読書教育に関心のある保護者にとって、家庭での読書教育の指針となる本が刊行された。笹沼颯太『東大発! 1万人の子どもが変わった ハマるおうち読書』は、子どもが読書にハマるオンライン習いごと・Yondemy(以下ヨンデミー)の創業者・社長である著者が、その知見を活かして、「読み聞かせはしたけど、それからどうしよう?」という保護者の疑問に答える本となっている。
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一人読みへの移行を支える知見がたくさん
本書の特徴は、笹沼さんがヨンデミーの経験やさまざまな書籍から学んだ「読書教育のノウハウ」を、専門的知見のない読み手にもわかりやすく伝えていることにある。ひとつひとつはオリジナルの知見とまではいえず、リーディング・ワークショップやアニマシオンなどで見かける話も多いのだが(ここはもう少し出典を丁寧に書いても良かったかもしれない)、これらの知見を読書教育に関心のある家庭に届けてベストセラーにしていることは、類書ではなかった本書の功績だ。なにしろ、読み聞かせのあと、一人読みに移行する時期をどう支えるかという点について、家庭向けの情報は少ない。その移行期を支える本として、本書は第一の選択肢になるだろう。
僕自身も、本書には賛成できるTipsが多い。そもそも「読書家というアイデンティティを育てる」という基本理念は、まさに「読書家の時間」(リーディング・ワークショップ)が目指していることだし、本書では、子どもが無理なく読書の幅を広げる実践的工夫がたくさん紹介されている。
とりわけ選書については大事…!
特に、選書については参考になることが多い。例えば本の難易度について、◯年生向けを当てにしない(p86)とか、「頑張れば読めるではなく、疲れずに読める本を」(p94)などは、つい我が子の背伸びを喜んでしまう僕のような未熟な親にとっては、本当に大事な指針である。「楽しく、たくさん、幅広く」も、「自分にあったレベルで、まずは大量に、ついでジャンルの幅を広げて」という、読書教育を通して読む力をつけるステップを忠実に踏んだ目安で、僕も授業で紹介させてもらっている。
そして、ヨンデミーの一番の強みは、こういう指針のもとでヨンデミーレベルという独自の指標を開発し、難易度と好みの二軸から子どもに次の一冊をリコメンドする仕組みなのだろう。ここは本書ではなくヨンデミーのサービスを契約しないと体験できない部分だが、膨大なデータに基づくこうした選書のサポートは、正直、人間である僕がかなわない点だ。もしヨンデミーの学校教育版が出たら、恥も外聞もなくおおいに活用したいと思っているほど(笑)
読書できなくても生きていけますよ
とまあ、本書の内容には僕もほぼ賛成だし、お勧めできる本なのだけど、ひとつだけ異論も書いておきたい。本書の最初に書いてある通り、本を読むことは大事だし、小学校期間が大事なのもその通りなのだけど、僕は一方で、「本が読めなくてもなんとかなる」ことも保護者に伝えておきたいと思うのだ。
そもそも読み書きは、話す聞くと違って、人間にとって「自然」な行為ではない。かつては大人も本が読めない人が多数だった、というシンプルな歴史的事実は重い。読むことや書くことは、言語運用能力の中でも、トレーニングが必要な分野なのだ。現代の高校生も、2名に1名が不読者(月に一冊も読まない人)であると推定されているが、読まない人たちも立派に生きている。こういう、ある意味で「冷めた」見通しは、読書教育に関わる者として、どこか持っていたいものだ。
まして、本書の読者は「我が子に本を読ませたい」親だろうから、読むことがそのまま人生の成功に結びつくことを強調しすぎると、そういう親を煽って子どもを追い詰めかねないな、とも感じる。だから、あえて「読まなくても平気」なことも書いておきたい。
読書がリアルな習い事になる未来?
最後に本書と直接関係のない話を。これはたしか以前に笹沼さんともお話したことがあったと思うが、ヨンデミーのような選書を核とした読書支援サービスが出てくると、もともと「読書家の時間」を実践していた僕としては、どうしても「ヨンデミーにできて自分にできないこと」や「自分にできてヨンデミーにできないこと」が何かを考えてしまう。まあ、ここではあまり詳しくは書かないけど、こういう思考を導いてくれるだけでも、ヨンデミーは僕にとってありがたいサービスだ。
とはいえ、現状のヨンデミーはオンラインというけっこう大きな制約があるので、まだまだ人間に分がありそうだ。ヨンデミーが働きかける相手は、エンドユーザーの子供よりも保護者中心にならざるをえないが、僕は直接子供に働きかけられる。僕のような「読書好きの人間」が教室空間にいて、環境を整備したり、本人やそれを含む集団に働きかけたりする対面のメリットはとても大きいのだ。
でも、例えばヨンデミーがオンラインだけでなくリアルな教室運営をするようになったら、どうなるかわからない。日本の国語教育は「読解/読書」の二分法のもとで前者を教室で重視し後者を疎外してきた経緯があるが、国語教育が教室の外に追いやった「読書」が、スポーツやピアノと同じような対面の「習い事」として成立する可能性はおおいにある。学校教育に身を置く僕としては、「そうなる前に、教室でちゃんと読書教育やろうよ」と呼びかける側なのだけど、さて、実際はどうなるでしょう? 答え合わせが楽しみ。