恥ずかしながら…いまさら「お勉強」中です、学校国文法。

40歳もとうに過ぎたこの歳になって、いまさら学校文法の勉強をしています。と言っても、研究的な勉強じゃなくて、恥ずかしながら本当に「お勉強」なんです。こんな中学生用のテキストを使って…(笑) 今日はそんなエントリ。

このままだと大変だ、英語と国語の文法用語…

実は僕はこれまで中高で国語を教えていたにもかかわらず、国文法の授業を真面目にはやってきませんでした。少なくとも取り出し授業には効果がないと思えたし、実際に文章を教える中で、文法を使った授業はしても、文法そのものを中核に扱ったことはなかったのです。生徒時代に受けた授業も、文法のテキストをただやるつまらないものだったし、日本語母語話者としては、「なんのためにやるの?」状態だった記憶しかありません。授業でもやらないので、恥ずかしい話、国語科教員として十分な知識も持っていませんでした。

そんな僕がいまさら勉強を始めたのは、風越学園の英語科スタッフと、一緒にメタ言語能力を高める授業を作っていこう!となったから。教科の壁が低い風越ならではの現象だけど、そんな話になった僕なりの動機は、長野県の公立高校入試に国文法も出題されることと、そして、英語と国語の文法用語の混乱をどうにかしないと、生徒が絶対混乱しそうなことでした。

国語科教員の方は皆さんご存知の通り、英語(学校英文法)と国語(学校国文法)では、同じ文法用語でも、しばしばその意味する内容が違います。例えば「形容詞」は、英文法では名詞を修飾しますが、国文法では動詞も修飾する(形容詞の連用形)、というふうに、同じ文法用語なのにその内容が異なるのです。しかも、英文法も国文法も、学ぶのは同じ中学生の時期。これ、英語と国語がお互いにバラバラに授業やってると、生徒はそりゃあ混乱しますよね….。

それで、この辺をどうしようかと下記の本を読んだり、著者の方と相談したりする中で、「そもそも自分の学校国文法への理解が足りないな。ちゃんと勉強し直そう」となったわけ。

1日20分。ただいま少しずつ勉強中…

今は、中学生が勉強に使う「基礎固め」の本をベースのテキストにして…

その都度、下記の本の該当箇所を調べながら、わかったことや考えたことをテキストの余白に書き込んでいます。

複数の本を参照しながら理解を深めるのはなかなか楽しい作業。学校国文法が採用している文節主義の欠陥もある程度は見える一方で、単純な文の仕組みを理解するには直感的でいいなと感じるところもあります。学校国文法が批判されつつも未だにスタンダードなのも、それなりの理由はあるのかな。ラッキーなことに僕の妻は、国語科教員であると同時に非母語話者に日本語を教える日本語教師なので、「学校文法ではこう説明してるけど、日本語文法ではどうなの?」と聞けるのも嬉しいところ。一日15分〜20分程度の遅々とした歩みのお勉強なのですが、なかなか楽しんでます。本当はもう少し本格的に、下記の本も読みたいところ。とりあえず購入はしておきました。

異言語への寛容さを育てることを視野に

とはいえ、勉強が楽しい一方で、文節主義をベースにしつつ品詞の考えも導入した学校文法の複雑さも同時に感じられて、「単に理解するだけなら日本語文法の方がわかりやすいな…」「実際のところ、中学生でこの文法の体系を理解するのは相当メタな意識が働かないと厳しいんじゃないかな」と思うこともしばしば。当初は、「英語の文法と国文法での用語の問題をどうにかしよう」という意識で始まったこの勉強ですが、これをスッキリ理解してもらうのはなかなか難しいんじゃないかな、という気も。

いっそのこと、その辺はもう受験期に割り切って暗記してもらって、普段の授業では、「主語」「述語」「修飾語」「被修飾語」「時制」など、英語でも日本語でも共通して重要な要素を取り上げて、それぞれの言語での扱い方の違いなどを取り上げた方が、よっぽど生徒のためになるよね、という気になりつつあります。

いずれにしても、国語科と英語科で協力して言葉の力を伸ばす授業を定期的にやるの、かなーり楽しみ。日本語と英語の言葉の仕組みを同時に学ぶことで、自分の言語を相対化して、異なる言語への寛容さを育てることに繋げられたら、まさに「自由と自由の相互承認」を目指す風越らしい授業になるんじゃないかな。その日のために、コツコツお勉強を続けようと思います。

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