これは素晴らしい本だった。小説を書きたいという生徒や小説って何だろうという生徒がいたら、これからの僕は、この本をまず薦めるだろう。ただし、君の予想とは違うかもしれないけど、という注釈つきで。何しろ、具体的な書き方の助言が一切ない。では精神論の本かといえば、ある意味ではとても実用的だ。そのくらい変で、でも素敵な、最高の入門書だと思う。
目次
昔の僕に手渡したかった本
この本について書こうとすると、僕の記憶はいきなり10年前にさかのぼる。ライティング・ワークショップをはじめたばかりの僕は、自分で書くこともしていないのに、授業のミニ・レッスンの題材探しに、「はじめての小説の書き方」系の本を何冊も読んで、そこから「書き出し」や「伏線」などの知識を得て、授業で紹介していた。
授業の後で、ある一人の生徒が、僕を心底バカにしきったような口調で(実際、心底バカにしきっていたのだろう)、こう書いてきたことがある。「こんな小手先の技術を寄せあつめて小説ができるはずがない。この授業は何も教えていない」。彼の言葉に納得もしつつ、「でも、こういうこと以外の小説のアイデアそのものは、結局、教えられない。本人次第なんじゃないか」とも思ったものだ。
今の僕が、当時の僕に一冊だけ本を薦めるとしたら、間違いなくこの『一億三千万人の小説教室』を選ぶ。小説について考えることが誰よりも好きな小説家である著者が、「小説とは何か、小説を書くとはどういう体験か」について愛情深く、親しみやすく語った本だからだ。
「小説の書き方は教えられない」
最初に著者は、読者の期待を打ち砕くかのように、こう言う。
すべての傑作といわれる小説は、その小説家が、最後にたったひとりでたどり着いた道、その道を歩いて行った果てにあります。そんなのを書く方法なんか、だれにも教えられるわけがない。….(中略)…わたしが、みなさんに書いてもらいたいもの(いや、これは傲慢な言い方でした。わたしが読みたいもの、と言い換えましょう)、それは、あなたが最後にたどり着くはずの、ああたひとりだけの道、その道の向こうにあるものです。
「小説の書き方は教えられない」と書く著者が、それでも「自分の小説の書き方を自分で見つけていく方法」として提案しているもの、それがこの本。そのために必要なのは、じっと考え抜くこと、小説と遊ぶこと、小説を真似てみること。
小説を書くために必要な20の「鍵」
この本は、小説を書くために必要な「鍵」を読者に手渡しながら、それを実際に試すことをすすめる。小説とは何かをつかまえるには、自分で実際にやってみるのが一番だから。何かを、わからないままに、やってみる。そして、筆者が紹介する「鍵」は、次のようなもの。きっと、これを読んだだけでは「なんのことやら」と思うだろう。けれど、最初から通して読んでいくと、水が岩の隙間から染み入るように、読み手の中に入っていく言葉たちだ。小説と仲良くなり、小説を楽しみ、そして小説を書けるようになるために必要なことたち。
- なにもはじまっていないこと、小説がまだ書かれていないことをじっくり楽しもう
- 小説の、最初の一行は、できるだけ我慢して、遅くはじめなければならない
- 待っている間、小説とは、ぜんぜん関係ないことを、考えてみよう
- 小説を書く前に、クジラに足がなん本あるか調べてみよう
- 小説を、いつ書きはじめたらいいか、それが、いちばん難しい
- 小説を書くためには、「バカ」でなければならない
- 小説に書けるのは、ほんとうに知っていること、だけ
- 小説は書くものじゃない、つかまえるものだ
- あることを徹底して考えている。考えて、考えて、どうしようもなくなったら、まったく別の角度で考えてみる
- 世界を、まったくちがうように見る、あるいは、世界が、まったく違うように見えるまで、待つ
- 小説と、遊んでやる
- 向こうから来たボールに対して、本能的にからだを動かせるようになる
- 小説は、どちらかというと、マジメにつきあうより、遊びでつきあった方が、お互いのためになる
- 小説をつかまえるためには、こっちからも歩いていかなければならない
- 世界は(おもしろい)小説で、できている
- 小説を、あかんぼうがははおやのしゃべることばをまねするように、まねる
- なにかをもっと知りたいと思う時、いちばんいいやり方は、それをまねすることだ
- 小説はいう、生きろ、と
- 小説は、写真の横に、マンガの横に、あらゆるところに、突然、生まれる
- 自分のことを書きなさい、ただし、ほんの少しだけ、楽しいウソをついて
一億三千万人のための入門書
繰り返すけれど、この本には実際に小説を書く技術は一切ない。でも、読み終えると「小説ってこれでいいんだ」と思う。あなたの小説の書き方は、あなた以外の誰も知らないけれど、あなたはきっとそれを見つけられる。それは孤独で自由な道だ。そんな励ましと優しさに満ちた一冊である。そして、「あなただけの書き方」を見つける手助けをしている点では、とても実用的な本とも言える。本当に大切なことはここに書かれている、という気がしてくる。
この本は「一億三千万人のための」とついている。職業作家かどうかなんて関係なく、誰にでもその人だけの小説が見つけられる。そんな、小説と読者への信頼感に裏打ちされた本だとも思う。例文として出てくる小説も変なものが多いことを含めて、好みは分かれるかもしれないけど、僕はこの本が大好きになった。
あと、子供の頃に読んだケストナー「エーミールと探偵たち」を読み直してみたい。筆者によると、小説を書くための鍵が、たくさんつまっている本なのです。
「小説をどう書くか」よりも「小説(を書く)とは何か」を示してくれますね。それでこそ、本質的で普遍的な「(ここでは日本語の読めそうな)1億三千万のために」と言えるものだと思いました。そういうものこそ本当に実用的でもあると思います。たぶん、学校での教育内容も本当はそうあるべきなのでしょう。
そうですね。この本では学校の教育に対する批判なども書かれていたのですが、授業という枠の中でこの本を目指していることを(少しでも)するにはどうしたらいいのかな、と思いました。
『一億三千万人のための小説教室』読みました。面白かったです。こんなにさらっと読めた岩波新書もまれだったかも(笑)
自分が高校時代に文芸部に入って小説らしきものに挑戦していたことを思い出しました。ようやく国語の授業などで小説の面白さに目覚め、同時に好きな作家を見つけて読み、真似をしていた時期で、苦労して書いて文化祭用の同人誌に載せてもらったものの、その感想は「高校生に小説など書けるわけがない」という無念の確信でした。とにかく自分以外の世界や人の思いを知らなさすぎるという気持ちが強かったです。
でも、この本を読んで「ああ、あのときの挫折感は正しい挫折だったんだな。むしろ、とにかく無謀にも挑戦したひとつの勲章かも」と思い直せました。おススメいただいてありがとうございました。同書の中のブックガイドの本も少しずつ読みたくなりました。楽しみです。
そういえば、創作に向かう人は「小説」に限らずよく似た道を通るようで、9/2にあったスイッチインタビューでの漫画家・山本直樹さんの言葉にもたくさん似たような発言がありました。