昨日、今日と読書家の時間が良い感じだったので、簡単なその記録。この感じ、忘れずにいたくて、備忘録として書く。
目次
昨日は、「今月の詩」を選ぶ
今年に入ってから僕は教室の窓に詩を書いて、そこに子どもたちにイラストを添えてもらっている。6月までは僕が好きな詩を選んでいたのだが、昨日は「7〜8月の詩を選ぶ」と題して、6つの候補を用意して、それをみんなで読んで、好きな詩に投票することにした。用意したのは次の詩だ。
- 高見順「われは草なり」
- 工藤直子「おれはかまきり」
- 竹中郁「足どり」
- クリスティナ・ロゼッティ「風」
- 谷川俊太郎「ネロ 愛された小さな犬に」
- 有馬敲「せみ」
なんで投票制にしたのかというと、先月の詩のイラストを描いてくれたある子が「これ、みんなで選んだ詩を書けばいいじゃん」と言ってくれたのだ。もともと詩の好きなこの僕が、ましてそう提案してくれた子はふだんは国語が苦手な子なのだったから、この提案に乗らないわけがなかった。すぐに「じゃあ来月からそうしよう」と言って、昨日それを実現したというわけ。
昨日、みんなで声を合わせて詩をいくつも読んだのは楽しかった。特に谷川俊太郎「ネロ」は、夏が近いこともあって「長すぎるかな?」と思いつつ候補に入れたのだが、僕がこの詩を読んでいるあいだ、しーんと皆が静まり返って聞いているのも印象的だった。そして、国語が苦手なあの子が、一生懸命に読もうとしてくれているのも嬉しかった。
こうやって6つの詩を味わった後の人気投票の結果は、1位が谷川俊太郎「ネロ」、2位が有馬敲「せみ」、3位が2つあってクリスティナ・ロゼッティ「風」と竹中郁「足どり」だった。金曜日か来週には、誰かがイラストを描いてくれるだろう。楽しみだ。
「おそと読書」で美しい風景を作りたい
今日は「おそと読書」の日。文字通り、「外で読書する」だけ。子どもたちは本を持って、思い思いの場所で本を読む。テラスに寝そべって、ベンチを出して座って、薪棚のひさしの陰で、タープの下で、森の中に入って、木の上に登って…。ただそれだけで、カンファランスもしない。約束は一つだけ。他の人から離れて一人になること。「すてきなひとりぼっちの時間をつくろう」と、谷川俊太郎の詩のタイトルを使って話をした。
本当はもっと早くやりたかった今年の「おそと読書」。なんだかんだで伸びてしまって今年これが最初なのだが、やはりいいな。外で読んだからって読む力が上がるわけではないし、むしろカンファランスをしないので「放置」に近い。けれど、やはり、めいめいが自分の好きな屋外の場所で本を読んでいる姿は美しい。美しいということは、そこに何かしらの価値が内在しているということだ。この「いい感じに読んでいる」風景は、何かにつながっているのだと信じる。
読み手の物語に耳を傾ける「読書家ストーリーズ」
そうそう、今日は、「ようこそ先輩」改め「読書家ストーリーズ」もあった。9年生が僕の5・6年生の教室に来てくれて、今の読書生活や自分が5・6年の頃に読んでいた本について話してくれる、去年から始まった企画だ。「ようこそ先輩」という名称がNHKの番組のパクリだったのが気になっていたのと、「本」よりも「読み手」にフォーカスするといいなと思い。「読書家ストーリーズ」に改名した(作家の時間の「オーサーズ・トーク」と対になるといいなと思ってる)。
さて、今日の「読書家ストーリーズ」のゲストはあまり読書が好きでない中3男子。今日は小6から中3の今までずっと読んでいるという、はやみねかおる『怪盗道化師』を紹介してくれた。
読んだきっかけが、「自分もここに出てくる子のように自転車に乗れなかったから、自分のことが書いてある!と嬉しかったから」と語ってくれ、それからはセルフ・ディスカバリー(9年生のアドベンチャー行事)で自転車で日本海まで行けるようになったことを生き生きと話してくれた。ほとんど「自転車ストーリーズ」だったのだが、読書が好きでない子も安心して聞ける、良いインタビューだった。
この「読書家ストーリーズ」は、別に読書好きの先輩だけが呼ばれるのではないところに価値がある。そして思うに、読書家という言葉の意味は、「たくさん本を読む人」「読む技術がある人」「難しい本が読める人」などにとどまらない。僕はこの言葉をもっと広い意味で使いたいのだ。例えば、詩にイラストを描いてくれる子、「窓の詩をみんなで選ぼうよ」と提案してくれる子、自分の居心地の良い場所を見つけて読書できる子、みんなの前で自分と本の関わりについて話せる子、それに興味を持って聴き入ることができる子….。たとえ読むのが苦手だったり、嫌いだったりしても、そういう子たちを読書家として尊重したい。そうでないと、能力比較になって苦しくなってしまうだろう。
何の力がつくのかはわからないけど…
窓の詩にイラストを描くこと。天気の良い日に野外で読書すること。9年生の読書生活に耳を傾けること。どれも「それで何の力がつくのか」と問われるとはっきりと答えられないことばかり。それでも僕は、風越に読書文化を作っていく上で、こういう試みが、多読や精読を促す声かけや仕掛け以上に大切だと感じている。「いい感じだな」と思う風景に包まれることで、人はリラックスして自分の力を発揮できる。そうであってこそ、結果的に力もつく。一見遠回りのようでも、こういう「いい感じの風景」を継続して作っていきたい。