[読書]交流のハブとなる読書記録指導。細恵子『児童の読書力を形成する読書日記』

いまは風越でも年度末評価の時期。自然と過去の記録を見直しているのだが、今年失敗したなあと思うことの一つに読書記録指導がある。というわけで、ちょっと前に買って積ん読になっていた細恵子『児童の読書力を形成する読書日記』を読んだ。読書記録指導に関心のある国語科教員や学校図書館司書の方には参考になる本だ。ここでは僕の視点から重要なことについてメモしておく。

あまりうまくいかない、読書記録指導…

読書日記、読書記録、読書ノート。どんな言い方をしてもいいけど、日々読んだ本の記録である。僕は2003年から、紙のノートだったりスプレッドシートだったり、形態はさまざまだが、もう20年近くもプライベートで読書記録をつけている(ちなみに2017年からはスプレッドシートでつけている)。その効果や楽しさを実感している一人だ。だから、学校でもぜひ子どもたちに読書記録をつけてほしいと、前任校時代から色々と試みてみた。しかし、全体としてはなあまりうまくいっていない。大村はまも、アトウェルも、その他いろんな実践者の記録も読んだ。市販の読書記録も取り寄せた。でも、なかなかうまくいかないのである…。

効果を感じる前の「めんどくさい」の壁

その理由は、身も蓋もない言い方をすれば「めんどくさい」に尽きる。学校で書かれる(子どもからすると書かされる)読書記録は、第一に、形成的評価や総括的評価の場面で「教師が読む」ことを目的とする。つまり、これだけだと書く本人にメリットは薄い。

そして、読書記録が書く本人に効果を発揮するのは、基本的に読み返す時である。「そういえばあんな本読んだな…なんだっけ?」と思って探す。あの子におすすめできそうな本はないかなあ、と思って探す。または、目的もなく記録をざーっと眺めてなつかしむ。この本と別のあの本がつながって、面白がる。読書記録の効果とは、いずれの場合も、ある程度読書量が蓄積されてはじめて効果を発揮するものばかりなのだ。そして、たいていの子は、「蓄積されないと実感できない効果」よりも「めんどくささ」のほうが先にくる。一部の、教師の指示に従順な真面目な子をのぞいて、多くの子が読書記録を面倒くさがってつけなくなってしまう…。これが、僕の失敗の歴史だった。

今年の失敗は…

今年も読書ノートを配布したのだが、家で宿題にしても書いてこない、渡すとなくす子が多数、読書記録を書くこと自体を面倒臭がる…という感じで、到底うまくいかなかった。秋からは国語のコマ数1減を受けて作家ノートと読書ノートを同一のノートにして、それとは別に本のタイトルを記入するだけの「読書記録用紙」を作ったのだが、この用紙も回収率が悪く、持っている子もペラの画用紙なのでぐしゃぐしゃにする子が少なくない。結局読書の記録があまり残らなくなってしまい、これなら夏までの読書ノートを続けたほうがまだ良かった。

「書き手の視線で読み、読み手の視線で書く」をどう実現する? 一学期の授業ふりかえり。

2021.08.17

「読書力」とはなにか?

というわけで「新年度は読書ノートどうしよう…」という関心で読み始めたのが細恵子『児童の読書力を形成する読書日記』である。著者は小学校に勤務しながら読書日記指導の研究を続けてこられた方で、現在は千里金蘭大学生活科学部児童教育学科の准教授。この本も理論と実践の両面から読書記録指導について書いている。

まず参考になるのが、リテラチャー・サークル実践や大村はま実践を手がかりに「読書力」を整理した第一章第一節である。筆者はこれらの先行実践をふまえながら、読書力を、次の3つに分類して提案する。こうした定義は、今度読書指導をする人の指針となるはずだ。

  1. 「読書技術」
    1. 読書設計力
    2. 選書力
    3. 情報の取り出し
    4. 解釈、
    5. 人物や作品に対する評価
    6. 自分との関連づけ、
    7. 活用力
  2. 読書活動に対する意欲・態度
  3. 読書習慣

交流の手段としての読書日記

本書では、こうした「読書力」の定義のあとで、以下の4つの観点から指導の方法が語られる。

  1. 個に応じた教師の朱書き
  2. 児童の自己評価
  3. 教師と児童の音声による対話
  4. 学級に対する教師の取り組み

自分の関心にひきつけると、「1.個に応じた教師の朱書き」(つまり、文章による簡易カンファランス)と「2.児童の自己評価」は僕もすでにやっている。「3.教師と児童の音声による対話」も、読書日記の記述をもとに教師と児童がおしゃべりすることで、必ずしも読書記録にもとづいてではないとはいえ、僕もよく子どもたちと本のおしゃべりをする。

自分にとって学ぶ事が多かったのは「4.学級に対する教師の取り組み」のところだ。筆者は、児童の読書日記を積極的に他の児童に共有する。「読書の広場」という通信を発行し、全員の読書日記を共有する。時に他の子の読書日記を読んで、それへの反応を書くこともある(p148)。力のある児童の読書日記を他の児童に共有することで学級全体のレベルをあげようとする(p149)。つまり、読書日記が、児童同士の交流の手段となっているのだ。筆者は次のようにそのメリットを書く。

読書日記の交流は、供試体児童の関係で行う指導に比べ、読み方や感想の書き方などを学ぶことを可能にし、多くの児童の読書力を形成する役割を果たすと考えられる。(p118)

読書記録を公開前提にするかどうか?

これ、人によっては「別に驚くことはないじゃん?」という反応かもしれない。でも、実は僕には読書記録を公開前提にする発想がなかった。それは、僕が読書をプライベートなものだと捉え、共有しない権利を尊重するからである。ブログの読書エントリは別として、僕は自分の読書記録も基本的には人に見せない。

読書記録を個人のものと捉えるか、教室で交流するものととらえるか。僕は読むことも書くことも「共有しない権利」「読んだことを黙っている権利」を大事にしたくなるので、基本的に前者の立場なのだが、前述のとおり、これには「なんのために読書記録を書くのかが実感しにくい」という課題がある。読書記録の効果を実感するには時間がかかるし、それまでは「教師が出せというから出す面倒なもの」にすぎないのだ。これが、僕が何度も直面している壁。

一方で、読書記録による子ども同士の交流を前提とすれば、まず、子どもには「周囲の子に読まれる」という書く動機が生まれる。プライバシーが守られず、読者がいる前提の文章になってしまう欠陥はあるが、読書記録を書きたくなるかどうかの違いは大きいかもしれない。

現時点で、来年度からの読書記録をどうするかまだ結論は出していない。でも、本書のアイディアをいただいて「読書交流のハブとしての読書記録」にするのもいいかもと思っている。特に、風越の子はただでさえ「やりなさい」では動かないし、宿題をやってくる率も低い(汗)。彼らに読書記録を書いてもらうには、「書きたくなる読書記録」にする必要がある。読書記録を交流のハブにすることは、この現状を打開する一つの有力な方法だと思う。他にどんな方法があるか、国語科の教科ミーティングでも聞いてみよう。

というわけで、行き詰まり気味の読書記録指導を改善する良いヒントをもらった本。読書記録に関心のある国語科教員や学校図書館司書の方は、ぜひご一読をおすすめしたい。

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