[読書] ヴァーチャル方言を生んだ「打ちことば」という発想の面白さ。田中ゆかり「方言萌え!?」

岩波ジュニア新書には、けっこうな頻度で、その分野の入門書として大人の僕が読んでも面白い本が存在する。田中ゆかり『方言萌え!? ヴァーチャル方言を読み解く』も、方言研究者の筆者が現代の方言の「ヴァーチャル化」現象について分析した興味深い本だ。言語に興味のある人におすすめの一冊なのだけど、中でも、この議論で使われる「打ちことば」という発想は、作文教育に興味のある僕にとってとりわけ面白かった。

「ヴァーチャル方言」という現象の面白さ

方言はもともと、「その地域に土着の話し言葉」を指す。そして、共通語が良しとされた1970年代頃までは、方言を使うことは矯正の対象であり、それが「方言コンプレックス」も生んでいた。ところが、1980年代、およびインターネットが普及した1990年代以降、次第に方言に対して肯定的な言説が目立つようになる。

テレビでも方言を話すキャラが頻繁に登場し、もともと関西弁だった「めっちゃ」「なんでやねん!」などは、今や関西人でなくても使う人が珍しくない。こんな風に、「土着の話し言葉」であることを離れ、その方言の持つステレオタイプを活かしながら特定の「気分」を表現する目的で使われるようになったのが「ヴァーチャル方言」だ。一種の役割語と言っても良い。

この本は、そうした方言をめぐる社会の認識の変化が分析されている。次第に方言に対して肯定的になり、NHKの朝の連ドラや大河ドラマなどを通じて方言が「コスプレ」の一種として広まっていく様子が描かれていて、この過程が面白い。『竜馬がゆく』の坂本龍馬の「〜ぜよ」、『ちゅらさん』の「〜さぁ」、『あまちゃん』の「じぇじぇじぇ」などは、一定年齢以上であればご記憶の方も多いのではないだろうか。こうしたドラマでの方言利用が、現実の社会に波及していったんですねえ。目の付け所が面白い研究だなあ。

「話しことば」でも「書きことば」でもない「打ちことば」

ところで、この「ヴァーチャル方言」の誕生を論じる文脈で、本題のヴァーチャル方言以上に僕の興味をひいたのは「打ちことば」という概念だ。これは僕の作文教育との関心とも絡んでくるので、メモしておきたい。

僕たちは普通、「話しことば」と「書きことば」の2つに言語のモードを区分するが、筆者は「打ちことば」という第三のモードについて説明する。「打ちことば」は、その名の通り、「キーボードを打つことによって表現される言葉」だ。通常は「書きことば」に分類されることの多いこの第三のモードは、インターネットの普及とともに広まっていったもの。そしてこれには、書きことばと類似点もあれば、相違点もある。

  • 打ちことばの基本的性質:お互いの顔が見えない状態で行われる(非対面的)、コミュニケーションにタイムラグが伴う(非同期的)
  • 打ちことばと書きことばの共通点:上記の特徴を持つ、「文字」によるコミュニケーションであること
  • 打ちことばと書きことばの相違点:コミュニケーションのインターバルが極めて短いこと

筆者によると、インターネット社会が生んだ「インターバルの短さ」という打ちことばと書きことばの違いが、「書きことば」にはない「打ちことば」の短文化・「話しことば」化を生んでいく。インターネット経由のメール、そして2000年代以降のSNSの普及によって、インターバルはどんどん短くなり、「書きことば」と「打ちことば」の違いはますます先鋭化する。

こうして「打ちことば」は、「話しことば」の性質を持つ「書きことば」という特殊なモードになっていく。であれば、イントネーションや声の調子などの非言語情報によって気分やニュアンスを伝えようとする「話しことば」特有の性質が、「打ちことば」でも追求されることは理の当然だろう。

実のところ、僕がこの本を読んで一番おもしろいと思ったのは、この「打ちことば」という発想だった。「書きことば」ではなく「打ちことば」という別のモードなのだと理解することで、最近のSNSでの文章表現が、とても理解しやすくなるからである。例えば、「打ちことば」において顔文字や絵文字が登場したのはとても納得のいくことだし、言語的な意味内容をあまり必要としないLINEのスタンプのやり取りは、「打ちことば」の先鋭的な現象なんだろうと思えてくる。

他には、「メールに手書きの手紙のような時候や前置きの挨拶は必要かどうか」という点も、しばしば人によって判断が分かれるが、これは、メールという媒体をどこまで「書きことば」または「打ちことば」として意識しているかによるのだろう。僕はメールに時候の挨拶は変だと感じるのだが、年配の方を中心に、毎回丁寧に書いてくださる方も少なくない。また、facebookメッセージなどのSNSでは、手紙の時候の挨拶が書かれるとさすがに「変だな」という感覚を持つ人が増える気がするが、これも「書きことば」と「打ちことば」で感覚を使い分けているのだろう。

なるほど、「打ちことば」という視点で言語現象を見直すだけで、色々とわかりやすく説明できそうだ。例えば学校でも、「生徒からの教師へのメールの最初に宛名や挨拶がない」ことについて不満を漏らす教師は少なくない。でも、教師世代にとってはメールは手紙などの「書きことば」の延長だが、生徒世代にとってはメールはSNSの「打ちことば」の延長にあるのだ。そういう観点を持つだけでも、この現象がクリアに説明できませんか。

中高生にとっては、「打ちことば」は「書きことば」以上に身近な文章表現のモードになっているだろうから、文章には「書きことば」と「打ちことば」の2つのモードがあることは、今後も意識していきたいなあ。というわけで大変勉強になる一冊でした。

この記事のシェアはこちらからどうぞ!