[読書] 確かな手触りを持つものとして。石川晋『わたしたちの「撮る教室」』

表紙を開く。モノトーンのカラーでそこに写っているのは、どこにでもある学校の黒板。左上には「正義・友愛・自律」という校訓が、整った毛筆で書かれている。あたりには人の気配がない。時刻は、8時15分。まだ生徒たちの登校前だ。

こんな写真から始まる写真集『わたしたちの「撮る教室」』は、北海道の上士幌中学校の中学生が写真集を作った、その時の彼らの様子を収めた写真絵本である。担任は、国語教師の石川晋さん。

石川晋さんという先生

北海道で活躍されている石川晋さんは、僕が尊敬する先生の一人である。詳しくは下記エントリに書いたのだけど、2012年に授業を見学に行っていいなあと思い、2016年春にナンシー・アトウェルの学校に行った時にも、彼の教室を思い出したほど。僕と違って、現実を厳しく見つめる眼と、思いを実現に移すための行動力、そして表現者としての自然な佇まいもある国語の先生だ。

[読書]肩の力を抜いた闘いの記録。石川晋『学校でしなやかに生きるということ』

2016.07.17

その石川さんが「生徒たちが写真集を作るそのプロセスを、写真絵本という形で刊行する」という話を知った時、彼らしいアイデアだなと思った。写真集を作るという形で生徒たちが表現するとともに、「表現する生徒」「表現しようとしている生徒」の姿をも記録している。

僕は石川さんと直接会った回数は少ないのだけど、勝手に、この人の本質や実践を理解している気になっている。なんのことはない、これは石川さんの人間的魅力のせいで、彼は周囲の人にそう思わせる人なのだと思う。

表現して共有するプロセスを残した写真絵本

この写真集に収められているのは、そんな石川さんの教室にいる、たくさんの「表現する私」であり、「表現しようとする私」であり、「表現するものを探している私」である。そして、複数の「私の表現」「私の価値」が出会った時に、そこに生じる戸惑いや対話の様子が、写真家の小寺さんの文章で綴られる。明るい校舎の、柔らかい雰囲気の写真集。生徒たちの笑顔や真剣な顔が、ごく自然に収められている。

生徒が表現するものを見つけ、それを他の仲間と共有し、そして全員で一つの表現としての写真集を作り上げていくプロセス。それを丁寧に写真に残していくことの理由は何だろう。思い出すのは、前に読んだ石川さんのエッセイ集でのこんな言葉だ。

田舎の教師は十年後の町の地盤沈下が見えるんですよ。そこを子どもたちでなんとか話し合いができるようにするのがぼくの仕事だと。(p.163)

自分たちの表現を模索して見つけること、それを共有すること、それぞれの違いを踏まえて全員で一つの表現を目指していくこと。ちょっと大げさに言えば、それは「民主主義のプロセス」だ。石川さんは、表現からはじまる一つの民主主義を生徒に体験してもらい、その手応えを彼らの手に残したいのだと思う。写真絵本という、彼らの街が困難に直面するかもしれない10年後にも、確かな手触りを持つものとして。

最後にも黒板の写真が…

最後のページをめくると、そこにはふたたび、表紙裏のページと同じ黒板の写真がある。けれど今度は、そこは生徒の写真でいっぱいだ。黒板の全てが生徒の顔や彼らの日常で覆い尽くされて、「正義・友愛・自律」という校訓も、ちょっと気恥ずかしそうにその一部だけを覗かせている。

たったひとつ最初の写真と同じなのは、これだけ賑やかな写真に囲まれながら、あたりには人の気配がないこと。時刻は放課後の3時40分。生徒たちは、もう石川さんの教室を出て、それぞれの次のチャレンジの場所に向かった後なのだろう。

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