今週火曜日、井上太智さんの授業を見学してきました。下記の雑誌を読んで以来、ぜひ見学したいと思っていた授業です。お誘いくださった石川晋さんをはじめ、奈良県の小野さん、大阪府のとよてつさん、学芸大学の院生さん、後藤健夫さんと一緒に見させてもらいました。授業は1・2・3・5・6の合計5コマ。全て理科。ふだんはなかなかない体験です。
実は今回の個人的テーマは、自分の授業を見る目を育てること。僕はもう中堅のくせに実は授業を見る目にとても自信ない…。今日は5コマ見学したのだけど、所々、石川さんに授業の見方のイロハをレクチャーしてもらいながらの見学でした。
目次
自分のクセを自覚して、自分を広げる
今回の授業見学を通じて、まだまだ自分に足りないなーと思うのは、次のようなところ。
- 自分の関心は、すぐに「個人の/個別グループの」「学んでいる内容」に行ってしまう。コンテンツに意識を向けがちなクセを自覚すること
- まず全体の傾向を押さえて、そこから個々の特異点を見るように意識すること。全体から細部へ。
- 価値判断(評価)をせずに、まずは「そこで何が起きているのか」を見ること
- そのために、会話をしている時の姿勢、距離、体の向き、表情、声のトーンを観察すること
- 目の前の出来事から、その出来事を生じさせている構造を見るよう意識する
- 生徒の人間関係を見る。例えば、共学のクラスなら男女の混じり具合はどうなのか(安心できていないと同性で固まるのが普通)。グループ化、固定化が進んでいないかどうか
- 一時間だけ取り出して授業の良し悪しを判断しない。何時間めなのか、授業者はどういう思いなのか、そういう文脈を知る。
僕はもともと放っておくと人間に興味がいかないタイプなので、「人を見る」ことについては意識的なトレーニングが必要だと思ってる。「お、面白いな」「うーん、つまんない授業…」という眼鏡を通さず、そこで誰が何をしているのかを見る、というのをもう少しできるようになりたいのだ。上に書いたのは、まだまだできてないことばかり。メモして今後精進しましょう。
一日を通して授業を見ることの大切さ
今回、5コマも連続して授業を見たこと、しかもその4コマは同じ単元の同じ時数だったことはとても良かった。
授業者は変わらないし、生徒に自由に実験やノートまとめをさせるという授業スタイルも変わらない。でも、面白い展開を見せるクラスもあれば、そうでないクラス、見てて「これは苦しいな」と思うクラスもある(あ、また眼鏡を通して見てる…)。
要するに、授業の変数はたくさんあるのだ。何時間目か、前の授業は何だったか、学級担任の先生はどんな先生か…。そういうあたり前のことに気づかされたし、そしてそういう変化があるからこそ、太智さんが一貫して大事にしているものもわかる。それを実現するにはどうしたらいいのかな、という方向にアイデアも動く。これ、もし僕がこの日の3時間目(一番よくなかったクラス)だけ見ていたら、太智さんの授業への印象もまるで変わったものになるだろう。すぐに判断しないためにも、やはり5コマ見ることは大事。
クラスにくっついて見てみたい
そして、見学後の今になって思うのは、授業者に一日貼りつくだけじゃなくて、あるクラスに貼りついて授業を見たらどうなるのかなということ。実は、3時間目のクラスには、最初の20分くらいおしゃべりをしてて全然実験に入らない女子5人グループがいた。教科的にはほぼ「何もやってない、遊んでいる」時間。
だけど、見学者の間では「あの子たちにとってこの時間が今日で唯一羽根を伸ばせる時間なのかも」という話にもなった。彼女たちが実験に入らないのは、「自由にさせる授業構成」のせいだけでなく、「友達とのコミュニケーション」とか「安心して羽根を伸ばせる時間」が足りないせいなのかもしれない。そういうことは、生徒と同じスケジュールで一日を過ごさないと見えてこない。いつか、クラスにくっついて見てみるの、やってみたいなあ(中学校以上だと難しいかな…)。
好奇心に素直でいる姿勢
「今日、何します?」からはじまる授業
そんな風に、うまくいくクラスもそうでないクラスもあったにもかかわらず、太智さんの授業はとても面白かった。特に、彼の授業をはじめて見た一時間目、太智さんが冒頭に「今日、何します?」と生徒に質問した直後は、「うわー、これからどうなるんだろう?」と、とってもわくわくした。しばらく何がおきているか必死で把握しようとしてた。
どうやら、彼の授業では、全何回かの単元の中で特定のテーマや実験例だけ指定されて、その中で実験やノートまとめやら、自由にやっていいのだそうだ。グループの組み方も自由。多くの実験器具が用意されていて、生徒はそれも自由に使える。自分で興味を持った実験をどんどんやって良い。
あるクラスでは、植物の授業から派生して本格的な畑づくりをしていて、びっくりした。彼らは化学の実験をやらずに畑に直行して、畑の世話をする。虫よけやリン酸の多い肥料も用意してて、準備万端。まさに「自分たちの畑」!
オーナーシップがあるから、本気になってる。植物の単元からここまで発展するのって、なかなかないよなあ。こういう方向にのびやかに進んでいくのって、この授業ならではだと思う。全体として「ブレイクスルー前」(石川晋さん)の状況ではあるけれど、このクラスはブレイクの兆しが見えていた。
好奇心に素直でいること
太智さんの授業は、「与えられたものをやって終わり」の生徒にしたくない、学ぶことの天井を教師側が決めたくない、そんなこだわりを感じる授業だった。そして、そういう授業になるのは、たぶん太智さんが自分の好奇心とか気持ちにとても素直な人だからじゃないかな、と思った。
空き時間に話を聞いて面白いと思ったのは、科学の実験の面白さについて、彼が企業や大学の研究者にインタビューをしていること。本物の科学者の実験に比べて、制御する変数の少ない教科書の実験があまり面白くないんじゃないかと気にしていたので、「本物の面白さ」を体験させてあげたい(自分もそれを見て面白がりたい)んだろう。
また、個人的に面白かったのは生徒との関わり。下記本でも太智さんが「カンファランスをしない」ことは強調されていたし、午前中の授業では、生徒が授業と関係ないおしゃべりをずっとしてても全く介入しないで見守っていたので、「徹底しててすごいな。主義なんだろうな」と思っていた。
ところがなんと、午後になると一転して積極的なカンファランスをしていたのだ。たとえば「こっちのほうが軽いのに体積が大きいぞ」と不思議がる2人組の生徒に、「ということは、体積が大きいほうが重いと思っているんだよね」と彼らの観念を言語化した上で、発砲スチロールを手渡す。このへんは「必要な時に、必要なものを手渡す」アトウェルのカンファランスを彷彿とさせる。
後でこの変化の理由を聞いてみると、なんと無意識にそうされていたらしい。「午後のクラスは担任クラスで良く知っているから、関わりたくなるのかも」とふりかえっていらした。このへんのギャップは人間らしくて、素直に面白かったし好感も持てた。きっと、この人は原理よりも自分の気持ちや居心地の良さを大事にできるタイプの先生なんだと思う。自分の居心地の良さに従って動くし、だからこそ生徒の居心地の良さとか、そういうことに気を配れるんだろうな。
『学び合い』っぽくない?
ところで、僕は井上太智さんを『学び合い』の人だと思っていた(上述の雑誌にそう書いてあるので)。で、僕は『学び合い』には苦手意識があるので、そのへん自分がどう受け止めるかということも気になっていた。
ただ、以前に僕がいくつか見た『学び合い』の教室に感じた、「みんな」を押し付けられる息苦しさというものが、太智さんの授業には全くなかった。「みんなが」みたいなことを言う場面は一つもなく、うまくいかないクラスでも、「いろんな日があっていい。一人一人、感じることは違うはず」と、ふだんと全く変わらない穏やかなトーンで語り掛けていた(このくらいのトーン、僕も真似したい!)。
どちらかというと、『学び合い』よりも、以前に見学したKAIさんのライティング/リーディング・ワークショップを思いだしたほどだ(下記エントリ)。太智さんの授業はKAIさんの授業のような安定した感じはないけど、同じ方向だと思う。『学び合い』とライティング・ワークショップは全然違うと思っていたのだけど、このへんどうなのかなあ。
丸一日の見学、勉強になりました
今回は、色々な方と一緒に見学したので、小野さんやとよてつさん、石川さんから、大阪や奈良の「しんどい」学校の様子や、「きれいにノートをとって褒められてきた女子が中2でぶつかる壁」の話もうかがうことができた。自分の勤務校だけだと、わからないこと、できない経験が本当にたくさんあるのだ。
何より、丸一日見学したことで、「良さや悪さを超えて、その授業者が何をしようとしているかを見る」「そこで何が起きているか、ポイントを決めて観察する」「生徒の文脈の中でこの時間をどう感じているのかに触れる」ことへの意識が少しは強まったかな。いや、本当はこういうふうに書くことで定着させようとしている段階なんですが…。今後の授業見学に活かしていきたいと思います。ありがとうございました!