詩人・杉本真維子さんの巡回展・講演・ワークショップに行ってきました。

もう一週間前になるけど、詩人の詩人・杉本真維子さんの巡回展・講演・ワークショップが長野市で開かれていたので行ってきました。書かないと忘れちゃうので、今日は手短にその雑談メモ。

詩人の杉本真維子さん…といっても、よく知っていたわけじゃありません、ごめんなさい。現代詩手帖とかではお名前をお見かけしたなーという程度で、僕は現代詩手帖の詩って苦手なので…。でも、数々の現代詩の賞を受賞している詩人さんのようです。長野県長野市の出身で、地元の新聞に大きく案内があったので、せっかくだからと行ってみました。事前に詩集『皆神山』も買って読んだのだけど、「肉屋」という印象に残った詩はあったものの、正直、好きとまではいきませんでした。

余談だけど、詩が好き、といいつつ、現代詩はあまり楽しめないのは、多少の劣等感がないでもないし、なんでも楽しめたらいいよなと素直に思うんですが、でもまあ、好きでないものを無理に好きになることもないかな、と。理屈では受け止められるんだけど、素直に好きじゃない、みたいな感じなんですよね。自分が好きなのは、上田敏とか中原中也とか堀口大学とか、10代後半から20代前半にかけてはまった作品になっちゃいますねえ。その頃から現代詩手帖系の現代詩は苦手だったので、詩よりも「うた」が好きなのかもしれないな、とも思います。

詩の展示の仕方、素敵でした。

でも、この巡回展、行ってよかったです。詩の見せ方がとても素敵でした。壁に布をつりさげたり、立方体の箱の上に文字があって中からライトで照らされたり、イーゼルに飾られたり….風越学園でも、アウトプットデイや日常生活の中で、こんなふうに子どもたちの詩を素敵に飾れたらなあって思いました。

講演とワークショップで印象的だったこと

講演とワークショップも面白かったです。講演は、杉本さんの詩を書く方法が興味深かった。自分の過去の体験がたまってその記憶から詩を書くことが多いようですが、それだけでなく、死者の言葉や、心が癒えていなくて言葉にならない感情を、言葉にならない言葉として、でも私自身の言葉で書くんだ、ということをおっしゃっていて(正確な言い回しではありません)、それって他者の言葉に憑依する感覚なんだろうか、とか、ある人は他者の経験を取材してノンフィクションにしたりするけど、杉本さんはそうではなく詩の言葉にするのかなあって思いながら聞いていました。

ワークショップは、落花生を観察して書くワークショップ。30分くらい、落花生を見て詩を書いて、あとは杉本さんがいくつか講評する形式でした。落花生っていうのが、見た目の特徴もあって面白かったな(みかんと悩んだそうです)。その後、20名の参加者のうち3分の1くらいの方の作品がとりあげられて講評される形式。このとき、僕の作品は(一緒に言った妻の作品も)端にも棒にも引っ掛からなかったんだけど、「選ばれない」ってことが、心に影を落とすなあということも、正直言って感じたかなあ。だから、自分が授業で子どもたちに書かせるときには、やっぱり「選ぶ」ってことには慎重であろうと思った。でもまあ、この日はせっかく詩人の杉本さんが作品を読んでくださるのだから、そんな学校みたいなことをしなくてもいいよね、とは思います。

エッセイ集『三日間の石』がとてもよかった…!

後日談。この日の巡回展で読んだ詩よりも、それに添えられた散文のほうが僕には魅力的で、なかでも「不思議な国の五組」という、過去に教わった先生を回想するエッセイがとてもよかったんですね。それで、amazonですぐに買っちゃいました。もういまは古本しかないのかも?

で、届いて早速読んだら、本当に良かったです。いずれも「図書新聞」に連載された短いエッセイが中心なんだけど、冒頭の「校門の前の黒いマント」からもう引き込まれてしまって。詩と同じく、過去の記憶をすくいあげて見つめ直す作品が多いかもしれないのだけど、ちょっとうっとりして読んでしまいました。考えてみると、僕にとって現代詩の書き手って、詩は好きじゃないけどエッセイは好き、みたいな傾向がある気もします。この距離感はいったいなんなのだろう? でも、ほんと良かったです。ご一読をおすすめします。

 

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