[読書] 「振り返りジャーナル」のほぼ全て。岩瀬直樹、ちょんせいこ「『振り返りジャーナル』で子どもとつながるクラス運営」

岩瀬直樹さんとちょんせいこさんの新刊「『振り返りジャーナル』で子どもとつながるクラス運営」を読んだ。振り返りジャーナルのコツを豊富な実例付きで紹介してくれている本である。僕は、「振り返りを書く」という作文教育的関心もあって手を伸ばしてみた。

目次

リフレクションの代表的ツール「振り返りジャーナル」

この分野は完全に素人なので確たることは言えないけれど、おそらく「ジャーナルを書く」というのは代表的なリフレクションの手法の一つだと思う。エクセター大学留学中に知ったいくつかのリフレクションのモデルでも、「書く」ことが中核になっているものは多かった。クリストファー・ジョンズの「6つの対話のムーブメント」でも、その最初の段階が「ジャーナルを書く」だった。

リフレクションのモデルを分類する

2016.03.25

対話を軸にしたリフレクションのモデル

2016.04.08

だから、この本の価値はアイデアの新規性にあるのではない。ジャーナルを書くという(おそらく伝統的な)リフレクションの手法を、教室で実践するための便利なパッケージにして紹介したところに価値がある。

「なるほど」なコツの数々

そして、さすが岩瀬さんの実践に基づいているだけに、この本には「なるほど」と思う振り返りジャーナルのコツがたくさん書かれている。

  1. 大きさはB5ノートの半分。5分から10分程度。
  2. 必ず毎日やる。できないときは事前に予告する。
  3. 教師も生徒もジャーナルを持ち帰らない。
  4. フィードバックは短く、簡潔に。40人分を20分で
  5. ジャーナル上で問題を解決しようとしない。

こういうちょっとしたコツを理由付き・実例付きで紹介してくれるので、僕のように振り返りジャーナルに興味を持つ人には、その様子がよくわかってありがたい。

振り返りジャーナルと大福帳の違い

ところで、僕は授業で「振り返りジャーナル」ではなく「大福帳」を使っている。そしてこの両者の違いはなんだろうと思っていた。まあ、言ってしまうと長さが違うだけなのだけど、でも、この違いは思った以上に大きそうだ。

今学期も使うことにしました、大福帳。

2016.09.09

というのも、大福帳は振り返りジャーナルよりも分量がぐっと少なく、書く時間も短い。したがって十分に深まる振り返りは期待できず、僕は大福帳をもっぱら授業に役立つ情報収集や軽いコミュニケーションのツールと割り切って使っている。一方で、この振り返りジャーナルは、書ける分量が多いこともあって、中心はあくまで書き手のリフレクションにある。それに比べると先生のコメントはとても短い。振り返っている子供に、「見てるよ!」とメッセージを送っている感じだ。

「みんなのきょうしつ」とセットの本

それで自然と思い出されたのは、岩瀬さんと中川綾さんの「みんなのきょうしつ」という本だ。

[読書]岩瀬直樹・中川綾「みんなのきょうしつ」

2015.11.15

あの本では、振り返りを書く「岩淵先生」とそれをサポートする「中谷先生」のやりとりが続いていた。中谷先生の返信は「振り返りジャーナル」の教師のコメントよりもずっと長いかったが、それでも、「みんなのきょうしつ」での中谷先生のコメントと、「振り返りジャーナル」での先生のコメントは、その根っこはとてもよく似ている。

それは「私はあなたに興味があるよ」というメッセージを発し続けることなのだ。振り返りジャーナルが「短い、前向きなフィードバック」だけで良いのは、「見てるよ!」と励まされることが、振り返りをする人にとって一番必要な支援だからではないかな。もちろん振り返りジャーナルには、コミュニケーションや情報収集といった色々な役割もある。でも、たぶんその一番重要な役割は「見てるよ」の一言を言うことなのだ。だから、コメントもその一言で良いのだと思う。

もちろん振り返りを支援する立場の人間=教師には、それ以外の仕事もある。本格的な問いかけ。揺さぶり。実際に起きた問題の解決。振り返りを深めるための問いの提示。そして教師自身の振り返る姿を見せること、などなど。でも、それらをなすべき場所は、振り返りジャーナルの上ではなく、実際の教室の場。そこには別の手立てが必要だ。そういった様々な手立てを下支えするものとしての振り返りジャーナルの本質は、あくまで振り返る生徒を「見てるよ!」と励ますことなのだと思った。

そのことが、この2冊の本を読むとよくわかる。共著者こそ違うけど、この2冊はセットだなと感じる。自分でこうやって振り返りジャーナルを書き続けた岩瀬さんだからこそ、振り返りジャーナルの本が出せるのだと思う。この2冊、ちゃんと比べ読みすると、色々と発見がありそう。

自分がこれを書いていたら…

ところで、僕は子供の頃に過剰に先生の視線を意識して先生ウケの良さを狙っていた「優等生」だっただけに、あの頃の自分が「振り返りジャーナル」を書かされていたらどうだったのだろうという思いを抱えながら読んでいた。下手をすると、下記エントリで書いたような「やらされ感のあるアレ」になっていただろうし、ジャーナルでは先生の喜ぶ「ストーリー」の創作に余念がなかったはずだ。

「振り返り」はなぜ「かったるいアレ」になるのか

2016.05.05

そういう、生徒にも先生にも不幸な形にならないようにするには、どうすればいいのかな。それにはおそらく振り返りジャーナル以外の日常のやりとりが大切なのだろうし、振り返りジャーナルのフィードバックの仕方で、ちょっと書く側の気持ちに変化を与えることも大事なのかもしれない。

率直にいうと、「振り返る」こと自体の価値は認めても、「教室という権力空間で、教師が生徒に振り返りを書かせる」ことに対する懐疑が、(おそらく自分の子供時代の経験で)いつも僕にはつきまとっている。でも、臆病であり続けても仕方ないので、これは自分で経験しながら解を探していくしかないのだと思う。

最後にちょっと惜しい点を

ということで、振り返りジャーナルについてほぼ全て書いてある一冊。実践に興味ある方は読んで損なし。ただ、ちょっと惜しいなと思ったのは、振り返りジャーナルを書くことによる生徒の長期的な変化が見えにくかったこと。だから、あえて「ほぼ全て」と書いてみた。特定の生徒の一年間を通したジャーナルの質的変容の分析とか、そういうのがあるともっと面白かったと思う。振り返りジャーナルへの、そんな研究的なアプローチも読んでみたい。

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