印象的なのは、真剣勝負をいどむ先生の姿。演劇的手法を使った「ごんぎつね」の授業を見てきました。

先週は日帰りで京都に授業見学へ。立命館小学校に勤務する吉永かおり先生の演劇的手法を用いたごんぎつねの公開授業を見てきました(そもそも僕が演劇的手法に興味を持った理由は、下記エントリを)。

[読書] 「理解と表現の相互循環」の原理で学校をつらぬく、渡辺貴裕・藤原由香里『なってみる学び 演劇的手法で変わる授業と学校』

2025.01.25

それにしてもわざわざ京都まで、と思われるかもしれませんが、演劇とは別に「ごんぎつね」を映画のGon, the Littile Foxとからめて扱いたい思いがあったり、何より、facebookで見る吉永先生の投稿、特に子どもたちの「ごんぎつね」のふりかえりに圧倒されていたのも大きな理由です。僕はもともと、大村はまに圧倒されたい、宇佐美寛に叱られたい…みたいなMっ気がある人間なので(笑)、最近の勉強不足を感じる身としては、「吉永さんに圧倒されたくて行く」ミーハーな気持ちも正直ありましたかね。

写真は吉永さんが担任をされている教室の窓。「ごんぎつね」の授業のふりかえりが壁にずらっと貼られていました。実際には子どもがこれを読むことはあまりなさそうですが、子どもたちのふりかえりを大切にする吉永さんが、飾りたくなったんじゃないかと思います。そういう気持ち、わかります。

なお、吉永さんの実践や、その根っこにある思いについては、よければ下記のVoicyや記事もあわせてチェックしてみてください。今回のブログの理解も深まると思います。あと、参考資料としては『なってみる学び』もですかね。

【ゲスト】“演劇的手法”の授業 立命館小学校の吉永かおり先生(しくじり先生の「今日の失敗」 by松下隼司さん)

https://voicy.jp/channel/4155/6016581

演劇的手法で学びが変わる?架空の世界に入り込み、表現と理解を繰り返す「なってみる学び」の可能性

https://www.sensei-no-gakkou.com/article/no0105/

なってみる学び: 演劇的手法で変わる授業と学校

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読解の手法としての演劇的授業の効果

この日の公開授業は午後の5時間目でしたが、11時過ぎには京都に到着したので、4時間目から見学しました。その授業は、2人の俳優さんがゲスト講師となって、登場人物の心の中の声(インナーボイス)を想像する授業でしたが、自分が演劇的手法を理解する上でとても参考になりました。

扱っていたのは、超有名な詩、吉野弘「夕焼け」。この詩の満員電車を子供たちで小グループで実際に再現して、あの詩に描かれた出来事を、それぞれの人物の心の言葉とともに演じてみる授業でした。これがとても面白かった。元の詩の字面だけを追うと、「少女」と「老人」と「僕」にしか目が行かないところを、その他の人物も演じてその心の声も聞くことで、最後にまた無言劇に戻ったときも、物語が重層的に立ち上がってくる感じがしました。演劇的手法により詩の読みが一気に奥深くなる感覚です。この授業では座席が一列分あるだけだったのですが、車両の向かいの座席もあったらどうだろう、小グループに分かれずに全員で1つの車両を演じたらどうだろうと、いろいろな可能性を誘われる授業でした。

演劇的手法にもきっと色々あるのでしょうが、吉永さんはこの日は5時間目の公開授業も含めて、終始、「物語や詩を深く読み込む手段」として演劇を使っており、その効果の高さは、2つの授業見学や、その後の授業検討会でも参加者が演じる機会をいただけて、実感できました。風越の子は演じることへの抵抗感が比較的低いので、ぜひやってみたいところです。

一番印象的だったのは、教師のありかた

その演劇的手法を使って「ごんぎつね」の最後の場面(場面6ですね)を読むのがこの日の午後の公開授業。この公開授業でも、演劇的手法とか、生徒のふりかえりとか、印象的なことはいくつもあったのですが、それらを圧して一番印象的だったのは、教師の吉永さんのあり方でした。ここでは、それにしぼって書こうと思います。

これから書くのは誤解を招く言い方になるかもしれませんし、たった一時間の授業観察なので当たっていないところもあるでしょう。だから割り引いて読んでもらいたいのですが、吉永さんは、自分が教室の支配権を持っていることを、明確に子どもたちにも示し、引っ張っていくタイプに見えました。

例えば、僕たち教師は、子どもがテキストからそう読むのは無理がある「誤読」をしたときにも、すぐにそれを否定することにためらいがちです。「○○さんはそう思うんだね」「それについて他に意見はある子はいるかな」と、否定せずにいったん受け止めて、やんわりと軌道修正を図る人が多いのではないでしょうか。でも、吉永さんは、ご自身の丹念な教材研究に基づいて、ご自身の解釈を持ち、子どもの意見と自分の解釈が異なる時ははっきり伝えていました

中でも印象的だったのは、ごん役の子が、兵十に撃たれて後ろ向きに倒れる演技をしたときに(←でも、テキストにもとづけば、兵十が正面からごんを撃つとは考えにくいのです)、「あの倒れ方でいいの?」と明確にダメを出していた場面。その際に、ある子が挙手して「正解とかはない」と言ったのですが、吉永さん、おそらく聞こえてたのにそれをスルーして、ごんは後ろむきには倒れない(正面から撃たれたはずはない)ことをみんなに確認するのですよね。テキストをちゃんと読めば正解はある、あなたも早くそのレベルまで上がってきなさい、と全身で言っているようでした。

他にも、ごんと兵十の関係について、なかなか言語化できない子に、「あなたの思ってることを言ってごらん」「あんだけ書けるんだから言える」と求めたり、テキストを間に挟んで子どもたちと真剣勝負している感じが半端なくて、最近の自分の授業にはない雰囲気にしびれました。

子どもの「師」として真剣勝負をいどむスタイル

こう書くと厳しい先生のように思えるかもしれません。もちろん実際の授業は「演じる」ことが中心なので、わいわい楽しくやる時間が長いのですよ。でも、根底では厳しい先生なのだとは思います。そして、ただ厳しいのではなく、先生が子供たちの成長を認めている事も、端々から伝わってきます。今回の単元では、吉永さんは学力上位の子を伸ばすターゲットに定め、その子たちの振り返りをみんなに共有することで、全体のレベルを底上げする方針をとっていました(毎回そうではなく、今回はそのような単元だったということです)。 それで、授業の最初は、前の時間のよく書けた振り返りを全員で音読することから始めます。そして、そこから学ぶことを彼らに促します。あなたたちはできるはずだ、私はそれを知っている。だからあきらめずに考えなさい。言葉を大切に使いなさい。ときに暗黙のものも含めたそういうメッセージを、授業中に発し続けており、それを日々浴びている子どもたちの書くふりかえりのレベルは、驚異的に高いものでした。

吉永さんのスタイルは、風越では見ないスタイルです。個人差こそあれ、基本的には子どもともニックネームで呼び合い、対等に近い関係を模索し、後ろから支えるのが風越のスタイル。「見守り」とか「寄り添い」とか「伴走」とか、世間的にもそういう言葉で語られがちです。それに対して、吉永さんは、子どもとの間に明確に一線を引き、場の支配権を自分が持つことを明示する(この明示は、誠実さの表れでもあります)。かといって、「先生と生徒」とも違う。結局、文学作品を前にして人間は究極のところ対等なのですが、その人間同士として、「師と弟子」に近い関係を取り結ぼうとしているように見えました。実際、吉永さんはVoicyで「文学が語り得ないものを、子どもたちと一緒に探究したい」という趣旨のことを述べられていて、そのパートナーとしてふさわしい力を早く持つように、と、子どもをうながしているようでもあります。

これはどちらかというと、中高の、文学部出身の(=教育学部出身ではない)国語教師に見られる授業スタイルです。筑駒時代の同僚はそんな人ばかりだったので、個人的には馴染みもあるし、僕の好みでもあるのですが、それを小学校の先生がとっているのが新鮮でした。演劇的手法で有名な先生に失礼な言い方になるかもしれませんが、吉永さんは本質的には非言語ではなく、言語の人なのだと感じます。

こんな授業受けたかったな…と素直に思う

さて、当たり前ですが、万人に向く授業スタイルなどありません。吉永さんのスタイルに合う子もいればそうでない子もいるのは当然のこと。ただ、僕は吉永さんのスタイルに強くシンパシーや憧れを感じました。こんな真剣勝負の力がつく授業、小学校の頃に受けたかった、と素直に思うからです。小学校の勉強が易しすぎて退屈で、学校の授業とは「先生につきあってあげる場」だった少年あすこまが、吉永さんの授業を受けたら、とても楽しかったはずですからね。

見学の日の夜、吉永さんに授業の観察記録をお送りしたら、それを次の日の授業で読み上げてくださったり、僕が観察していた子と吉永さん経由でやりとりしたり、来週にはオンラインでこの授業の振り返りがあったり….と、実はこの授業見学はまだ「続き」があります。でも、今回の吉永さんの立ち位置には、かなり揺さぶられました。自分もこういうスタイルの授業にけっこうシンパシーあるのに、なんで風越でできていないんだろう…とか…。まあ、明日から授業スタイルを変えることはないんですけど、その揺れを忘れないうちに、ここに書いておきたいと思います。

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