風越学園での経験をふりかえる① 他者と働くこと

風越学園を退職し、広島県福山市に引っ越して1週間が経った。この1年間は単身赴任で、家財道具もゼロから揃え、ようやく落ち着いて生活できるようになった。慌ただしく長野県を去ったので、風越学園での体験をゆっくり振り返るいとまもなかった。ようやく落ち着いてきたので、新天地の仕事が始まる前に少しでも振り返っておきたい。

写真は、3月上旬に最後に登った平尾山から見た佐久平と八ヶ岳。平尾山、本当にいい山だった。こんな近くにこんな魅力ある山があるなんて、感謝しかない。『山と渓谷』2025年12月号にエッセイを掲載できたのも、この山のおかげだしね。

「同僚性を築く」ということ

風越学園で僕が得た一番の体験は、同僚と一緒に働く経験だった。退職の日に同僚にも直接伝えたことだ。

僕はもともとソロプレイ気質で、何でも一人で考え、実行したかった。邪魔されるのは嫌だった。だから職員室がなく2人で一つの研究室をシェアする前任校の筑駒の環境が、僕にはぴったり合っていた。「能力の高い個人が、一人一人の役割をきちっとこなし、必要に応じて協力すれば全体がうまくいく」という考え方が、そこでは支配的だったのだ。(しかし、今思えば、当時の僕にはそのように見えていたというだけで、今もう一度筑駒に帰ったら、また違って見えるのかもしれない。)

それが、風越では全く違っていた。なにもかもがチームプレー。僕の専門である国語でさえ、一人で授業することはなかった。これは考えてみると得難い経験だ。他者と一緒に働くとはどういうことなのか、おそまきながら40代にもなって、僕は少しずつ学んでいった。

他者と一緒に働く上で一番苦しかったのは、開校前の2019年だった。当時、外野の人からは比喩的に「4番バッターばかりの打線」と言われたこともあったが(注記すると、僕はこの見方には浅薄にすぎると思っている)、それぞれの現場で実践を積み上げ、それなりに一家言ある人たちが集まり、でも一緒に働く「現場」がないこの年は苦しかった。現場がないと、僕らの話はただの言語化された信念のぶつけ合いになってしまう。当時の僕のコミュニケーションも良くなかった。反省している。

一緒に働く現場を持つこと。他者と同僚性を築く上で、一番大事なのはそれだ。僕たちは友達ではない。仕事の上で場をともにするプロフェッショナルがお互いに関係を取り結ぼうとするとき、そこに必要なのは相手への「敬意」である。だから、その人と一緒に手を動かし、その人の動きを見、その人の声を聞く。そういう作業をなくして同僚性を築くことできない。特に、ある意味でいつもゼロから一緒に授業を作らざるえないテーマプロジェクトは、僕にとっては同僚性を築く練習の場でもあった。十分にできたかはわからないけれど、結果として最後の2年間、同じラーニンググループのメンバー全員が最後まで完走できたことは心から嬉しい。

また、僕の主戦場である56年ラーニンググループ以外で印象に残っているのは、2年目に週1回保育に入ったことだ。自分の武器である言葉が通じない環境に身を投じた時の自己の無力さ、そして幼稚園スタッフの見取り、発想、子供への関わり。前任校の先輩教員たちとはまた全く違う意味でのプロフェッショナリズム。そうしたものに少しでも触れられたことは、僕にとって幸せなことだった。風越は3歳(来年度から2歳)から15歳までの子が通う学校である。そこに関わるスタッフも多様だからこそ、いろんな人と現場を持ち、意見を交わし、相手に敬意を持つことが、今後も続けられたらいいと思う。

保護者・地域の人との関わり

風越学園で「他者との関わり」という点でもう一つ印象深かったのは、同僚以外の人たち、保護者や地域の人たちとの関わりだ。これには、文化的なポテンシャルが高い(ありていにいえばお金持ちが多い)、軽井沢という町の特殊性もあったのだろう。でも、有志の保護者と浅間山の「天命の噴火」ツアーに出かけたり、読書会をしたり、時には詩を作ったりするなんて、これまでの自分の保護者経験ではありえなかった。地域の小学校の子たちもまきこんで「本日和」というイベントをやったことも、軽井沢ブックフェスティバルにスタッフとして参加したことも、地域の書店のブックシェルフ・オーナーにさせていただいたことも、どれも新鮮な体験だった。と同時に、テーマプロジェクトにも、地域の人たちを協力者として積極的に招いた。地域の人たちの力を教育に生かすということを、僕は風越で初めて経験できたのだと思う。(と書いて気づいたのだが、実は筑駒でも地域貢献プロジェクトのリーダーをしていたので、それまでの経験がゼロだったわけではないな…でも、風越での経験は大きかった)。

さて、こうした関わりはとても新鮮だったし充実もしていたが、もちろんいいことばかりではない。大人と子供だって「教師」と「児童」、大人同士だって「教師」と「保護者」、「学年主任」と「新任教諭」のような互いの役割を通して関わった方が、疲れないこともたくさんある。役割演技さえしていれば済むから、精神的に摩耗しない。一方、そうした役割に守られずに関わるということはとてもタフではある。それは理想というよりはチャレンジなのだ。風越は開校当初からそのチャレンジを選んだ。いいチャレンジだと思う。少なくとも、僕はそのおかげで、とてもいい経験をさせてもらった。感謝しかない。

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