先日、東京都内の某公立小学校の図工の授業を見学に行きました。中高の国語科教員の僕がなぜ小学校の図工?と思われるかもしれません。実はその図工のK先生とは以前にお話しする機会があり、その時の言葉がとても印象に残っていたのです。Kさんは、こうおっしゃったのでした。
一人一人の「これをやりたい」「いいこと考えた!」という瞬間を捉えて、自分の道具や技術を手渡したいんです。それは職人の技ですよね。
この言葉、ナンシー・アトウェルの「譲り渡し」そのもの。そういえば、もともとライティング・ワークショップの「ワークショップ」って「工房」のことだし、親和性は高いのかもしれない。いったいどんな先生で、どんな授業をなさるんだろう。そんな楽しみな気持ちで、図工室にうかがいました。
目次
図工室、整理整頓の真意とは
授業開始の10分ほど前に図工室に入って、まず驚きました。とても綺麗に整理整頓されているのです。いろんな道具が壁一面に並べられ、できるだけ棚の中ではなく、すぐに手に取れる位置に置いてある。すごい。徹底している。思わず感嘆のため息を漏らしたら、Kさんは、「子供が自分で手に取れるように整理している」とおっしゃっていました。子供達は、使い方を習った道具から、順番に使っていけるようになるらしいです。
確かに、いくら使い方を教わっても、どこに何があるかわからなければ、誰も自分で必要な時に道具を手に取りません。また、取り出しにくくても、面倒臭がって手に取らなくなるでしょう。だから、どこに何があるか、パッとみてわかることが大事。この教室はそれが徹底していました。それでもKさんは不満のようで、「本当は仕事時間の半分は部屋の整理に当てたい」とおっしゃっています。これは、なかなか出てこない台詞。試行錯誤を徹底した先の確信にたどり着いた人の台詞だと直感的に思いました。
今日は図工室の探検の日
授業が始まりました。小学二年生、30名強。この回は三学期最初の授業で、「ならべてつんで」という回。学習指導要領上は「造形あそび」と言って、作品を作るわけではなく、形や色を起点に造形を楽しむことを目的にした単元のもよう。今回は、図工室の中にあるものを並べたりつんだりして遊ぶよ、という説明がされます。Kさんは表情豊かにずっとニコニコしながら「今日は図工室を探検して色々と探してください」。子どもたちから歓声が上がります。「安全にやる」「出したものは元の場所に戻す」という約束をして、開始10分もたたないうちに、子供達は図工室のあちこちに散っていきました。
子供達はボウルを手に取ったり、針金を出したり、トンカチやクリップを集めたり…と思い思いに活動を始めます。周りと関わりたい子や僕に話しかけてくる子もいれば、一人で黙々と作業する子もいます。傾向としては、最初は男女別のグループが多かったけど、活動開始20分後ほどしてだんだん個別の活動に移り、それがまたグループになる頃に、自然に男女混合になっていく。ものづくりを介して場の人間関係に変化が見られた場面でした。
30分も経つと、ひたすら道具を地面に並べていくグループ、ピタゴラスイッチ風の滑り台を作ってガムテープを転がすグループ、あり合わせの道具で海やその生き物を表現するグループなど、いくつかのグループに分かれて遊んでいます。
もちろん、一人でひたすら木片を積み上げている子もいます。50分ほどするといったん集中力が切れてきて、遊び始める子が出てくるけど、それがまたしばらくすると、別の活動を始めます。
Kさんの関わりは3通り
こんな中、Kさんの子どもへの関わりは、基本的に3通り。子どもからの質問に答える。「これ何なの?」と聞く。「このあとどうするの?」と聞く。特に最後の問いかけが特徴的だなと思って授業後にお尋ねすると、「そう聞くと子どもが良いことを思いつくから」だそう。自分でやりたい時が一番学べる時だから、こうしなさいと言うことはしない、ともおっしゃっていました。
また、子どもに頼まれても全部やってあげたりはしません。後半、中にのりが詰まっているペットボトルの蓋と格闘している男の子がいました。彼がKさんを頼ると、Kさんは「ここが急所」と少しだけやって見せた後で、またその子に戻します。これも授業後に「最後まではやってあげないんだろうなと思って見てました」と言うと、もちろん、という感じの笑顔でした。
たっぷり70分くらいは造形遊びの時間をとってこの日の授業は終了。「今学期は、こういうお楽しみ図工を何回かやるよ」というKさんの言葉に、子どもたちからは歓声が。よほど楽しかったようです。
とても勉強になりました、授業後のお話
授業以外でも一時間ほど、お話をうかがうことができました。印象に残った話がいくつもあるので、メモします。
国語と図工の共通点
まず気になったのは、今日は「遊びと学び」の境目がないタイプの授業でしたが、いつもそうなのか、ということです。これは明白にノーでした。今回は造形遊びという単元だったけど、いつもそういうわけではないそう。では、造形遊びじゃない時は、何を教えてるんでしょうか。
造形遊びじゃない時は、道具の面白さを伝えるようにしてるんです。例えば、釘打ちをやる時は、ひたすら打つ。僕が一回打って見せて、失敗もして見せれば、みんな楽しくなってやるので。どんなものを作るかは自由です。(釘打ちという)コンセプトだけは与えて、あとはそれで何をするかは自由。だから、いつも全て自由というわけではないです。
この辺は、国語の授業とも似ているなあ。例えば、ライティング・ワークショップでも、「物語の表現の特徴を踏まえる」という枠だけは与えて、何を題材にするかは自由です。そこから国語と図工の共通点にも話は及びました。
例えば、絵画の授業に「画面でリズムを出す」という単元があります。この単元では、子供たちは「富嶽三十六景」をモデルにして、大小、位置、色などで絵のリズムを出す方法を見つけ、その上で自分の富士山を自分のリズムで書くのだとか。これって、ナンシー・アトウェルの「ジャンル学習」そのものですよね。僕の授業でも二学期に「走れメロス」をモデルにして「速く走る表現の工夫」を見つけ、その上で自分の「走れ〇〇」を書いたりしました。
生徒がこういう時はどうする?
Kさんの授業では、「道具や素材の特性を生かして作る」ことが目標なので、作るもの自体が指定されているわけではありません(ライティング・ワークショップで題材が指定されないのと同じ)。では、その特性を活かすよう、どのように働きかけるのか。ここでは、自分のライティング・ワークショップでも気になるところ。
Q. 特性を生かした作品のモデルは示すんですか?
A. 示すこともあれば、示さないこともあります。Q. 子どもの作品が、特性を生かしていない場合はどうしますか?
A. 指導はしません。その子にとっては、今はまだそういう段階ということだと思います。でも、好きなことをしていれば、何かしら学ぶことはあるはずだと信じています。
特に後者の対応は、僕とは違うところ。僕は、多分カンファランスを通じて介入していくと思うので。でも、このKさんの台詞には信念を感じました。とはいえ、常に「教えない」わけではなくて、自分のアドバイスを吸収してもらえると思った時はする、とも言ってました。この辺の見極めは、ライティング・ワークショップのカンファランスでも難しいところです。
個別の生徒を把握する方法は?
子どもの活動時間中は美術室の中を動き回ってカンファランスしているKさん。僕自身のカンファランスの課題を聞いてみました。どんな風にしてカンファランスの様子を記録してるんですか? 僕は全然生徒のことを記憶できなくて困ってるんですけど…。
Kさんの答えは「写真」でした。
写真を撮ります。写真を撮れば後で評価に使えますし、子どもたちに後で振り返りのために見せることもあります。….僕は写真がないとかなり覚えられないですね。活動風景を見ていると、そこにいろんな情報がありますし、あと絵を見れば、どう描いたかわかるんですよ。
絵を見れば、どう描いたかわかる!? これはもしかして、僕の書道の先生がおっしゃっていた、「書かれた文字を見るとどう書いたかがわかる」のと同じやつでは…‼︎(下記リンク参照)
だから、作品を評価しているのではなくて、作品からその子の活動を見ているんですよね。
その言葉にしびれました。いやあ、甲斐先生みたいな方がここにもいたわ…。Kさんは、生徒の描いた絵と、2時間の中で一人一回は写真を撮るように心がけているという活動中の写真で、子どもたちを見ているわけですね。国語と図工という違いこそあれ、Kさんは完全にプロセス・アプローチの先生でした。しかし、作品を見るとプロセスまで見えるのは大きいなあ。そんな境地が自分に来る気がしない…。
どうやって生徒をやる気にさせる?
実は今日の授業で印象深かったことの一つが、「お楽しみ図工」をやるというKさんの声に、「それをやって何になるんですか?」という子どもが一人もいなかったこと。これは、小学校低学年と高校生の違いなのかもしれないけど、目的意識がなくても楽しいからやる、という姿がとても新鮮でした。でもこれって、年齢が上がるにつれて薄れていくんじゃないかな?
….そこで最後に、ちょっと意地悪な質問もしてみました。5・6年生になると中学受験にシフトする子もいると思うんですけど、そうすると、受験に関係ない図工をなんのためにやるの?と思い始める子どもって出てきますよね? そんな失礼な質問にも、Kさんは悠然と、
そこは、「やってみたい!」と思わせちゃうことで乗り切っているんだと思います。
そこが教師の専門性?と聞くと、「そうですね」とのお返事でした。でも、どうやってやってみたいと思わせているんですか?
やっぱりモノの魅力、面白さですよね。木のゴツゴツしたものがすべすべになったり…、自分がなんとかすると物体が変わる、自分の行動が物質に現れる。色もそうです。赤と黄色を混ぜたらオレンジになるとか、魅力ですよね。子どもの目の前でやってやると、「やってみたい」となりますよね。自分がやったものが実際に変わる。これは魅力だと思うんですよ。
静かに語る言葉はとてもクリアで、穏やかながら確信に満ちていました。教科の本質をつかんでいる人の言葉だ、と思いました。
Kさんの「職人魂」にしびれました
Kさん、とても「職人魂」を感じる方でした。子どもが活動しやすいように、徹底して道具を使いやすく整理する。教える技術はしっかりモデルを示しながら教え、生徒はそれを使う中で体験的に学んでいく。一人一人の子供達としっかり対話する。その様子を写真で記録する。完成した作品からプロセスを想像する。そして何より、「やってみたい」と子どもたちに思わせる….どれも、ライティング・ワークショップでも大事にされていることです。
Kさんは、図工の専門性のレンズを通して、一人一人の子どもをよく見ているのでしょう。そして、自分でモデルを示すことや、教科の本質的な魅力に子供達を出会わせることで、「やってみたい」と思わせているのでしょう。一言で言うと、高い教科専門性と、個別の子どもへの意識を兼ね備えた、プロフェッショナルな先生でした。まさに「職人」。
僕がライティング・ワークショップでやってみたいことを、僕よりもはるかに高いレベルで、図工の時間でやっていらっしゃる方がいる。そのシンプルな事実に圧倒され、でも勇気づけられる経験でした。Kさん、本当にありがとうございました。
貴重な参観記ありがとうございます!!
見習いところがたくさんです!
絵のリズムを出す方法を見出すところは、アトウェルのジャンル学習みたいに、自然とモデルとなる事例を比べることになるよう富嶽三十六景に加えて他のアーティストのモデルもある(モデルが複数ある)とよりいいのかもと思います。単一の事例よりも複数の事例を比較する学習を挟んだ方が学習パフォーマンスがよくなるというメタ分析研究があります。でも富嶽三十六景は色々あるから、それらを比べて北斎が共通して使っている方法を見出すだけでも十分かもしれないです。でも書き手、作り手を育てると考えたときに、この図工の場合だったら、複数のアーティストの作品を比べるようにしたら、その後どう学習パフォーマンスが変わってくるのか気になるところです。
なるほど、モデルが複数あって、しかも子どもたちが実際に分析する体験を経ていくと、より、自分のものになりやすいかもしれませんね。さすがのご指摘、感謝です!