「ありのままでいいよ」と「ありのままではいけないよ」のあいだ

教育は、「ありのままでいいよ」(=今のままのあなたでいいよ)と「ありのままではいけないよ」(=もっと成長できるよ)という2つの台詞を、同時に口にする仕事だ。僕はそう思っている。時々、「ありのままでいいよ」、その人の全承認だけでいいんだ、と主張する人もいて、シンプルな世界観だし、そのほうがウケが良いのかもしれないけど、僕はその考えは支持できない。「寄り添う」だけでは、福祉ではあっても、教育、少なくとも制度的な公教育ではないと思う(順序として、「ありのままでいいよ」が先だよね、という主張ならわかる)。今日は、それについてのお悩みエントリ。

ここでの「口にする」は比喩であり、別に言葉にすることが要件ではない。例えば、教師は口では「ありのままでいいよ」と徹底して言いながら、課題設定や学習環境で「ありのままではいけないよ」を暗黙のメッセージとして伝えることもできる。それは、見事な教育である。
写真は昨年9月末に行った双子池。この時期は「本日和」にテーマプロジェクトのメイン担当が重なって死ぬほど忙しく、この日、蘇生するために休暇をとって、双子池で本を読んで過ごしたのでした。

目次

今年は「修行」の一年だったな

今年は、この「ありのままでいいよ」と「ありのままではいけないよ」の2つの考えの間をいったりきたりする、修行のような一年だった。今年度の受け持ちの子たちは、学力的にもふるまいという点でも、これまでよりもぐっと多様度が増したこともあり、この子たちと国語の授業をどう結びつけるか、という試行錯誤を繰り返して、これ以上は時間的に限界かも、というくらいに手数を増やした。いちいちは書かないが、以前にブログで書いた「窓の詩」もその一つだし、最新の「作家の時間」の作品集はマンガもレシピもしりとりもなんでもある。授業の時も「上手な文章を書ける人が、いい書き手ではない」「難しい本を読める人が、いい読み手ではない」と言い続けた。「文章の上手い下手は、生まれつきの違いもあるのだから、あって当然だ。それぞれの人が、それぞれなりに、読むことや書くこととつきあって、読み手、書き手としての自分を育ててほしい」と。もちろんこれは、まぎれもない僕の本心だ。

今年は、僕だけでなく他の学年スタッフも「いろんな子たちが、どうしたら授業に参加できるか」を考え、参加のハードルを下げたり、授業へのとっかかりを増やすかたちで設計したり、時に個別に粘り強く話をしたり聞いたり、内輪ぼめかもしれないが、本当に頑張っていた。そのおかげで、冬に入るくらいから子供たちの関係性も目に見えて変わり、授業でも落ち着いてきた。学ぶことに前向きな子、ぐっと成長を感じる子も増えてきた。そこは、本当に嬉しいし、この一年のがんばりの成果だと思う。

ただ、一方で…と感じることもある。今年の「作家の時間」作品集の文章を「量」「質」という観点で見ると、例年と比較してはっきりと物足りない。もちろんそれぞれの子にはそれぞれの能力や学習ペースがあるのだから、例年と比較するのがナンセンス、と言えてしまえばいいのだけど、僕はそこまで簡単にはわりきれない。書く力を伸ばせなかったな、と率直に思う。見方によってはその素地はできてきたけど、実際に読み書きに反映するまでには時間が足りなかった。どうしたらよかったのだろう。

ハードルを下げすぎたのだろうか、いや、入り口のハードルを下げるのは良いとして、出口の水準まで低くしてしまったのかもしれない。子供たちには「ありのままでいいよ」と言いつつ、彼らが背伸びしたくなる(「ありのままではいられなくなる」)課題や学習環境を整えたり、時にはそうはっきりとメッセージとして伝えたりすることが教師の仕事だとしたら、それを十分に果たせてこなかったんじゃないか。そんなふうにも思っている。

どうしよう? 書き手の権利10か条

そういう思いのなかで、いま具体的に迷っていることがある。それは「書き手の権利10か条」の取り扱いだ。

これは素敵&大事!「作者の権利」10か条

2016.05.29

エクセター大学大学院の留学時代、詩創作教育を研究しているアンソニー・ウィルソン先生の部屋のドアに貼られていたこの10か条、理念的にも、作文教育研究の成果と照らし合わせても、本当に良い10か条だと思っていて、筑駒時代も風越に来てからも、僕は授業の中で大事にしている。「授業」という枠組み上、完全にこの権利を守ることは難しいのだけど、今年も、出版しない子がいたり、自分の書きたい場所で書いたり、手書きかChromebookかどちらでも選べる状況を作ったりしてきた。特にデバイスについては、失敗も含めていろんな経験をして、どういう時に手書きだとよくて、どういう時にキーボードが向くのか、道具の取り扱いについて学ぶこと自体に大事な意義があると思ってきた。

….しかし、である。今年はこれまでになく子どもたちの書く分量が少ない。そしてそれが、自由な座席にすることで友達と自分の創作と関係ないおしゃべりをしてしまったり、パソコンをひらけば関係ない動画やウェブサイトや見たりすることに起因しているように見える。「僕には集中できてないように見えているけど、どう?」と本人にフィードバックをしても実態は改善せず、僕が近寄る時だけタブをさっと切り替える….ということが続いた一年だった。「注意するーされる」コミュニケーションを繰り返しても何も良いことはないし、そもそもそういうコミュニケーションが生じないように授業設計を考え直さないといけない

理想と現実のあいだで揺れている…

僕には(ライティング・ワークショップには)もともと、子どもが自律的に選択することを重ねて、「書き手」としての自分を作っていくことを大事にする理念がある。子どもが自分で選択できるようになるには、場所にせよ、道具にせよ、多様な選択肢の中から選択してその経験を振り返る必要がある。だから、「できない」からといってすぐには取り上げたくはない。

そういう理想は大事にしたい一方で、現実を見ると、パソコンはあまりに刺激的で魅力的で、子どもたちが(本当は大人も)道具としてコントロールして使うのは難しいようにも見える。「自分は手書きはいやだ。パソコンのほうが書きやすいからそっちで書きたい」と言う子が、でも、実際はほとんど書かないでただ動画を見て授業時間をすごしている。待っても待っても変わらない。こういうケースがあると、「選択して自己調整できる書き手」という理念が、そもそも子どもに無茶な要求をしているのだろうか…と弱気にもなってくる。

だとしたら、大人が強制力を発揮して環境を整えるほうがいいのだろうか。例えば、一つ一つの座席を離して座る場所を指定し、デバイスを見ないように手書きだけに制限したほうが、少なくとも今の段階では書く量は増えるだろう。でも、「できないから」という理由で大人が一方的に通達するのは、できるだけやりたくない。ひとまずは、「いま自分はこう考えているけど、どう? どうしたら、もっとみんながぐっと学ぶことに向かえる?」と、あらためて全体に聞いてみるつもりだ。

来年度は、こうしてみたい

さて、とても卑近な例でだらだら書いてしまったが、このエントリで扱った問題を、「多様性の保証と学力の向上は両立できるのか?」という問いで考えることもできそうだ。しかし、よく考えると、誰もが安心してその場にいられることは、学びに向かうための前提なのだから、この2つは本当は対立項ではないはず。だとしたら、問いだてが間違っているのかもしれない。では、「多様性の保証が学力に結びつかない時、そこにどんな要因があるのか」と考えたらどうだろうか。得られた安心を、どうしたらもっと学びに向かうことに結びつけられたのか。力のある子たちがぐっと伸びて、それが周囲の子たちにも広がっていく…来年度は、そんな構図をつくっていきたい。ここ、頑張っていこう。

いずれにせよ来年度も「ありのままでいいよ」と「ありのままではよくないよ」の間を行ったり来たりしながら、試行錯誤していくんだろうな。僕がここに書いたのは、きっとどこの学校にもある、非常にありふれた、泥臭い悩みのはず。僕も教員のひとりとして、このチャレンジングな課題に、来年度、ぐっとふみこんで取り組んでいきたい。

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2 件のコメント

  • いつもブログ記事ありがとうございます。読書メモもそうですが、特に素晴らしい実践とリアルな振り返りが刺激になっています。

    久しぶりにコメントします。

    その二つバランス探し、外国語でも共感します。

    私も答えはありませんが、

    「君がなりたい、ベストのキミは?」

    という対話と動機づけ成長と

    「じゃ どうやって?」

    という話し合いと伴走をしつつ

    「不自由を強制」する事で生まれる子供の知恵もすごいと思います。

    日曜に見た熊本教育大の外国語の実践で、低学年のために「低学年生が主人公となっている」本をリアル写真付きで高学年が紙媒体でつくって、朗読していました。

    めちゃ楽しそうで、改めて audience と purpose って教員として企画を提示しなきゃ と思わされました。

    しょうもないコメントですすみません。

    あまり量を書く気がない児童 火がつくといいですねー

    • コメントありがとうございます! audience と purpose 、そうですよね。それが本人のものになっている時に、ぐっと本気になって力がついていきますよね。書くことや読むことが嫌いで、それ自体がゴールになりにくい場合、何か別の、その子にとって本気になれるゴールに向かっていくときに読み書きが助けになるような文脈を作れたらいいなと思うのですが、それがなかなか難しいのですよね…。でも、ヒントをありがとうございました!