先週水曜日、今年度2回めの軽井沢町内教職員合同研修があった。今年度の軽井沢町内合同研修は、「この指とまれ」形式。各校の「この研修をやってみたい」人がその講座(ブースと呼ぶ)を提案し、予算も申請して、そこから参加者が通年で参加したいブースを選んで参加する。僕は、研修の全体設計をするコアスタッフでもあり、自分でもブースを企画した。今日はこの合同研修についての備忘録的エントリ。
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担当ブースは「大人のライターズ・サークル」
僕の担当ブース「大人のライターズ・サークル」は、ピーター・エルボウ(岩谷聡徳:監訳)『自分の「声」で書く技術』をテキストに、まずは教員が実際に書いて読み合う経験をしようよ、というブースである。本書のレビューは過去エントリを見ていただきたいが、そこにも書いたとおり、この時から「この本をテキストにしたライティング・グループをやってみたい」と思っていて、それをこの機会に実現させたわけ。
本来は町内教職員であればだれでも参加できるんだけど、結果的に参加希望者が風越スタッフばかりの7名。初回は僕が進行役で1時間だけ実施して、「本番」の先週水曜日は、『自分の「声」で書く技術』監訳者の岩谷聡徳さんを進行役にお迎えして、2時間の研修を実施した。やることのメインは、『自分の「声」で書く技術』に書かれた、ティーチャーレス・ライティング・クラスの実践。お互いが事前に書いてきた文章にコメントしあう、それだけ。でも、「褒めるのではなく、助言するのでもなく、心に浮かんだことを語る」という、ティーチャーレス・クラスでのフィードバックが、なかなかに奥深いのだ。
「書き手を読む」、岩谷さんのフィードバック
なかでも進行役・岩谷さんの「読み」はめちゃくちゃ面白かった。彼の読みはある意味でとてもまっすぐだ。YesはYesと言い、NoはNoと言う。初対面の相手の文章に対してこうまっすぐNoと言えるの、ぼくにはなかなかうらやましい。子ども相手だと僕と子どもの間には、評価するーされるという権力関係がどうしたってあるので、なかなかこうは言えない。同僚相手にも、まだ遠慮もあるつもり。でも、岩谷さんは、多少の手加減は本人の中であるのかもしれないけど、まっすぐフィードバックをくれる感じがして、それが面白かった。
その岩谷さんの読みは「書き手を読む」読み方だ。書き手が、意識的にここを伝えたくて書いたところというよりも、語尾や形容詞のさりげない表現に着目して、そこに無意識に溢れ出る書き手そのものを読む読み方。ちょうど高校教師が小説の語り手を読むのと同じような、ちょっとメタな読み方をする。でも、そういう読みをするほうが、その書き手が本当に向き合うべき自分自身や大事にしたい重心に出会いやすいからなのだろう。僕もこういう読み方をもっとできるようになるといいな、と思う。
何より、岩谷さんが僕たちの提出した文章にびっしりとメモを書いていたのに驚いた。ほんとうにもう、びっしり。「書くことは読むこと」とおっしゃっていたけれど、ここまでちゃんと読んでもらえたら、やっぱりうれしいよなあ。
フリーライティングに向くデバイスとは?
こんなふうにお互いの文章にコメントをしあう中で、自己検閲をしないフリーライティングにはどんなデバイスが向くのか、という話題も出た。最初はパソコンか手書きか(おそらく手書きだろう)という話題だったのだが、そのうちに、手書きでも書き味の良いお気に入りのペンやノートの話題になり(ちなみに岩谷さんはジェットストリームライトがお気に入りだそうだ)、それから、実はあとから編集しにくい音声を使った音声入力がフリーライテングに一番むくのでは、という話にもなった。この話題も面白かったな。
僕はこれまで、メモ書きをするときは紙のノートとペンで、文章を書く時はパソコンで、という感じで使い分けていたのだけど、パソコンだとどうしてもすぐに編集(自己検閲)する意識が生まれてしまって、フリーライティングには向かない気もしている。どんなデバイスで書くと自分にどんな変化が生まれるのか、もう少し色々と試してもいいかもしれない。
できれば定期的にやっていきたい!
とまあ、自分が書き手として文章を書き、読み、コメントする経験は、書くことについていろいろ考える機会をくれる。次回の教職員研修は10月なのだけど、それまでに月1回くらい、有志で自主的に継続していきたい。また、機会があったら学校の外の関心がある人たちとも、一緒に書くことをやっていきたいな。「教師が書くこと」を中核に据える僕が他校の先生とできるのって、そういうことだと思うから。