[読書]気づけば山の本ばかり。それも「まあいいか」な、2024年8月の読書。

2024年8月の読書記録、いま数え直したらさすがに夏休みらしくというか、ここ最近では断然多い19冊の本を読んでいるのだけど、そのうち実に12冊が山の本だった(笑)最近は興味が国語教育から登山に移ってるな…という感じだけど、でもまあ人生が楽しければそれでいいか。ということで、いってみましょう!

目次

為末さん×今井さんの対談が面白い。熟達における言葉の役割

それでも一応お仕事に関係ありそうな読書を先に書くと、今月一番面白かったのは為末大・今井むつみ『言葉、身体、学び』。スポーツをはじめとした、身体をつかって学ぶ学習と言葉の関係を軸に、言葉と学習の関係について元陸上選手の為末大さんと今井むつみさんが対談をしている本。別エントリでも書いたけど、現役時代のエピソードにもとづいた為末さんの実践知と今井さんの理論知がかみあって、ことばと身体運動や、熟達におけることばの役割について考える格好の入門書になっている。

本書における為末さんの言語化がみごとだったので、本書と関連する『熟達論』も読んでみるつもりだ。

やっぱり名著!「今、ここで」実践のすがた

お仕事関係で印象に残ったもう一冊は、妹尾和弘『私の目は死んでない! 高校生通信《今、ここで》の10年間の記録』である。後述する堀静香さん『がっこうはじごく』でも言及されていた本だが、実は僕も別の仕事上の都合でこの夏に再読していた。

掲載されている高校生の喜怒哀楽や生々しい感情に、改めて新鮮に驚く。ここまで書けるのだろうか。どうしてここまで書けたのだろうか。もちろん、生の声が感じ取れるものを選んだとあるので、そうでないものもたくさんあったのだろうが…。そして、「あとがき」を読んで、大工の棟梁の「毎日木を触っていないと木のことがわからない」という言葉を鏡にして、子どもたちをよく知るために「あなたがいま思っていることを、自由に書いてください」という「今、ここで」が生まれたというエピソードには感激した。書く力を伸ばすとか安心できる場をつくるとかではなく、何よりも教師が子どもを知ることを中心においた実践だったのだ。また、ここで「朝の読書運動」の林公さん(当時市川学園)の名前が出てくるのも興味深い。自由に書くこと、自由に読むこと、それによって自分に向き合い、自ら学ぶ人になること。それが中核にある運動だったのだと、感じ取れる一冊。

僕は筑駒時代に一年間「今、ここで」をやっていたこともあるのだが、その時はどちらかというと創作も含めて、「面白い文章」が多かった気がする。どちらかというと、「今、ここで」よりも「カキナーレ」に近い。改めて妹尾さんの本を再読すると、自分はこの実践の理解が本当に浅かったのだと思い知らされた。

堀静香さんの歌集とエッセイ集

そして、その妹尾実践を今も続けているという、国語教師で歌人の堀静香さん。八月は彼女の歌集、堀静香『みじかい曲』とエッセイ集の堀静香『がっこうはじごく』を読んだ月でもあった。

もともと東京時代の実践仲間でもあったので、「応援購入」的な面はあったのだけど、『がっこうはじごく』タイトルや帯だけ見ると、学校のさまざまな理不尽なルールを糾弾する本のようにも読めるが、決してそんなことはなく、その中にいる堀さん自身への懐疑や揺れがあるのが面白い。また、歌集『みじかい曲』は、恋人(夫)、引っ越し、妊娠…「あの日々」などと、言葉で括られる時にこぼれ落ちるものを丁寧に拾い上げる歌集。一方で「A4方眼レポート用紙」「サンカンシオン」みたいに、言葉の音の面白さが全面に出る歌も好きで、こういうのをもっと読んでみたかったりもする。

今月は超充実。実践にもつながる山の本

中心は遭難本。まずは羽根田さんから!

さて、ここから先は山の本でいこう。この夏読んだ山の本の多くは、実は「遭難」に関する本である。きっかけは7月末に羽根田治『ドキュメント気象遭難』を読んだ翌日に悪天候の乗鞍岳に登ったことで、この時に単独行(ソロ登山)での遭難リスクや引率時の生徒の体調不良リスクをいかに下げるかという興味がわいたのだ。

その羽根田さんの本では、羽根田治『生死を分ける、山の遭難回避術』が万人におすすめできる一冊だ。登山における実際の遭難事例が多々あって、それにもとづき回避術のアドバイスという流れで、1冊持っていてもいいまさに「実用書」。それにしても山で一人で発病(心臓発作とか)したらどうしようもないので、単独行のリスクをあらためて感じる一冊でもあった。

同じ羽根田さんの羽根田治『山はおそろしい』は、ハチやクマの襲撃、上から滑落してきた人にぶつかる、急病、テントの盗難…と、わりとレアな事例を集めている一冊。なかでも、富士山で軽装の登山者を救った大学生2名の行動には感じ入った。自分も何かあったら手助けできる人になりたいが、下手に関わると二次遭難にもなる。この2名が腹をくくって、遭難者を叱らずになるべく寄り添って情報を聞き出し、自分も遭難者も助ける方向に動いたのがすごい。山岳部でのシミュレーションが効いたのだろうな。単独行を繰り返していても経験値はともかく知識はたまらないので、山岳会などできちんと知識や技術を学ぶ必要性を感じた一冊でもあった(で、実際にこのあと地元の山岳会に加入した)。

また、ドキュメンタリーとして迫真の作品が小川さゆり『御嶽山噴火 生還者の証言』である。2014年9月27日の正午前、絶好の登山日和、噴火警戒レベル1の中でおきた木曽の御嶽山噴火。その時にちょうど山頂近くに下見に来ていた山岳ガイドの著者が、そこから生還した記録を、同じく生還した他の登山者のドキュメントを交えて描く。58名死亡、5名行方不明となったあの噴火で生死をわけたものは何か。もちろん「運」という大前提がある上で、少しでも生存率をあげるためにできることを、噴火の教訓として書いた本だ。

僕の地元の最大の山・浅間山がもしこういうふうに噴火したら…と恐ろしくなる一冊。結局のところ色々な可能性を考えて十分に装備を準備できるかと、いざその時に正常性バイアスにとらわれずにすぐに行動できるかが大きいのだろうが、自分にも何ができるだろうか。考えさせられる本だった。ヘルメット、ツェルトは買おう!

最悪の雪山遭難事件、八甲田山死の彷徨

この夏の家族旅行は宮沢賢治と太宰治がメインテーマの東北旅行だったのだが、そこに僕のリクエストで訪問させてもらったのが、199名が死亡という最悪の雪山遭難事件を記念した「八甲田山雪中行軍遭難資料館」である。この事件をとりあげた有名な小説が、新田次郎『八甲田山死の彷徨』で、これは当然のように面白かった。マイナス20度近い中での低体温症の発症と、それによって意識が朦朧とした兵士たちが次々と死んでいく様子は凄惨としか言いようがない。新田次郎、さすがの筆力である。『孤高の人』以来、この人の山岳小説にはまだハズレがない。

伊藤薫『八甲田山 消された真実』は、新田次郎『八甲田山死の彷徨』とは異なり、史実としての八甲田山の雪中行軍遭難事故がなぜ起きたのかを、当時の新聞や軍の報告書、生き残った小原氏などの証言から分析する本。なるほど、たしかに軍の報告が、自分たちに都合の良いような嘘や脚色も交えて書かれていたことがよくわかる。全体的に軍隊に対して辛口で、著者の伊藤氏自身が元自衛隊員で、理不尽な上下関係に苦しめられたのかな?ということもちょっと想像してしまう書き振りでもあった。この本を読むと、遭難事故が人災の要素が強いこともよくわかる。新田の小説とは人物像がだいぶ異なる人物もいて、それでむしろ小説家としての彼の力量に感じいってしまうのだが…。

いつかいってみたい、伊藤新道!

とまあ、登山中心の読書ライフだったこの夏、日帰りで行ったのが大町の大町山岳博物館と、三俣山荘図書室。どちらもとても印象深い場所で、山岳博物館では、北アルプスを中心に近代登山の歴史が概観できる。さまざまな展示品の中でも、若くして遭難死した松濤明が手帳に書き残した遺書はとりわけ印象深く、彼の著作、松濤明『風雪のビヴァーク』をいままさに読んでいるところだ。

一方の三俣山荘図書室は、北アルプスの山小屋・三俣山荘のオーナー・伊藤圭さんが大町につくったカフェである。一回の書峰アルプもとても雰囲気の良い古書店で、まさに山岳の街・大町にふさわしいカフェだ。この三俣山荘図書室については、伊藤圭さんのこちらのインタビュー記事がいい。山小屋だけでなく、街としての山岳文化の復興に関わろうとするオーナーの問題意識が伝わってくる。

この伊藤圭さん、実はかつて僕も読んだ、伊藤正一『黒部の山賊』の著者・伊藤さんのご子息だという。『黒部の山賊』は戦後まもなくの黒部源流地域を描いた、とにかく読み物として抜群に面白いことが印象に残っている本なので、「おお、あの本の著者の」と、ちょっと驚きだった。

その伊藤圭さんは、父・正一さんがかつて切り開いた「伊藤新道」を復興されているのだという。Youtubeなどをみるととてもエキサイティングな道だ。燕岳や蝶ヶ岳、槍ヶ岳などの人気の山が集まる表銀座コースに対して、裏銀座コース一帯の魅力を高めようと努力されているのがよくわかる。

ちなみに、圭さんの弟である伊藤二朗さんも「日本最後の秘境」と言われる雲の平山荘のオーナーをされていて、そこにアーティストを招くなど新しい山小屋像を模索したり、山小屋の抱えるさまざまな問題を解決しようと動かれていて、その様子は吉田智彦『山小屋クライシス 国立公園の未来に向けて』に詳しい。まったく、すごい兄弟である。

こういう伊藤一家のエピソードを知ると、これらの山小屋が点在する裏銀座コースの山々にがぜん興味がわいてくるし、なかでも「伊藤新道」は、ぜひいつか行ってみたい山。そこに行けるように、頑張って経験を積んでいこう。

こんなふうに、とにかく登山方面については実際の行動に結びついたり、新しい目標ができたりと、この夏はとても充実した読書だった。一方で、国語の勉強をほぼ何もしなかったのが反省かな(笑) すでに夏休みも終わって久しいけれど、国語のペースをとりもどしつつ、秋以降も登山本はコンスタントに読んでいきたい。

 

 

 

 

 

 

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