作文の認知モデルの研究者が提案する、書けるようになる方法

なんとなく、下記の2つのエントリに引き続く形の短期連載。ラストの今回は、Kellog(2008)の論文で提案されている「子どもが文章を書くのをサポートする方法」についてまとめてみたい。結論は当たり前というか非常にシンプルで、「先達がモデルを示しながら、子どもの一度の負担を抑え、継続的に書き、フィードバックを受ける機会を設ける」ことが大事というもの。以下、詳しく見てみよう。

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目次

前回までの簡単まとめ

これまでの2つのエントリで書いてきたのは、

  1. 書くことはとても認知的負荷の重い複雑なプロセスであること
  2. ワーキングメモリーが未発達な子どもには、読者を意識するなどの高度な書き方はもともと難しいこと

ということだった。では、どうやって子どもの作文執筆過程をサポートすればいいのか、というのが今回のお話。

実はKellog(2008)の提案は非常にシンプルで、要は「書くことに関係するワーキングメモリーの負荷を減らしつつ、その強化を図るようなトレーニングを積めば良い」というものである。このそれぞれについて見てみよう。

ワーキングメモリーの負荷を減らす

以前に引用したHayes(2012)のモデルを改めて提示すると、書くことは

  1. コントロールレベル:動機付けや目標の設定など、書くプロセス全体を管理するレベル
  2. プロセスレベル:実際に文章を書くプロセスを遂行するレベル
  3. リソースレベル:書くために必要な言語的な知識や書く内容についての知識を収集し保存するレベル

という3つの領域にまたがる作業なので、とても認知的な負荷が重い。だから、まずはこの負担を減らすことで書くことをサポートしよう、という考え方だ。例えば、書く内容を生徒たちがよく知っていることに限定すればリソースレベルでの負荷は軽くなる。書き方をある程度指定すれば(例えば必ずアウトラインを書きましょうなどと指定する)、プロセスレベルでの負荷は軽くなる。書くテーマを決めてしまえば、コントロールレベルでの負荷は軽くなる。こうやって負荷を軽くして、子供たちのワーキングメモリーでも処理できるような課題にしてやるのである。

「配慮」がモチベーションを下げる側面も

ただし、個人的には、こうした工夫はもちろん多くの教師がすでにしていることだと思うし、厄介なのはむしろこのような「介入」が行き過ぎて、生徒たちの「自律感覚」を損ない、書き手としてのモチベーションも下げる副作用を持つことだろうと思っている。「自由」と「配慮」のバランスが大事になるはずだ。

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逆に言うと、書く内容やプロセスを大胆に生徒に委ねる手法であるライティング・ワークショップは、生徒の認知的負荷の重さが課題になる。小学生に複雑なライティング・プロセスを「まるごと」体験させることは、作文の認知プロセスの研究者の立場からは、負担が重すぎるとみられるだろう(下記エントリ参照)。

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ワーキングメモリーの強化をはかる

第二の方法が、ワーキングメモリーの強化を図る方法。ワーキングメモリーは20歳代にかけて自然に成長していくものでもあるが(ちなみに40代・50代以降から減少していく…)、基本的にトレーニングを積んでいくことで経験値も増え、一度に処理できることも増えていく。これは他のスポーツや料理などと同じ話だ。では、どうトレーニングすればいいのだろう? その方法としてKellog(2008)が提案しているのは二つ、learning by doinglearning by observingである。

実際に書くことで学ぶ(learning by doing)

Kellog (2008)は、熟達に関するEricsson, et al., 1993)の研究を引用しつつ、次の5つの方法が有効であるとする。

  1. パフォーマンスを改善する努力を重ねること
  2. 課題に対してやる気を持ち続けること
  3. 自分のレベルにあった課題で練習すること
  4. 結果についてのフィードバックを得ること
  5. 頻繁に繰り返すこと

ぐぬ…王道というか当たり前というか、逃げ道はない感じですなあ…。「わかっちゃいるけどさあ、それができれば苦労しないんだよね」な項目である。ただ、ここでkellog(2008)がさらに補足しているのは、「自分の詳しい分野について書くとモチベーションが上がるよ」ということと、「長大な文章を書くよりも頻繁に書くようにした方が効果が上がるよ」ということ。これは、作文教育に関心のある先生なら経験的にご存知のことだと思うが、どちらも大事なことだ。

書き手のモデルを見て学ぶ(learning by observing)

もう一つKellog(2008)が強調しているのは、認知的徒弟制(cognitive apprenticeship)と言って、メンターをモデルに観察して学んでいく方法。先達の助けを借りて学ぶというと、教育ではヴィゴツキーのZPD(Zone of Proximal Development)が有名だが、Kellogg(2008)はSchunk & Zimmerman(1997)を引用しながら、次のステップで説明している。

  1. 先達のやり方を観察する
  2. 先達の振る舞いをそのまま真似る
  3. 認知的プロセスの負荷を減らすために練習を重ねる
  4. 認知的プロセスをコントロールできるようになる
  5. 内部や外部の条件の変化にも対応できるように練習する
  6. 自己調整されたパフォーマンスが獲得される

Kellogg(2008)は、上記の方法とモデルからのフィードバックが書くことの成長には必要だとしている。こうした提案は、正直目新しいことではない。教師が書く先達としてのモデルを示すことの重要性は、これまでもこのブログで何度か言及してきた(例えば下記エントリを参照)。

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しかし、目新しくはないが、これをしっかりできるように教師自身が書く経験をつみ、生徒の前でデモンストレーションし、そして授業をデザインするのは、正直大変なことである。

まとめ:作文の認知モデルの研究が主張してきたこと

関連エントリも含めて内容をまとめよう。1980年代以降、作文の認知モデルの研究が主張してきたことは、次の4つのことだった。

  1. 書くことが複雑な認知プロセスであること
  2. 書くことの熟達には時間がかかるということ
  3. 未熟な書き手には、書く際の認知的負荷を減らすことが有効だということ
  4. 熟達のためには書く経験や先達のモデルを見て学ぶことが有効だということ

結果的に、Kellog(2008)が提案するのは「これさえやればスラスラ書けるようになる魔法の○○式作文教育法」という類のものではなく、「書いて学ぶこと」「上手な人のやり方を見て学ぶこと」である。

改めて読むと「当たり前だな」という印象さえ持ちかねないが、まあ、実際にそういうものなのだろう。生徒の側は日々書くことが大事だし、教師の側は書き手としての先達であり続け、かつ生徒にフィードバックすることが大事。実際の授業でも、生徒への認知的負荷が大きくなりすぎないように配慮しつつ、その成長を待つ。

きっと、個々のテクニックを超えて、こういう普遍的な考え方を芯としてしっかり持っておくことが大事なのだと思う。そこを見失うと、小手先の技術ややなんとか式作文教育法に、その都度騙されてしまうから。

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