手放すための言葉を持とう。自分の弱さに向き合うことから始まった2023年度の1週間。

2023年度は、予想外の冴えない低空飛行のスタートだった。いろいろな感情の起伏があって、ようやく1週間が終わる。最後には2日連続でタイヤがパンクするおまけ付きで、昨日は帰宅してヘトヘトになって寝てしまった。でも、振り返ってみると、結果としてはこの1週間の始まり方で良かった気もする、と思いたい。そんな最初の1週間の振り返りエントリ。日記みたいに、少しずつ書き溜めたので、あまり脈絡はないし、長文です。

写真は、3月3日に結婚20周年を記念して行った網走の能取(のとろ)岬から見える海岸沿いの流氷。夫婦の思い出の旅でした。

目次

息切れスタートの初日

「予想外の冴えない低空飛行」と書いたけど、思えば前兆はあった。この春休み、『ジェネレーター 学びと活動の生成』という本を読みかけて、でも「コラボレーション万歳、生成万歳、さあ面白がれ!」的ノリを感じてしんどくなって読むのをやめてしまったのだ(この本、第1部の途中で挫折して、その先は読んでない。今回はダメだったけど、評判の本ではあるので、またいつか出会い直しの機会があればいいなと思う)。

そんな、なんとなく落ち込み気味のところに、勤務初日の「出会いイベント」で、新入職の人と急いでコミュニケーションを取らないといけない状況に焦ったのと、周りの楽しそうな声や盛り上がりに全くついていけず、一生懸命に笑おうとするも疎外感ばかり募って、息切れしてしまった。

でも、そうなってしまうのは大勢いるスタッフの中でも自分だけ。他の人はこのイベントを楽しんでいるか、そうでなくても大人として適当にその場に合わせているのに、それがしんどくてできなかった。新入職のスタッフにはいきなり自分のネガティブな姿を見せてしまうし、出会いのイベントを用意してくれたスタッフにも申し訳ないし、いいかげん40代も半ばになったいい年齢なのに…とか、すっかり気落ちしてしまったのが今年度の初日。この日の夜は、風越をやめて母校の筑駒で働いている夢を、久しぶりに見た。

2日目は休暇をとって一人で過ごす

新年度2日目は、場所を別に移してスタッフ全員でのプロジェクト・アドベンチャー(PA)の研修が予定されていた。でも、もともとPAが苦手なことに加え、前日の段階で「もう無理」な気持ちだった僕は、有給休暇をとって、とにかく一人で回復に専念した。近所の山にゆっくり時間をかけて登り、山頂で2時間過ごす。そこから見える景色を、色鉛筆でスケッチして、詩も書いた。2時間の間、ひたすら手を動かしているうちに、心が落ち着いてきて、なんで自分がこうなってしまうのかについての考えも、ゆっくりと浮かんできた。

コミュニケーションへの不安

自分の根っこには、コミュニケーションがうまくできないことの不安があるのだと思う。自分はもともと雑談が苦手だ。風越のスタッフとも、部署が違って共通の仕事がない人とは、何を話せばいいかわからなくてほとんど話せていない。この辺は、友達がいなかった小学生時代から変わらない性格かもしれない。別に仲良くしたくないわけではなくて、「うまくできない」ことへの恐れが先立つので、軽やかに雑談できる人たちをうらやましく眺めている。

相手との間に「仕事」や「議題」のようなトピックがあったり、「国語」「本」のような自分の好きで安心できる領域だったり、「先生ー生徒」「先生ー保護者」のような限定的な役割関係があったりすれば、安心してコミュニケーションできるのだけど、そういうわかりやすい媒介物がなくなった時に、どうふるまっていいかわからず、強いプレッシャーを感じてしまうのだと思う。

風越は、スタッフも子どもも「呼ばれたい名前」で呼んで「先生ー生徒」関係を崩そうとし、保護者とも「先生ー保護者」関係以外の関係を結べる場を作ろうとする学校だ。空間もそうだけど、組織風土も流動的で即興的であり生成的。そういうのを「面白がれる/楽しめる」人が「正しい/良い」とされる雰囲気が風越にあるように、僕は感じている。

でも一方で、僕のパーソナリティはそうではない。固定的な役割関係に限定したほうが安心して人と関われる。だから、自分の「自然」に反したことを、「面白がろう」「楽しむことが大事」と言われても、困ることが結構ある。「面白がる」「楽しむ」は自然な心の動きの結果そうなるものであって、命令形にはできない言葉。楽しめないものを楽しめと言われて無理に楽しもうとしても、演技と内心の乖離に苦しくなってしまう。飲みたくもないのに飲み会でイッキを強いられる感じに近い(僕はそういう場や人にそもそも近づかないので、実際にその経験はないのだけど)。

そんな僕からすると、「役割関係なく、その人と出会う」とか「即興」とか「開放的」とか、そういうのが得意で面白がれる人たちは、正直羨ましい。思えばあの『ジェネレーター』も僕には「コミュ強の世界の本」に見えて、だから自分は読んでてあんなにキツかったんだろうなと思う。

2日目は、そんなふうに自分のことを考えていた。そのうちに、なるほど、だから初日の午前中の「出会いイベント」でもああいう反応になるのか、と自分を理解することができて、前に進める気になってきた。

2019年度の日記を読む

その日の夕方は、庭で一人で焚き火をして、本を読んで過ごした。その時ふと、風越学園開校前の2019年度から一年間ほど、日記をつけていたことを思い出した。2019年度といえば僕が風越に来たばかりで苦しんでいた年だ。その日もちょうど苦しい日だったので、当時の自分の日記を読み直す気持ちになった。

真っ先に読み直したのは、風越の開校準備が始まってすぐの2019年4月の日記。この月の26日、その後の僕の、風越への「アウェイ感」の源泉ともなる、印象に残る出来事があった。この日、チームビルディングを目的にした2日間連続のプロジェクト・アドベンチャーの研修があり、僕は精神的に耐えきれずに初日で離脱したのだ。当時の日記(おそらく、その日ではなく数日後にふりかえって書かれたもの)を読み直してみる。

2019年4月26日(水)

PA研修初日。この日、自分の心と体に起きたことをどう説明すればいいんだろう。最初から立ちすくんでしまった。なんでこの人(ファシリテーターの人たち)にこんなことを言われて、こんなことをさせられないといけないのかというのが、頭では理解していても、感情が納得できなかった感じ。どんどん身体と心がこわばっていって、最後には表情も作れなくなってしまった。最初のアクティビティからきつかったし、ファシリテーターの人に「チームとしてどう変わりましたか?」「どうなりたいですか?」という質問をされると、それだけでこの人たちの想定するストーリーに強制的に乗せられる気持ち悪さが強烈に押し寄せてきて、それなのに笑顔で対応しないといけない雰囲気も嫌で、もう耐えられなかった。午前中でギブアップして見学へ。結局、これまでのPA研修と同じく、PAへの嫌悪感が募る。風越に行くと苦手なことにも踏み出さないといけないなあと思っていたし、覚悟を持って受け止めようというつもりはあったんだけど、結局ダメだったな。午後、ハイエレメントをして盛り上がっている他のメンバーを遠くから見ているのはとても辛くて、それで近くに行ったのだけど、なんだか一層その辛さが押し寄せて、疎外感が募るだけだった。これ以上いたらもう職場に戻れない気もしたので、離脱を宣言。今日1日で、他の人との距離もとても遠くなってしまったように感じる。ほんと、僕にとってこの1日はなんだったんだろう。強烈な、悪夢のような1日だった。

こういう時にも柔軟に乗り切れれば良いのだけど、自分にはそういう柔軟性がないなあと感じる。体に柔軟性がないからかな。そうそう、●●さん(同僚)が、「自分にとって許容可能な別の課題に置き換える」(柱の上を順番を変えるチームビルディングのアクティビティが気持ち悪いと感じたら、身体のしなやかさのトレーニングに置き換える)と言っていたのは素敵だった。●●さん、いつもメンタルが安定しているように見えるのは、そういうことか。今はできないけど、そういうことができたらいいな。他の方もどうしていいかわからないながらも気を使ってくださる様子はありがたかった。▲▲さん(同僚)が誘導して送ってくださる。ありがたい。

2019年4月27日(木)

PA研修2日目だけど、年休を取って○○さん(妻)と過ごす。朝、体が昨日の緊張ですっかり硬くなっていることに気づいて、プールに行き、40分ほど泳ぐ。自分がプールに行きたいと思うなんて、よほどのことだったんだなあと感じる。気持ち良い。その後、○○さんとプール脇の植物園を散策。思ったより広い植物園で、木々や草花に囲まれて気持ちが安らぐ。黄色いレンギョウの花、白いこぶしとモクレン。水芭蕉。もう少し暖かくなったら、また来よう。その後、追分に移動して追分宿の旧中山道へ。以前、□□さん(同僚)に教えてもらった道。駐車場に停めて、浅間神社を見て、それから「油や」のさらしなまりこさんの個展を見る。笑顔のさらしなさん、そしてオギタカさんにもお会いできてよかった。ちょうどこの日が個展の始まりで、PAが無理でみんなからは離脱したけれど、こういう形で風越との繋がりも保ててよかったな、と思う。「油や」の向かいのお蕎麦屋さん「ささくら」も美味しかった。帰宅して少し休んだ後「華かざり」で文章を書いて、落ち着いてきたと思う。夕方、▼▼さん(同僚)が、ねぎを持ってきてくださった。

この4月のPA研修は、もともとその傾向があった僕のPA嫌いを決定づけた出来事でもあったし、風越の中での強いマイノリティ意識が生まれたきっかけでもあった。

ただ、当時の自分がどこまでそこに自覚的だったかはわからないけど、こうやって今読んでみると、この苦しい2日間も、複数の同僚や、風越に縁のある人に支えられていたこともわかる。

2019年の日記を読み直すと、自分の苦しさの吐露がそこかしこにあって、懐かしく読み耽ってしまう。信念の対立、不満、そして無力感。新しいことは何もできていないのに、過去の実績だけで来る、外からの仕事依頼。自分が手放したものが輝いて見え、なんでここにいるんだろうと思う時期もあった。でも、日記を書き続けることでやがて生まれてくる、そこからなんとかして這い上がろうとする気持ち。当時の自分の姿を見ると、共感もするし、その時期を乗り越えて今があることに感慨深くもある。そして、風越の風土と、僕の個人的な居心地の良さのギャップは、今でも基本的には続いているけど、今はそれも含めて「これまでは体験できなかった経験」として前向きに受け止める日々の方が多いことにも、改めて気づく。

参加者をエンパワーするミーティング

そうやって自分の気持ちを落ち着けて、一日置いて4月5日からまた職場に復帰した。ありがたいことに、そこからは、いろんな人に支えてもらって気持ちも徐々に前向きになってきた。

何より良かったのは、子どものケース会議だ。今年の受け持ち予定のLGの子たちには、前任者から色々な引き継ぎを受けている子が複数いて、ラーニンググループのスタッフだけでは個々の子をサポートしきれない。そこで、学校が始まる前に、スタッフで一人の子のことをあれこれおしゃべりするミーティングを開いた。結果、15名以上のスタッフが集まってくれて、その子の課題だけじゃなくて、良いところもたくさん出てきた。その子の次のチャレンジも見えてきた。新年度にその子に会うのが楽しみになる時間だったし、何より、こうして何人ものスタッフで一人の子のことを考えていること自体が嬉しい、とてもいい時間だった。ファシリテーターを務めてくれた校長のゴリさん(岩瀬直樹さん)が「参加者がエンパワーされるミーティングの素晴らしさ」と言っていたが、本当にそんな感じ。僕も、他のスタッフに支えられていることを実感できたな。

このゴリさんの言葉に、風越の開講一年めに派遣スタッフとして来ていた石山れいかさん(現在は公立小の教頭先生)が「風越は実践に手応えを持ちにくく、実践からみんながエンパワーされないから、お互いでお互いをエンパワーしよう」と言っていたことを思い出した。これも今回過去の日記を読み返して出会い直した言葉なのだけど、さすがの慧眼だ。そう、風越の環境は、個人レベルでの実践の手応えを、少なくとも普通の校舎や制度の学校よりは持ちにくい(下記エントリ参照)。

[読書]風越学園の3年間とこれからを考えつつ読む。仙田満『遊環構造デザイン』

2022.12.04

だから、失敗や課題の共有だって、もちろんそれが必要な場面もあるけど、お互いに感謝や励ましを口にしあって、お互いに支えていきたい。雑談や楽しいおしゃべりのできない僕でも、そこは貢献したいと思う。

新しいLGスタッフとの出会い

昨日は、新年度のLGスタッフとゆっくりおしゃべりする時間も、ようやくとれた。これもいい時間だったな。前に一緒に仕事をしたことのあるスタッフも、チームを組むのは初めてのスタッフも、そして新しく風越に来てくれたスタッフもいる。新LGチームのメンバーのこれまでの人生や、ここでやってみたいことを、午前11時から午後3時までかけて、ゆっくりと聞く時間だった。どの人も頼り甲斐があって、これまで歩いてきた人生も、性格も、強みも、関心も、いい感じにバラけている。新年度は「違いと同じを面白がる」をLGの合言葉にしようと話していたんだけど、その言葉通り、このチームメンバーの違いと同じも活かせそうな、いい予感のする日だった。

僕自身も、2日目のPAのチームビルディング研修をいきなり欠席したこともあって、このブログで書いた自分の苦手意識も含めて、率直に話せる時間だった。まさか初対面に近い人にこういうネガティブな話をするとは年度スタート前は思いもしなかったけど、これはこれで良いのかもしれない。いきなり沈んでしまったけど、かえって良いスタートだったと思えるような1週間の終わりだった。

書くことの魅力

この1週間で、自分の性格に改めて向き合うことができた。もう一つ、気づいた大事なことは、やっぱり「書くこと」が自分を支えているという事実だ。僕は小学生の頃は、ひたすら自分の楽しみのために書いていた。寝る前にベッドで何かものを書いてから寝る習慣は、高校2年生の時まで続いた。これは、「作家の時間」につながる自分の原点である。

とにかく親と先生方に感謝。実家から自分の「原点」が届きました。

2019.07.11

原点としての小学生時代を振り返る

2015.05.29

大学生以降になっても、課題のレポートや論文を書く以外にも、詩を書いたり、ウェブサイトに好きな詩を紹介する文章を書いたりした。そして社会人になってからはTwitterやブログを書いている。書くことは、あるときは純粋な楽しみであり、あるときは世界を発見するための方法であり、あるときは心を落ち着かせる薬であり、あるときは自分が何者かを捉えようとするプロジェクトだった。また、そこに意図せずに現れた自分に、のちに意外な文脈で再会することもあった。

今こうして書いているこのエントリでも、書くことを通じて僕は立ち止まり、振り返り、また次に進むエネルギーを得ている。書くことで自分の人生が支えられていることに、今回のことでも改めて気づかせてもらった。だから、やっぱり自分は、何よりもまず書くことの教師なんだな。書くことで自分が支えられていることが、自分の教師としてのエネルギーなんだと思う。

手放すための言葉を持つ

2日目に休んだ日に書いた詩は、とうてい人さまにお見せするものではないのだけど、その詩の中に、こんな連がある。

言葉を持ちたい

持ち続けるためではなく

手放すための言葉を

自分の感情を言葉にすることは、その言葉に自分が囚われる危険も伴う。でも、言葉にすることで、自分の感情に「行ってらっしゃい」と手放すこともできる。だから、手放すための言葉を持ちたい。

風越の校長のゴリさん(岩瀬直樹さん)は、「子どもが困った行動をしたときに「そうきたか!」と言うようにするといい」と言うけど(ゴリさんの先輩からのアドバイスだそうだ)、この「そうきたか!」も、子どもの起こしたトラブルに直面したときに、自分の戸惑いや怒りを手放すための言葉なんだろう。

自分も「手放すための言葉」を持っていたい。そしてブログやツイッター、あるいはプライベートに書くことを通して、自分の感情をコントロールしながら、新しい一年を過ごしていけたらと思う。

 

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2 件のコメント

  • あすこまさん、こんにちは。
    私は教育分野に携わる人間ではないのですが、教育分野の知見や観点がふだんの暮らしにおいても広く役立ちうるという考えから、あるとき邦訳『イン・ザ・ミドル』を拝読し、あすこまさんのブログも折にふれて読ませていただいております。

    大変なスタートとなった新年度・新学期の初週、お疲れさまでした。私がこれまでに読んだエントリを踏まえつつ今回のエントリを読みまして、ある本をおすすめしてみたい気持ちになりましたので、おそるおそるコメントいたします。

    紹介したいのは、ロバート・ムーア『トレイルズ 「道」と歩くことの哲学』で、岩崎晋也さんによる邦訳版が出ています。

    本書のChapter1の冒頭、「道のない原野(ウィルダネス)を歩かざるをえない状況を経験しなければ、道の価値を充分に理解することはできない」といった記述が、遊環構造デザインのエントリにて触れられていた「パワード・スーツ」にも通じるところがあるように、比喩的に、この本があすこまさんの日々の思索に別角度からの光を当ててくれるのではないかと思いました。また、最近のあすこまさんが登山系の本を多く読んでいらっしゃることや「マイノリティ意識」を感じておられることなどからも共鳴する部分があるように感じます。もしご興味がございましたら、是非お手に取ってみてください。

    • ありがとうございます。本の紹介嬉しいです。読んでみます!