暦の上ではもう4月だけど、新年度は明日の3日から。というわけで、今日は「2022年度最後の1日」気分で、今年を振り返ってみるよ。
目次
個別支援、集団づくり…勉強になった2022年度
2022年度を一言で言うと、「勉強になった一年」だった。要因はいくつかある。まず、2021年度から引き続いて小学5・6年生を持ち、小学校高学年の子たちへの理解が少しできてきたこと。そして、その状況で、同僚のあっきー(木村彰宏さん)、もとき(久保元城さん)と56年ラーニンググループを運営できたのが大きい。あっきーはコーチングとプロジェクト・アドベンチャーの視点を、同じくもときは個別支援の視点を持っていた。そして何より、2人とも子どもに対する見方がとても肯定的だった。ラーニンググループの運営で助けられたのはもちろん、教科指導を超えて子どもを理解すること、集団の関わりを年間の見通しを持って意図的に作っていくこと、どの授業でも共通言語を持つことの大切さなど、多くのことを2人から教わったと思う。特に、同じ国語を持ったあっきーは、僕自身の癖や欠陥も含めて言葉にしてくれたので、現在の自分への理解が進んだ一年でもあった(その代表的な例が、下記エントリ)。
もちろんこの2人だけではない。ふりかえると、2021年度に56年を一緒に持っていたむーちゃん(村上聡恵さん。2022年度末で退職)が言っていた話が一年遅れで「なるほど、あの時むーちゃんが言っていたのはこういうことか」と気づくこともあった。2021年秋に来てくれたちょんせいこさんの助言が、今年になってますます存在感を増して、頭の中で何度も浮かんできた一年でもあった。
そんなふうに、2年連続で小学56年生を持ち、その中で色々な人に教えてもらってきたおかげで、中高国語科の僕も、ようやく「小学校(高学年)の先生」に少し慣れてきた。そんなふうに思える一年だった。
2022年度は、国語の授業者としても変化のあった年だった。大きいのは、漢字指導や音読などへの取り組みも始められて、小学生に対する授業の一応の「型」ができてきたことだ。これについてはりんちゃん(甲斐利恵子さん)、山川先生、土居先生、石川さんなどの国語科教育界の実践家や、いつもの勉強会の勉強仲間たちの存在が本当に大きい。僕にとって国語の授業は元気の源なので、そこでの手応えは、国語以外のことに一歩踏み出す上での僕の足場を作ってくれた。
他にも、2022年度は軽井沢町の五校連携を進める立場のスタッフでもあり、ショートショートの交流会をはじめとする交流事業もできた。なんだかんだで、個人としては風越が開校してからの3年間で一番充実感があったな、と思う。
2022年度末の印象的なできごと
そんなふうに個人としては成長実感のある一年だったけど、風越スタッフとして学校のことを考えると、2022年度はなかなか難しい一年でもあったなと思う。ふんばる、って感じだった。そして、2022年度末の3月、3年目を終えたところで、印象的だったことがいくつかあった。
同僚たちの退職
まずは、風越でも退職してそれぞれの道を選ぶ同僚たちがいた。その中には、開校時や開校準備の段階から風越に関わってきたスタッフもいて、僕にはそれがひどく感慨深かった。自分よりも先にこの人が辞めるのか、と驚くような人たちだったからだ。3年とはそういう時期なんだろうか。一方で入職1年目のスタッフたちが頼もしく活躍していて、風越学園の中で「時間」が流れているのを感じる。もう「開校したばかり」ではない。ここに、3年間という時間が確かに流れていることを実感した。
卒業式の記事
その時間の流れを感じさせるもう一つのできごとが、開校時は7年生(中学1年生)だった第1期生、9年生の卒業式だった。それについては、赤木和重さんの「かぜのーと」記事を読んでもらうのがいいと思う。
スタッフでもある僕がこの記事を読むと、文中で何度か繰り返される「子どもたちのほうが,風越学園のことを,よくわかっている」という言葉に無関心ではいられない。自分たちなりに自由を表現した1期生たち。異学年の繋がりを大事にした1期生たち。彼らの方が、風越のことをわかっている。この「ほうが」は、大人との対比を念頭に置いていることを赤木さんは後段で明かして、次のように続ける。
風越学園は,自分たちでつくっていく学校だ。よりかかることのできる明確なモデルや枠組みがない。すると,今のやりかたでいいのか,不安になってきてしまう。そして,迷ってしまって,幅をせばめたくなる。「異年齢よりも学年の幅を狭くしたほうがいいんじゃないか」「1つの教室でやったほうがいいんじゃないか」「勉強ガンガン教えたほうがいいんじゃないか」などと思う(ちなみに,これ,すべてワタクシのことです。あしからず。同時にスタッフ,保護者のなかの心のなかにも,こういう迷いはちょっとはあると思う)。
赤木さんは一応「ワタクシのこと」と断りを入れているが、もちろんこれはスタッフのことでもある。僕も下記エントリで風越が「幅を狭め」てLG制度を作り、「学校化」してきた経緯について書いているが、その動機は大人の迷いそのものだ。もっとも、一年目の風越が義務教育学校として学力面で心配な状況だったのは僕も認めざるを得ないので、迷うこと自体が悪いこととは思わないのだけど。
書籍『みらいをつくる』
第1期生の卒業に際しては、もう一つ印象的なことがあった。彼らの卒業を祝して、開校からこれまでの「かぜのーと」の記事を抜粋した書籍『みらいをつくる』が1000部限定で刊行されたのである。真っ黒な表紙に「みらいをつくる」というタイトルが1000通りの文字でデザインされた本だ。僕もスタッフということで一冊をもらい、今週、ゆっくりと時間をかけてそれを読んでいた。
過去の「かぜのーと」記事なので、懐かしいものが多い。でも、それだけではなかった。とりわけ、開校初年度や2年目の記事で描かれた風越学園の「みらい」は、少なくとも表面的には今とはだいぶ違うところもあった。卒業生の子たちがインタビューに答えて「こうだったらいいな」と風越の未来について語っていることのうち、いまどれほどがその方向に向かっているだろう。ページをめくりながら考え込んでしまうことも少なくなかった。
あの頃の「みらい」に僕らは立っているか?
「じっくり ゆったり たっぷり まざって 遊ぶ 学ぶ 「 」になる」学校。余白のある学校。子どものやりたいことを中心に置く学校。自由な学校ではなく、自由になるための学校。自由と自由の相互承認の感度をはぐくむ学校。そして、子どもも大人も作り手である学校。それらの理念を掲げて出発した軽井沢風越学園は、この3月末で、開校して3年めを終えた。点は3つになり、線がその3つの点を繋いで、時間の流れを確かに感じさせるようになった。試行錯誤はもちろん今も続いているが、そこにも連続性や変化の軸が見えてきている。
だったら、やっぱりこれからの僕たちスタッフは、自分にこう問わなければいけないだろう。その連続する道の先に、開校の頃に描いた「みらい」はちゃんとあるのかということを。
2022年度の末、赤木先生の卒業式の記事を読んだり、『みらいをつくる』を読んだりしながら、僕の中ではっきりと形になりつつある思いがあった。それは、「大人よりも風越をわかっている」第1期生が卒業した後で、もしも彼ら以上に「作り手」意識を持つ子供たちが育たないようだったら、学校としては安定しても、プロジェクトとしての風越学園は「失敗」だろうという思いだ。
例えば、今から3年か4年経ってから、第1期生が久しぶりに風越にやってくる。その時に彼らが「なんだ、風越も普通の学校になっちゃったなあ」とか「自分たちの方がずっと作り手だったよなあ」と思うようだったら、やっぱり風越学園は「成功」とは言えないんだと思う。卒業生にそう思わせちゃいけないし、そうならないように、開校当初に描いていた「みらい」をちゃんと見据えて進んでいくことが、これからの僕たちスタッフの大事な仕事なんだろう。
「あの頃の未来に僕らは立っているのかなあ…」昔、大好きだったスガシカオの歌「夜空ノムコウ」の歌詞に、そんなフレーズがあった。時折、その言葉を心の奥底で自分に向けながら、深刻にならずに、自分と学校の「みらい」を楽しんでつくっていこう。明日から、風越学園の4年目が始まる。さ、いこうか。