[読書]さまざまな「つながり」を作る構成力に感嘆。小池陽慈『ぼっち現代文』

小池陽慈『ぼっち現代文 わかり合えない私たちのための〈読解力〉入門』は、幅広い年代を教えた経験を持ち、予備校講師としてだけでなく読書教育にも力を入れてきた筆者だからこそ書けるユニークな本だ。他者論を扱う評論入門であり、国語の読解力をつける参考書であり、そして何よりジャンルの幅の広いブックガイドである。こういう本を作れることに、教える場は異なりこそすれ、同じ国語科教員として感嘆してしまうのが正直なところ。

目次

一冊でいくつもの顔を持つ本

小池陽慈さんは河合塾で教えるかたわら、読むことや書くことに関する執筆も旺盛にされている方である。これまでの著作の中で、僕が一番好きなのは、小池陽慈『世界のいまを知り未来をつくる評論文読書案内』(晶文社)。これは、「中心ー周縁」問題を大きな共通テーマにして、頻出の評論トピックを教材ごとに読んでいく試みだった。

今回の小池陽慈『ぼっち現代文』もまた面白い試みの一冊だ。これは、副題の「わかり合えない私たちのための〈読解力〉入門」にあるように、「他者との理解可能性」という共通テーマのもとに、さまざまな素材文を配列した上で、読解力を伸ばす知識のレクチャーもある作品で、まるで著者の連続講義を受けているように読み進められる。他者論の入門書でもあり、国語の読解技術を紹介する参考書でもあり、ブックガイドでもある。いくつもの顔があるのだ。「14歳の世渡り術」シリーズの一冊とあって中高生向けを意識しているので、『世界のいまを知り〜』よりも読みやすいのもいい。

評論だけでなく、小説・童話・そして詩も!

そして率直に言えば、元・高校国語科教員として、このラインナップの本を作れる著者の力量に嫉妬してしまう。というのも、本書は評論だけでなく、小説や童話、詩まで収めたアンソロジーなのである。冒頭は、おそらく多くの読者が小学生の時に教科書で読んだ、あまんきみこの童話「おにたのぼうし」。そこから中学校の定番教材「走れメロス」と進む。ここまでは、多くの読者がすでに読んでいるはずの作品を使った、いわば序奏部分。ここから評論の頻出テーマを扱った文章に進んでいくのだが、その中に石垣りんの詩「子供」を丁寧に読み解いた章があるのも心憎いばかり。最後は再び童話の宮沢賢治「なめとこ山の熊」で締め括られる。こういう素材文の多様性はやはり著者ならではだろう。

そして、そうした配列の中で筆者はいわゆる読む技術についても手ほどきをしていく。別にこの手ほどきが本書のメインだとは僕も思わないが、例えば「述語を中心に据えて文を読むことで、わかりにくい文の意味を掴む」(第三章)など、文法知識を独立して教えずに文章を読む中で活用できる知識として取り扱う姿勢は、まだ僕にはなかなかできていないこと。ここも筆者の予備校講師としての力量が発揮されている場面だと思う。

本を読むとは、ネットワークを作ること

そんな本書の個人的なハイライトは、終盤の第10章。これまで紹介してきた本を振り返り、それをつなげて見せた上で、筆者は本を読むことがどういうことかを読者に語る。

一つの文章は、一つの文章だけで閉じているわけではありません。

他の、無数の文章と、つながっていきます。

もちろん、皆さんの頭の中で。

皆さんが、どんな本を読み、どんなところに注目し、どんなことを考えてきたのかーーそうしたたくさんのことが、皆さんの頭のなかにネットワークを作り出しているのです。そうして次の一冊を読み始めるとき、皆さんは、意識しようとしまいと、そのようなネットワークのなかに、その本を位置づけて読むことになる。(p200)

僕も似たようなことを考えてはいるが、これを子どもたちに実感してもらうのがなかなか難しい。ただ多読するだけでなく、一つ一つの本について内容を咀嚼し、記録し、関連づけていく行為なくして、このようなネットワークは作りにくからである。しかし、僕たち読むことを教える教師には、確かにこのネットワークの魅力を子どもたちに伝えることが必要なのだ。ここは、そう思わされた箇所だった。

そして、本書は、その構成自体が「ネットワークを作る面白さ」を伝えてもいる。単に他者論を取り扱う文章を繋げたというだけでない。読解の技術と具体的な文章をつなげて、技術が実際に読書に役立つことを示し、詩、評論、小説、童話といった、通常は別物に扱われるさまざまなジャンルもまた、つないでいく。本書は、いくつものネットワークの網の目で結びついた有機体のような本なのだ。様々な要素を結びつけ、つながりを作る構成力は見事。感嘆するしかない。

沈黙の持つ豊かさに触れる結末

さて、冒頭で「自分は『ぼっち』である」と告白する筆者は、本書を通して他者との理解可能性を探る。そして結末でも筆者は結局のところこの問題は解決されないままであるのだが、この章で「ぼっち」の三文字に込められた意味の深さは、冒頭部分とは桁違いだ。どちらの場面でも「ぼっち」の筆者は一人で黙って俯いているのだが、結末部分では、いろいろな文章を読み、考え、思考した末の沈黙だけが持つ豊かさが感じられる。その豊かさが、本書の読後感を(すっきりとはしないが)明るいものにしている。僕が今も高校の現場にいたら、生徒に勧めたくなる一冊だ。

 

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