箇所も色々だと思う。たとえば、第五章では筆者は現行の国語の授業への不満も表明しており、もっと方略を明示的に教え、生徒の方略の「道具箱」を整理するようにと、かなり具体的な助言も書いている(ライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップのミニ・レッスンがこれにあたる)。この辺が興味深いという人もいるだろう。それよりももっと根本的なところ、新学習指導要領の背景が知りたいという人もいるだろう。色々な人のニーズに応えてくれそうな、わかりやすくてコンパクトな解説書。おすすめです。

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2 件のコメント

  • 面白いですね。興味深く拝読しました。
    ちょっとわかりにくかったところがありますので質問させてください。
    1.「知的な初心者」のところですが、「知的な」のは問題解決行動などがとれる、「初心者」というのは知識が少ない、ということですか。そして、「知的な初心者に(へと)」「知的な初心者を」育てるというのは、子どもたちはみな初心者であるが、知的な存在に育てるということですか。
    2.世界の見方が変わるというのは、たぶん「常識的な見方」が教科内容を通してみると単なる体験を越えた別の見方にまで高まるということでしょうか。もし、そうなら、今の学校はその前段階の?常識的な見方(というか見方以前の基礎知識)の提示や習得に懸命な気がします。私見ですが「はいまわる体験」と「思わず背筋が伸びるような知識」が隣あうと、ハイライト効果がでるとも思います。
    3.「国語特有のものの見方・考え方」ですが、「国語」を日本語としたら、たぶん日本語の持つ表現の特徴的なことなどになるだろうし、「国語科教育」としたら、おっしゃるような「言葉のレンズ」みたいなものを意識させるものになるのだろうと思います。レンズですから意識させるのはやっかいでそれこそ外国語などを並べると透明なレンズの屈折の違いなども見えてきそうですね。「生きていく力」は他教科でも共通してると思いますが、「母語」ということなら(外国語学習とは違って)自己を成立させるような基本的な存在なのかな?とも思います。

    • コメントありがとうございます。
      1の「知的な初心者」は、「知識は少ないけれど自分で熟達して問題解決行動がとれる」ということだと思います。そういう存在に育てる、ということですね。
      2は、校種(発達段階)にもよるのかもしれません。中・高くらいまでくると、「常識的な見方」を別の見方に転換する場面も多く出てくるというのが実感です。
      3は国語=国語科教育、ということです。

      質問を反映して本文もいくつか書き直しておきます。ありがとうございました。