[読書]「子供の論理」を見つけ出す名著。奥村高明「子どもの絵の見方」

副題に「子どもの世界を鑑賞するまなざし」とある、奥村高明「子どもの絵の見方」。タイトル通り、子どもの絵を、子どもがどういう観点で描いたかという視点から分析する、とても面白い本でした。

僕がこの本を手に取ったきっかけは、図工のK先生の授業参観。Kさんの「絵を見れば、どう描いたかわかる」という僕には不可解な台詞の謎を突き止めるべく読んだ本です。

これぞ職人!ライティング・ワークショップの真髄のような図工の授業を見学してきました

2019.01.26
結果として、1月の読書の中でも最も衝撃を受けた本の一つ(下記エントリ参照)になりました。別にエントリを立ててメモします。

[読書]「子ども」がキーワードだった2019年1月の読書。特にオススメは3冊。

2019.02.02

どうやって子どもの絵のプロセスを「見る」の?

さて、どうやって子どもの絵のプロセスを見るのか。それにはまず、ぐっと作品に近づいて、子どもが作品製作中に見ているのと同じ距離で作品を見ることが大事、と著者の奥村さんは説明します。具体的にどうやるかというと、

  1. 近づいて見る
  2. 描いた順番をたどる
  3. その子の理由を考える

という順番だそう。ぐっと近づいて、色や線の具合やその重なりを見ながら、子どもがどんなプロセスで絵を描いたのかを想像する。そして、どんな発想を持ち、どんな技術を発揮したのかを考える…。こうして、子どもの声を聞く。それはつまり、外部から客観的に作品の良し悪しを言うのではなく、作品を作った当人の側から作品を見ること。作品を作ったその子に身を重ねること。「作品の評価」ではなく、「作品からの評価」をすること。

この本の素晴らしい点は、何よりも、「子どもの視点で絵を見る方法」が、多くの実例とともに具体的に説明されている点にあります。これ本当に圧巻。なるほど、「絵を見られる」人は、こういう視点で絵からプロセスをたどるのか、と感銘を受けました。図工のK先生も、こうやって完成作品からプロセスを把握しているんだろうな…。

「子どもの論理」を知ること

この本で説明された「子どもの絵の見方」は、ナンシー・アトウェルの(正しくは彼女が引用したグレンダ・ビセックスの)次の言葉を想起させます。

私たちが教える論理が、子どもたちが学ぶ論理と同じとは限らない。

この本で著者は、「まずは徹底的に子どもたちの論理を探ってみよう」と言っているわけです。そうして、「子どもから見える絵の世界」「子どものうまさ」を知ろうとする。これは、ライティング・ワークショップであとウェルが知ろうとしたことと同じ。ライティング・ワークショップを想起させる次の言葉も印象的でした。

描きたいこと、つくりたいことなど、主題は子どもに任せて描かせてみる。すると、どの絵からも「大人のうまい」ではなく、「子どものうまい」が見えてくる。

「譲り渡し」に不可欠なプロセス

誤解を招かないように言うと、僕は「子どもの絵の見方」が素晴らしくて、「大人の絵の見方」を教える(押し付ける)べきではない、と思っているわけではありません。少なくとも、学校教育とは、子どもを一定の「見方」に馴致させていく社会化装置であることは疑いようもないからです。子どものありのままを尊重すべきと思っている人には、学校の教員は原理的にできないし、するべきでもないでしょう。

また、この本も決して、「教えるな」と言っているわけではありません。子どもの論理を知って、それを教えることにつなげていく、というスタンスの本です。

子どもの絵にかかわることにもっと謙虚にならなければならない。その前提の上で、発達に学び、子どもの絵と語り、それを学習指導につなげていく必要があると思う。

僕自身、生徒に教えていると「中学生が面白いと思う文章」と「大人が面白いと思う文章」にギャップがあることを感じます。まずは彼らが面白いと思う文章を知り、彼らが文章を書くプロセスを知ること。そして、彼らのプロセスの中で、社会的にも有益な、教えるべき知識を手渡していくこと。アトウェルの言う「譲り渡し」には、「子どもの論理を知る」プロセスが不可欠なのです。

この「子どもの絵の見方」は、「譲り渡し」に不可欠な子どもの論理を知る方法が、絵画に関してこれ以上ないほど具体的に書かれています。これと同じことが、文章教育でできないんだろうか。文章教育でこの本と同じことをできないんだろうか。そんなことを考えてしまう、とても胸踊る一冊。まだ自分にできていないことが、どうやったらできるようになるのか。そのヒントになる本でした。図工や美術の先生でなくても、教育に関わる人が手元に持っていて良い名著。そう思っています。

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