先週の木曜、軽井沢風越学園の同僚・KAIさん(甲斐崎博史さん)とあっきー(木村彰宏さん)に講師を務めてもらった、プロジェクト・アドベンチャー(以下「PA」)を学ぶ会、軽井沢AITC(Adventure in the Classroom)が、一年間全18回の最終回を迎えた。これだけの長期にわたる企画を自分で運営したのは初めてだったのだけど、良い経験だった。この会については2月にも書いたばかりなので重なる部分もあるが、ここに一年を終えてのふりかえりを書いておきたい。
目次
PAとの距離感
僕は自他ともに認めるPA嫌いである。もともと非言語系の身体を使って表現するアクティビティに抵抗感が強いのに加えて、以前はPAを「コミュニティをつくる」手段、例えば学級担任がクラスをつくる手段としてとらえていたこともあって、そこに内在する「人間関係を操作しようとする傲慢さ」がとても嫌だった。僕はどうも、自分の内面が操作の対象となることに忌避感が強く、「簡単に人に理解されてたまるか/操作されてたまるか」という天邪鬼な気持ちがあるようだ。
また、同じく根っこの問題を書くと、コミュニティへの違和感・なじめなさも、僕の中にはずっとある。これは僕自身の問題なのだが、簡単に言うと、僕はいわゆる「陰キャ」タイプで、人とコミュニケーションをとるのが、あまり上手ではない。にぎやかで明るい場はそれだけで苦手。これが、コミュニティ重視の風越での僕のつかずはなれずの立ち位置というか、アウェイ感ともつながっている。2023年度の最初のスタッフイベントでも、あふれる楽しげな笑い声に精神的に疲れてしまって下記の記事を書いたことがある。そこには、2019年度の風越での最初のPA研修でリタイヤした時の日記も転載したが、これを読むと、僕にとってPAがどんなに悪印象だったか、わかってもらえると思う。
あっきーとKAIさんのこと
そのPAをもし学ぶとしたら今しかないな、と思ったタイミングが2023年度だった。直接のきっかけは、その前年の2022度にあっきーと一緒にLG(異学年ラーニンググループ)を組んだこと。あっきーがLGのコミュニティづくりにPAを活用し、大きな効果をあげていたのである。あっきーと組んで一ヶ月もたたない4月末に、はやくも「自分は人間関係づくりについて学ぶ必要があるな」というエントリを書いている。
また、それとは別にあっきーへの個人的信頼感が大きかったのも理由の一つ。去年、僕の国語の授業にサブで入ってくれたあっきはー、僕がどういうタイプの教員が、何が得意で何が苦手かを省察する機会をたくさんくれた。年上の、しかも風越では「国語の専門家」的に見られがちな僕に対して、まっすぐにフィードバックをくれる人はなかなかいないのだ。
もうひとりの講師・KAIさんは、風越で独特の存在感を放っている尊敬する同僚である。一般にPAというと「寄り添い」型の教員が好む印象があったのだが(今の視点で補足すると、これは僕のPAへの「クラスの関係性づくりのためのもの」という表面的な印象にもとづく予断だった)、僕の興味を惹くのは、KAIさんが決して「寄り添い」型教員ではないように見えたことだ。子どもの見方に入って面白がることもする一方で、風越随一の「つべこべ言わずやれ」「ダメなものはダメ」派でもある。このギャップが面白い。そのKAIさんのPAの背景に何があるのかを、純粋に知りたいと思ったのだ。
また、2023年度はKAIさん定年の年だと最初からわかっていたので、「読書家の時間」や漢字学習プリントなど、もともとKAIさんがやっていることを自分でも取り入れてみようと思っていた年でもあった(それについては下記エントリに少し書いてある)。その延長上に、KAIさんからPAを学びたいという動機も生まれている。
あっきーにせよKAIさんにせよ、苦手なことは、自分がそれを苦手なことも含めて理解してくれ、信頼できる人から学ぶのが一番いい。そして、2023年度はKAIさん定年の年で、あっきーもそう長く風越にいないことを予期していたので、本格的に学ぶなら、タイミング的にも2023年度しかなかったのだ。
「国語におきかえたらどうなる?」
前置きが長くなったが、こうして全18回の講座を終えたいま、ふりかえって、たくさんのことを学べたな、と思う。第一に、僕は国語教師であり、ふつうの意味での小学校教師は目指していないので、別にクラスの人間関係づくりが僕のゴールではない。だから基本的には、PAに参加しているときも、「これは国語の授業に置き換えるとどういうことか」と翻訳をしながら参加することが多かった。
コンテンツよりも、その文脈が大事
一番大きかった発見は、「アクティビティ自体よりも、その文脈が重要なこと。そして、その部脈を組み立てるには、集団に対する見取りがベースにあること」だろうか。例えば、PAには子どもが楽しくなるアクティビティがたくさんある。もちろん、こういうアクティビティをたくさん知ることができたのも良かったのだけど、そのアクティビティの具体を知りたい人には、KAIさんによる、大変すぐれた書籍があるから、それを読んでほしい。ここでは詳述しない。
しかし、KAIさんとあっきーが口を揃えて言うのが、そのアクティビティをいつ、どんな目的で使うかが大事なのだ、ということ。そうでないと、「次はどんな楽しいことやってくれるの?」と子どもを餌をほしがる金魚にさせてしまうだけだという。
同じアクティビティでも、その難易度調整・制約・それが置かれる文脈によって、様々な意味合いを持ちうる。例えば、パイプライン(アクティビティの一つ)を、集団の凝集性を高める目的で使うこともできれば、ジェスチャーについて考えてもらう材料として、あるいは議論の際に何が起きているかを考える材料として使うこともできる。それをどう使うかの文脈の設定がキモであり、どんな文脈を設定するといいかは、目の前の集団に対する見取りにもとづいて行われる。この文脈の構成こそが、結局は教師の力量なのだ。
この発見は、当たり前のようで面白かった。同じことばでも違う詩行の中に置かれることで全く異なる意味合いを帯びる。それと同じことである。それを受けて、今年はミニレッスンやオーサーズトーク(共有の時間)のようなルーティーンの活動をやるときにも、「いま、自分はどんな文脈を作ろうとしてこのコンテンツをおいているのか。それはなぜか」を、授業前にちゃんと自分に問いかけてからやることが増えたと思う。
具体的に使ったことあれこれ
もう少し直接的に授業に反映されたこともあった。例えば、最初にT-C(教師と子ども)関係をつくってからC-C(子ども同士)の関係に移行するという流れは、僕の授業冒頭の漢字クイズの年間構成にそのまま使わせてもらった。一番大きいのは、作家の時間のふりかえりの文言を、今年は軽井沢AITCでの学習を受けてだいぶ変えたことだろうか。「コンテンツの振り返り」「プロセスのふりかえり」「自分自身についてのふりかえり」と3つの領域を明示するようにした。また、ふりかえりの文言のうち、特にいいなと思って自分にも取り入れたのは「変化しなくてもいいこと」に目を向けたことだ。学習の場でのふりかえりというと、教師はつい「変化したこと(成長したこと)」を強調して書かせたがるが、「変わらないこと、このままでいいと思うこと」も同じだけの価値がある。そういう具体的な発見をいくつか得られたのは大きかった。
発見の中には、結局まだ試せていないこともある。例えば、KAIさんの「体験の共有」を「オーサーズトーク(作家の時間のふりかえり)」に使ったらどうなるかな?と考えていた下記エントリは、その一例だ。これは来年度どこかで試してみたい。
ファンタジーの設定
また、KAIさんのアクティビティは、常にファンタジーの設定を取り入れたインストラクションから始まっている。「みなさんは魔法の絨毯で旅行をします。ところがそれが故障して…」とか「皆さんは漂流してある島にたどり着きました」とか、そういう設定だ。最初は「ちょっと馬鹿らしいな」と思ったときもあったけど、こういう設定によってスムーズにアクティビティに入れる人も多く、自分自身も、だんだんその設定を楽しめるようになってきた。
それで、「作家の時間」でも「あなたは作家です」というファンタジーを、授業の場に最大限取り入れる試みができないか、と考えている。考えてみると、そもそも、「ファンレターへお返事を書く」という、トミー(冨田明広さん)に教えてもらった実践も、オーサーズ・トーク(執筆途中の作家へのインタビュー)も、そういうファンタジーの構成要素なのだ。こういう要素を、もっと緊密につなげて、「あなたは作家」というファンタジーの世界をつくれないだろうか。そのためには、どんなミニレッスンの語り口がいいのだろう。そんなことを考えている。
人はばらばらの現実を生きている
とまあ、軽井沢AITCでの経験を、僕は国語に置き換えることが多かった。でも、もっと根本的な部分として、「同じアクティビティを、参加者はこれだけ多様に受け止めている」実感を強く持てたことが、結局は今年一番の成果かもしれない。これについては、何度かこのブログでも書いてきた(たとえば下記エントリ参照)が、理屈として「そうだよね」とわかったつもりになっているのと、毎回のアクティビティのふりかえりを通して実感するのとでは、納得の度合いが違う。
僕の授業だって、僕は特定の願いをもとに授業をつくっていても、それを体験する子どもたちは本当にばらばらの現実を生きているのだろう。いくら共通体験をおいても、それが本当の意味で全員共通の体験になることは、原理的にはない。では、どんな体験を真ん中に置くと、それぞれの子どもが、ばらばらでも豊かな現実を生きることができるのだろう。軽井沢AITCの一年間を経て、「中心に置くべき意味のある共通体験ってなんだろう」ということを考えざるを得なくなった。
そして、上のエントリにも書いた通り、他の参加者の反応を通して、それと比較するかたちで「自分はどういう感じ方をする人間なのか」ということについて、より自覚的になることもできた。僕の国語の授業も、結局は僕という一個の人間の心地よさや願いから出発するので、自分について知ることはとても大事なことだ。僕はあっきーにもKAIさんにもりんちゃんにもなれない。もちろん教室という場に色々な子がいて、色々な体験をしているのは事実だが、僕はそれに配慮しつつも、やっぱり僕らしい授業をつくるしかないのである。それを実感し、肯定できたのも、今年の大きな成果だった。
2人の実践者の背景を知る面白さ。
もう一つ追加の話題を。これは学んだというよりも面白かったことだが、今回の講座を通して、KAIさんやあっきーの背景が少し想像できたのも面白かったことだ。まず、比較的初期に納得したことだけど、KAIさんのPAの源流にはOBSがあることを知り、ずいぶんKAIさんへの理解が深まったと思う。KAIさんと「寄り添い型ファシリテーター」の違いには、OBSの思想「若者に意見を押し付けるのは罪だが、経験を押し付けないのは怠慢だ」がある(詳しくは下記エントリで)。「なるほど、KAIさんはこういう考え方を根っこに持っているから、あの場面ではこうなのか」「だからこういうふうにふりかえりをうながすのか」と、様々な場面でのKAIさんの言動を理解する補助線ができた印象で、こういうのは単純に楽しい。
同じことはあっきーについても言える。彼はコーチングやカウンセリングの手法も学びつつ、PAもそれが万能というのではなく、あくまで手段の一つとして使っている。それぞれの理論の共通点や違いも知って、完璧な理論なんてないということを十分に踏まえたうえで、「この場、この時間、この層の参加者、この人数では何が最適か」をその都度判断して、引き出しから最適なものを取り出している印象だ。OBSという一つの原理に貫かれているKAIさんと、コーチングを中心に複数の原理を包含しようとするあっきー、というとやや単純化しすぎかもしれないが、そういう違いが見て取れる。
講座の進め方も違う…!
これはおまけみたいな話だけど、全18回の講座の中には、KAIさんがメイン講師の回もあれば、あっきーがメイン講師の回もあり、その二人の講座の進め方の違いも面白かった。KAIさんは基本的には「まずはやってみろ」派。さきほどのファンタジー設定のように、子どもに実際にするようなインストラクションを、大人の僕たちにもしてくる(ただ、参加者に理屈っぽい僕がいたので、KAIさんとしてはふだんよりずっと理論的な話を先にしていたらしい)。一方、参加者に僕のような教師が多いことを受けてか、あっきーは先に理論的な背景なども話しつつ、ワークの途中に時折メタ的な説明も入れることが多かった。これは、あっきーが大人向けの企業研修なども多く実施しているからかもしれない。
理屈の勝つ僕にはどちらかというと後者のやり方があうのだが、「まずは実際の子どもになって体験する」KAIさんのやり方も、体験から学ぶアドベンチャーの考え方に貫かれていていさぎよい。どちらが良いかというより、同じPAの講座でも、こういう2つのやり方があることが面白かった。これもまた、自分が例えば「作家の時間」の講師をやる機会があったら、どんなふうに組み立てるか参考になりそうだ。
楽しい一年間でした!
さて、そんなふうに面白かったこの一年間の連続講座。それを終えて、自分がPAを好きになったかというと、結果的にそんなことはない(笑)。思ったより楽しめたかなと思うけど、なかにはどうにも固まって対応できないアクティビティもあった。でも、そんな自分に笑って出会いなおすことも含めて、面白い一年間だった。加えて、ここでは詳述しないけど、風越学園を含めた近隣の小学校の先生や、風越学園の関係者、遠くは群馬県から来てくださる方もいて、そういう皆さんと知り合う場になったのも嬉しかったな。楽しい一年間でした。あっきー、KAIさん、本当にありがとう!