ライティング・ワークショップのカンファランス、今学期の手応えと課題。

ライティング・ワークショップはちょうど5回目。日程的にも全体の半分くらいきたところです。生徒の進み具合は、面白いくらいばらばら。下書きはもう少しで完成する生徒もいれば、いまだに書く題材が見つからない生徒もいる。今回は現在進行形の授業のカンファランスについて振り返ります。

目次

いまのカンファランスのやり方

40人学級×複数クラスでカンファランスする難しさは、このブログや下記の本でも書いている。人数が多いので、どうやって個々を把握するかが大きな問題になるのだ。

どうする? 難しい40人学級のカンファランス

2017.02.17
僕も試行錯誤しているのだけど、カンファランスのやり方・記録の取り方は、去年の3学期にある程度の手応えを感じることができた。

ライティング・ワークショップ、今回はカンファランスを頑張りました。

2018.02.24
それで、今回も基本的には同じやり方を踏襲している。一つだけ変えたのは、大福帳の内容を手元のスプレッドシートに転記するのに音声入力を利用するようになったことくらい。時間はあまり変わらないのだけど、疲労度は段違い。

「点」から「線」になってきたカンファランス

このカンファランス、やり方には大きな差がないのに。ちょっとずつレベルアップしている実感がある。これは、今の生徒たちを受け持って二年目となり、ライティング・ワークショップもリーディング・ワークショップもやって、それぞれの生徒の個性が少し見えてきたからだろう。生徒の性格やワークショップ中の動きも少しずつわかるようになって、それがカンファランスの助けになっている。作品や書かれた文章に反応するのではなくて、書き手に対するカンファランスになってきたかな、と思うことが増えてきた。

具体的には、「この書き手は原稿を読んでもらいたくないタイプだから、こちらから例を示そう」「この生徒の持っている力からすると、ちょっと楽な道を選んでいる気がするな。すんなりと進ませないで、揺さぶる質問をしてみよう」「相変わらずな様子だけど、今回はまだ我慢して、次に声をかけてみよう」「彼は書く間は狭い場所でひっそりと書きたいから、授業前や後の時間に声をかけよう」などなど、ある程度こちらが考えてからカンファランスすることが増えてきた。

要するに、カンファランスがその都度の「点」じゃなくて、その生徒のことを少し理解した上での「線」になってきた気がするのだ。これは、ライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップを重ねてきて、個々の生徒との接点が増えた効果だと思う。もちろん、生徒のことを「完全に理解する」瞬間なんでこないので、わかってきたというのは思い上がりかもしれないのだが、それでもこちらが考えてカンファランスできるようになったのは嬉しい。

プロセスについての質問が増えた

また、彼らが自分の書くプロセスに自覚的になるように、プロセスについての質問も増えてきた。「次はどうする?」だけじゃなくて、「選ぶときの基準はどう決めるつもり?」とか、「この先はどうやって書くことに移っていくの?」など、書くプロセスにメタな視点を持つ質問をときおり投げ込んでいく。そうやって「書き手としてどう振る舞うのか」に自覚的に、戦略的になってほしいのだ。自分なりの書くプロセスについて理解し、できれば安心できる方法を持つことが、中等教育における書くことの指導の目標の一つだと思うから。

「譲り渡し」をどこまでするか?

こんな風に、自分では「ちょっと成長したかな?」との手応えもあるカンファランスだけど、相変わらず課題も多い。一回の授業ではどんなに頑張っても13人程度と話すのがせいぜいだし、「この生徒のところにはもっと早く行くべきだった」という「見落とし」もあって、全く万全ではない。

特にいま自分が気になっているのは、「順調だ」と思っている生徒への「揺さぶり」や「こういうやり方もあるよ」という選択肢の提示をどの程度するか、という問題だ。本人が希望しないところであまり押し付けたくないが、今の手持ちの力で、楽にすいすい書けてしまうのでは、負荷がかからない。レベルアップもしてほしい。ここの加減が、正直なところよくわかっていない。こっちが選択肢を提示しても、「それいいですね」とチャレンジする生徒もいれば、ピンと来ない感じの生徒もいる。これは生徒の性格やたまたまのタイミングなんだろうか。それとも、何かいいやり方があるんだろうか。そんなことが気になっている。

「与える」ことを怖がらずに

また、このところ大村はまを読み返しているので、「書き出しを教師が与える」という彼女の教え方を、ちょっと試してみたい気持ちも出てきた。前は「そんなの教師の押しつけだ」「誘導だ」と思っていたのだけど、書き出しを書きあぐねている生徒にとっては、なんでもいいから考える材料があるのはありがたいに違いない。もし僕の与えた書き出しに違和感があれば、その違和感が彼が自分で書き出しを考える第一歩となる。問題の本質は、教師が与えることではない。与えられたものを「ありがとう、でもいりません」と言える関係性を、教師が生徒と築けているかどうかなんだと思う。「与える」ことも怖がらずに挑戦したい。

ちょうど折り返しの時期のライティング・ワークショップ。目新しいことは特にやっていないけど、そのぶんこの授業に対する理解を深めていきたい。自分でもできるだけ意味のある経験になるように、後半も頑張りましょう!

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