風越学園に来て何が良かったかって言ったら、自己理解が進んだことだ。例えば、それまでは筑駒という、自分の育った環境に長くいて、大雑把に言えば似た能力や価値観の人たちに囲まれていたから、自分自身について考えることがあまりなかった。風越に来て、自ずと自分の得意や不得意と向き合わなくてはならなくなった。
安心できる場としての風越
着任早々のPA合宿の離脱(詳しくは下記エントリで…)から始まる風越の風土の一部への違和感は、心地いいものではなかったけれど、その都度自分が何者なのかを教えてくれた。ありがたかったのは、そういう自分を周囲のスタッフが受け入れてくれたことだ。「苦手なことは苦手なままでいい」と言ってくれ、時には、それを揶揄するような言動をした外部の人に、本気で怒ってくれた同僚もいた。ここにいていいんだと思える安心できる場。国語という自分の専門性の枠を出て、さまざまな葛藤や摩擦に出会う風越を、僕は「ホーム」というより「異文化交流の場」と捉えていたし、自分のホームは筑駒以外にありえないとも思っていたのだが、いつの間にか、ホームに感じる安心感を、僕のような者にも持たせてくれたのが風越という職場だった。本当に感謝している。
「ありのまま」の肯定と、「いまのまま」の否定
様々な葛藤の中で、僕の関心の中心にあったのが、教育とは何かという問題だ。このブログの読者の方は知っているかもしれないが、僕は教育には必ず「強制」と「否定」が含まれていると思っている。そもそも強制力なしに子供たちが自発的に学校に来ることなんてありえない。公立私立関係なく僕らは国家権力をスポンサーとして背後に持ちながら、その尖兵として子どもたちに学習を強制している。…と書くといかにも意地が悪そうだが、これは端的な事実である。
また、教育とはなんらかの意味で能力を伸ばすことを志向する。子供の生まれつきの特性や人格を否定するわけではない。しかし、どの子にも個々に応じて何らかの力を伸ばすことを要求する。あなたにはもっと知るべきことがある、あなたは頑張ればもっとできる…それらは言い方を変えた否定形である。「ありのまま」でいるのはいいが、「いまのまま」でいてはいけないというのが教育の本質であり、福祉との大きな違いなのだ。そして、子どもの「ありのまま」を肯定しつつ「今のまま」を否定するのが、教師の大事な役割である。
子どもが自分の「ありのまま」を自己肯定できるという点において、風越学園は本当に素晴らしい。この学校の子たちの多くは自分を好きになって卒業していく。好きになれないにしても自分を受け入れて卒業していく。学力が筑駒生に遠く及ばなくたって、こんな風に自分や他人のことを考えられたら、どこに行ったって立派にやっていける。そう思える卒業生がたくさんいるのだ。
しかしそれでも、僕は子どもたちの力を伸ばしたい教員であったようだ。多様な子たちの「ありのまま」を肯定する環境が、同時に子どもたちが学びに没入し、力をつける環境、「今のまま」を否定する環境になるにはどうしたらいいか。理屈で言えば、前者は後者の基盤となるはずなのに、現実の僕の実力ではそれを両立させることは難しかった。子どもが選べたり、強制力が弱かったりする環境の中で、どうしても人は易きに流れる。110パーセントの力を出さないと力はつかないのに、80パーセントくらいで止まってしまう。「もう少し強制力を働かせられたら、この子はもっと力がつくはずなのになあ」と歯痒い思いも抱えた。この試行錯誤の途中で、満足のいく手応えを得られないまま終わってしまったのが、風越での心残りの一つである。
こう書くと「葛藤しているんですね」と言われることもあるし、実際そうだったのだが、単に葛藤しているだけではだめなのだ。「近年よく使われる「モヤモヤ」という言葉と一緒で、「葛藤」は、そこに安住すべき言葉ではない。葛藤は不安定さを示す言葉だが、一周回ってそういう不安的な言葉に寄りかかって、いつまでも「途上」でいることに満足してしまっては、ただの怠慢なのである。「葛藤」という響きの良い言葉に甘えず、どこかで踏み出さないといけないのだが、その踏み出しができなかった。
「根がインクルーシブじゃないな…」
風越で僕が苦手だったことの一つが、学びの場から逃走しがちな子に寄り添うことである。そこにスタッフの人手が割かれてしまうことに、どうしても僕には抵抗感があった。それは自分の限界でもあったが、何度繰り返しても僕の判断は変わらなかったと思う。20人なら20人、30人なら30人のみんなに同じように関わりたいという気持ちが僕にはあった。特定の子に多くの時間を費やすことは、他の子たちへの時間を減らすことになる。「必要に応じた支援」の考え方からいけば、支援が必要な子に多くの時間を費やすのは不合理ではないのかもしれないが、僕はそのロジックで「普通に頑張っている子」が無視されるのが嫌だったのだ。
結局これは、子供時代の体験に原因があるのだろう。子供の頃の僕は授業が簡単すぎて完全に退屈な子だった。今思えば、筑駒に行くような子と勉強が苦手な子を相手に同時に授業をすることの難しさに思いが至るのだが、当時の僕はそこまで先生を思いやることもできず、ただ授業が簡単すぎて自分の好奇心を満たしてくれないことに不満を覚えていた。
これに関連して、自分の長女が小学生のとき、担任の先生が「誰一人見捨てない」を標榜する『学び合い』をされていた。中学生になった長女がその先生をいい先生だと認めつつも、「誰一人見捨てないと言っていたけど、あの教室で私は見捨てられていた」とふりかえったことがあった。要するに、僕の担任の先生も、長女の担任の先生も、手のかからない優秀な子である僕や長女よりも、時間をかけなくてはいけない子を多く抱えていたのだろう。暇を持て余す優秀な子にみんなのペースにつきあってもらったり、「勉強よりももっと大事なことがある」や「教えることで学ぶ」というロジックで先生役をやらせるのもよくあることだ。そうやって、僕らの望む学びは得られなかった。僕らの主観的には、「見捨てられて」いたのである。
こういう心情について、豊田哲雄さんが別の文脈でfacebookで「強者の傷つき」という言葉を使われていて、「そうか、あの頃の自分は実は傷ついていたのだな」と得心したことがある。その傷つきが今も意識に残っているから、いわゆる「手のかかる子」に教師の意識や時間が多く取られることを、アンフェアに思ってしまう。これまで全くそんなことを自覚していなかったけれど、子供の頃の自分は、実はもっと先生に構ってほしかったのかもしれない。
もちろん豊田さんが看破したように、この傷つきはあくまで「強者の」であって、学びの場から逃走する子はもっと深く傷ついているだろうのに、それでも自分の気持ちはどうしようもできなかった。「根がインクルーシブじゃないな」と、風越で僕は何度思っただろう(一方で、本当のインクルーシブとは優秀な子を放っておくことでもないだろうとは思うけれども)。逃走しがちな子に毎回の声がけはしたけど、それ以上は踏み込めなかった。完全に僕の実力不足、あるいは適性不足だったと思う。
かろうじて救いだったのは、風越が学級担任制ではなくチーム担任制だったことだ。僕が受け入れないその領域を他のスタッフが積極的に対応してくれ、僕は代わりに子ども全体を見る形で、スタッフのチームとしてはなんとかやってこられた。同僚に感謝しかない。
風越学園は僕にいろんなことを考えさせてくれた。なかでも、自分が何者かを考えさせてくれた場だった。48歳にもなってようやく自己認知が進んでいるあたり、いかに自分が幼稚な人間だったかということだが、でも、40代でここに来て本当に良かったと思う。筑駒は愛すべき僕の母校だが、そこにいるだけではわからなかった世界に、自分に、たくさん出会うことができた。それが僕にとっての風越だ。
面白い職場です。ぜひチャレンジを!
というわけで、僕は風越で得難い経験をたくさんさせてもらいました。本当に感謝しています。母校の筑駒をやめるはそれなりに勇気のいる判断だったのだけど、風越に来てよかったと心から思う。新任の人もいいけど、学校で一定期間働いた人が風越に就職するの、おすすめ。
ここまでは風越のことだけ書いてきたけど、新しい職場での新しい仕事も楽しみにしている。それはまた4月になったら書こうと思う。ただ、筑駒や風越と違って、どこまで書けるかはちょっとわからないな。ひとまずは明日の着任をドキドキしながら待ってます。




コメントを残す