今さら、と言っていいだろう。恥ずかしながら、をつけてもいいかもしれない。野口芳宏『名著復刻・作文で鍛える』を読んだ。初版は35年前の1988年刊行の復刻本である。僕は国語教育者としてつとに知られる筆者の本を読むのもこれが初めてで、「作文教育に興味があります」などと言いながらこんな本も読んでこなかった自分の不勉強を恥じながら、このエントリを書いている。そして、さすがの必読書。とても大事な原則が書かれてあり、作文教育の基本はやはりここにある、と共感するところも多い。作文教育に関心のある人は、僕のブログよりもまずこの本を読むべき。まだの人はすぐにどうぞ。
目次
「たくさん書く」ための原則
本書の主張は要するに一点につきる。「書くことを学ぶには、たくさん書かねばならない」という主張だ。筆者は、それを「完成主義から習作主義へ」「長文主義から短文主義へ」「長時間主義から短時間主義へ」「質第一主義から量第一主義へ」など、多様な評言を駆使しながら、これでもかと繰り返す(p24)。この「●●から●●へ」という二項対立的な断言がキャッチーで良い。このくらいのほうが指導の指針としては役に立つ。
これらのキャッチコピーに、実際のところ僕はほとんどすべて同意する。結局のところ、書くことを学ぶには、日々、たくさん書かねばならない(量第一主義)。生活の色々な場面の合間に(=短時間主義)気張らずに(=習作主義)小さく書くことで(=短文主義、小作主義)、たくさん書くことを確保するのだ。これは、大村はまが作文指導のゴールの一つに「筆まめな人を育てる」ことを挙げていることと通じている。
「たくさん書く」を支える教師の指導実践法
そして、本書が優れているのは、この「たくさん書く」を支えるための教師の指導の指針もまた、明快に示していることだろう。「精読主義から粗読主義へ」「評語主義から評点主義へ」「添削主義からベタ褒め主義へ」などの指導の指針は、極めて明快で、章のタイトル通りに「元気が出る」(第一部:元気が出る作文指導実践法)。
普通の先生が作文指導を持続的に行うにはこうした、無理なくできる指針が極めて大事だ。世の中の作文指導に関心のある教員の多くは私生活の時間を削っても子どもの作品を読んでコメントしたり、自分もまた書いたりしているだろうが、そういう一部の好事家の真似をして実践が続かなくなったら元も子もないのである。
本書では、第一部「元気が出る作文指導実践法」で上記のような基本的指針が示され、第二部以降では初級・中級・上級に分けて、具体的な指導法が書かれている。そこはあえてここでは詳述しないが、指針だけでなくその具体を見たい人は、ぜひ手に取ってみることをおすすめする。
「発見」か「書き慣れ」か?
もっとも、本書の主張に全て賛成かというとそうではない。僕はどちらかというと「一部の好事家」の側の人間なので、本書とは少し違うアプローチを取っている点も、もちろんある。
例えば、本書では書く題材を見つける指導に、ほとんど重きを置いていない(p49)。これは、何よりも「書き慣れ」を目指しているからだろう。一方、僕の実践する「作家の時間」(ライティング・ワークショップ)は、たっぷり書く時間をとることでうまれる時間の余白を前提に、構想から完成までのプロセスをダイナミックに経験することを重視する。中でも、題材を見つけたり、全体の構想を立てたりするプロセス(書く前のプロセス)は最も重視する部分の一つだ。というのも、僕が作文指導で重きをおくのは、自分が表現したいことを見つけることだからである。だから作家ノートを使ったりして、ここを手厚く指導したくなる。
本書はそうではない。題材が見つからないところで苦しませるくらいなら、まずたくさん書いて褒めてやる気にさせることを目指す。「発見」や「表現」よりも「書き慣れ」を重視するのだ。
基本的には作家の時間を信奉する僕ではあるが、このアプローチに頷く面もある。「書くことが見つからない子が出てくる」のは、作家の時間あるあるだ。そのために色々な工夫をするが、完全にゼロにはならない。書くのが苦手な子ほど、アイディアがどうこうよりも、まずは野口氏の主張する方法での「書き慣れ」が必要なのかもしれない、とも思う。
書き慣れの機会をどう作るか?
では、そういう機会をどう作ればいいのだろう。中高では「書き慣れ」につながる性質を持つ実践で、かつ、題材を教師が与えない方法として、深谷純一氏の「カキナーレ」や妹尾和弘氏の「いま、ここで」実践がある。もし自分の授業コマにもう少し余裕があれば、これらの実践は書き慣れの機会確保の意味でも、ぜひやってみたいところ。ただ、週4コマが基本の国語の授業の中で、そこまでとる余裕がないのが正直なところ。ここは本当に悩ましい。
あくまで国語担当者の僕の私見だが、風越学園の場合は、どうしても国語の授業コマ数のそもそもの少なさや、通常の学校ならたくさんあるだろう他の授業でのノートテイクも含めたトータルの時間での「書く時間」の少なさという問題がついてまわる。この悪影響をそろそろ感じつつあるだけに、国語の時間以外でも「とにかく小さく書く、毎日書く」実践を積み重ねる必要を感じている。その際に、本書の野口氏の主張はとても頼もしい指針になる。どうやって「小さく書く」を実現していくか、本書を読みながら引き続き考えていきたい。そして、僕だけでなく、ほとんどの読者にとって本書の指針とその実践の具体例は参考になる。さすが復刻されるだけの名著というべき本だ。ぜひ読まれてほしい。