9月のリーディング・ワークショップ(5回)の授業が終わった。9月は見学者の方も多く、見学者の方との授業後の話しあいも通じて、リーディング・ワークショップに関する自分の理解も深まったし、できていないことも明らかになったと思う。忘れたくないことを書き留めておきたい。今日は、リーディング・ワークショップの「読む時間」におけるカンファランスの意義について。
目次
昨年はまだ迷っていた、カンファランスの取扱い
ちょうど一年ほど前、イギリスから帰国してリーディング・ワークショップに取り組むにあたり、僕が最も気になっていたのは、カンファランスの扱いだった。リーディング・ワークショップでは生徒が個別に本を選んで読む「読む時間」(僕の授業では30分間)の最中に、教師が生徒一人ひとりの間をまわって質問する「カンファランス」を行う。ただ、昨年度はこのカンファランスになかなか積極的になれなかった。どうしても「集中して読んでいる生徒の邪魔になるんじゃ…」という思いが先に来るのだ。そのへんの迷いや、でも今年に入ってカンファランスに本腰を入れはじめた試行錯誤は、下記エントリに書いている。
「これって、生徒にとって役に立ってるの?」
こうした思いは、きっとこの実践に馴染みのない人であれば余計に感じるはずである。実際、読書教育に強い関心を持つ、ある国語の先生が、僕の授業を見学したあとで、次のような疑問を提示してくださった「教師にとって生徒の把握という意味で役に立つのはわかるが、生徒にとってカンファランスは役に立っているのだろうか?」 …たしかに、読書中にいちいち話しかけられる側からすれば、カンファランスは邪魔ではないか? そう思うのも無理はない。おそらく、リーディング・ワークショップの定番の質問なのだと思う。
自分の実感では、「カンファランスは役に立つ」
しかし、日本の40人学級でどうやるかという課題は抱えているものの、やはりカンファランスにはやる価値がある。最近の僕は、その思いが強まっている。それは、僕がアトウェルのIn the Middleを再読したり、先日紹介した下記の本を読んだりして、カンファランスの意味をあらためて頭で理解したということもある。
同時に、生徒とのやりとりの中で、カンファランスをすることで手応えを感じたということもその理由だ。「カンファランスをすると、こんなことができるんだ」という経験値が少しずつたまってきたのである。
カンファランスをすることでできること
9月のリーディング・ワークショップを通じて、「なるほど、カンファランスでこんなことができるのか」と思ったことを列挙していこう。
①生徒が自分の読みたい本を読んでいるか確認できる
読む力をたかめるためには、その生徒が自分で選んだ自分にあった本を読むことが大事。だから、生徒がその本を読みたいと思って読んでいるかは大事だ。アトウェルが自分のリーディング・ワークショップのカンファランスで最も重視するのも、この「自分が読みたい本を読んでいるかどうかのチェック」である。「ここまでどんな感じ?」「面白い?」「10点満点で何点くらい?」といった質問がこれ。また、読んでいる箇所のページ数を見た時に、前回の記録用紙の報告とくらべてあまりに進んでいなかったら何か理由はあるはずなので、その点について質問することもできる。
②生徒の理解度を大雑把に確認できる
カンファランスでは、「ここまでのところで一番面白かったのはどこ?」「ここまではだいたいどんな話をしているの?」「わからない言葉や難しい言葉はある?」などの質問を通じて、その本の内容についての生徒の理解度も確認できる。あくまで大雑把なものにとどまるけれど、この時点でわからなければ他の本を薦めるというわけ。
③読書家としての生徒の好みを知ることができる
生徒が今何を読んでいるか、なぜその本を読んでいるか、今までどんな本を読んできたか…そうした情報は、記録用紙からだけでは十分にはうかがい知れない。読書家としての生徒の好みや傾向はカンファランスでの会話を通じて知ることができる。
④お互いの感想や読書経験を交換できる
もし生徒が読んでいる本を僕も読んだことがある場合、カンファランスはとても充実する。お互い読んだ本なので、どこが好きだったか、どこが良いと思うかなどの話ができるからだ。こちらの質問や助言もより具体的になるし、カンファランスが「本を読んだ人同士の楽しいおしゃべり」になる。もっとも、この楽しさを多くの生徒と持つには、こちらに圧倒的な読書量がいるのだけど…。
⑤次に読む本を紹介できる
カンファランスをしていると、「この本が好きだったらきっとこっちの本も気にいると思うよ」とか「この作家だったら、こっちのほうが高校生向けじゃないかなあ」などのように、次に読む本を紹介することもできる。生徒が選書に迷っていたら紹介もできる。僕一人だとすぐに限度がきてしまうので、今学期は、司書さんに手助けしてもらったり、読書家の同僚の先生に推薦図書リストを作ってもらってそれを紹介したりもしている。
⑥文学に関する用語を教えられる
カンファランスは、ティーチングの場としても使うことができる。例えば生徒が「この本は主人公が章ごとに変わって…」と言ったことを「なるほど、語り手がかわって、視点が入れ替わるんだね」とパラフレーズすれば、「語り手」や「視点」という文学作品を語る用語を、その生徒の文脈で教えることができる。
⑦「書き方」に意識を向けることができる
カンファランスを通じて、「書かれた内容」ではなく「書き方」に生徒の意識を向けることもできる。例えば、単に「面白い」というだけでなく、「どう書くことがこの面白さを生んでいるのか」という意識をもたせることもできる。ただ、これは原理的にはそうできるのだけど、実際にどう質問したら生徒が答えやすいのか、まだよくわかっていない。今のところ、例えば「その面白さって、どんな書き方をしているからなんだろうね?」というふうに聞いているけど、この質問だと戸惑う生徒も少なくない。
まだ他にもあるかもしれない。でもまあこの9月は、カンファランスを通じて色々なことができそうだな、という手応えを得ることができた。
生徒の視点では、カンファランスは役に立つの?
とはいえ、上記はあくまで「僕の実感」の話。実際に生徒の視点でどうなのか、カンファランスは役に立っているのか、邪魔ではないのか、あるいは実際にカンファランスが生徒の行動に影響を与えているのか、などの点は、これから調べないといけないところ。これについて見学者の方が何人かの生徒にインタビューしてくださった時には、概ね、以下のような生徒の反応だったそうだ。
- 思考をまとめることができる
- こんな本ですよと言うことで、立ち止まって考えることができる
- 一人で本を読むのは家でもできるけど、先生が昔読んだなど、個人的な話も聞けるのが良い。
- 先生がデータ管理のためにとっているのはわかる。特に邪魔にはならないが、自分にとって役立つということもない。
どちらかというとカンファランスにポジティブな反応のほうが多いけど、ここはもう少しきちんとデータをとってみたい。普通に考えれば、「いちいち聞かれるのが迷惑」と感じている生徒がいても全くおかしくないのだから。ただ、仮にそういう生徒がいたとしても、僕のリーディング・ワークショップでは、今後「カンファランスをしない」ということはないと思う。ライティング・ワークショップでもそうだけど、「目に見える評価物」がないリーディング・ワークショップでは、カンファランスは一層重要だという気がしている。
授業では、「読書時間中にカンファランスされるのが嫌だ、という人がいたら、紙でやりとりするとか、授業前後に聞くこともできるから、希望を言って欲しい」と伝えて、そういう生徒への配慮はしている。結果として申し出た生徒はまだいないけれど、今後もそういう配慮をしつつ、カンファランスはしっかりやっていこうと思う。