小学校3年生からChromebookを使っている軽井沢風越学園だけど、「本当にこれでいいのかな?」という声がちらほらスタッフから出ているのも事実。特に、国語の時間では3年生からChromebookのドキュメントで好んで書く子も増えているのだけど、国語担当スタッフの会議では「小学校中学年までは手書きだけにすべきでは」という意見もある。そんな折、『ペーパーレス時代の紙の価値を知る 読み書きメディアの認知科学』という本を、渡辺光輝さんがfacebookで紹介されていて、これは読まなきゃなーと思っていた。ようやく読んだところ、電子メディアと比べた時の紙の優位性を実証していて、大変勉強になる本だった。
目次
結論は、紙の方がパフォーマンスが高い
筆者たちは認知心理学を専門とする研究者で、この本は読むスピード、集中度、知識や概念の理解、文章の質などの様々な観点で紙と電子メディア(PCやタブレット)を比較したものである。結構専門的な内容もあるけれど、紙って何からできてるの?みたいな超基本的なところから話を進めてくれているので、とてもありがたい。全体をざっと(僕の関心に沿って)要約すると、以下のような内容だ。
- 筆者らは、電子メディアの読み書き体験における利便性を十分に認めている。
- にもかかわらず、スピード、理解度、没頭の度合い、書かれた文章の質などのほぼ全ての実験結果が、電子メディアよりも紙の方がパフォーマンスが高いことを示している。
- この結果を受けて、筆者たちは、教育現場における電子メディアの活用には慎重な立場である。少なくとも、全てを不用意に電子化して取り返しのつかないリスクを懸念している。
読む時の紙の優位性とは?
本書では、読む時の優位性に関して、(1)表示品質、(2)文書操作、ページめくり、コンテンツ操作(ポインティングやなぞり)などの読みの操作性、(3)読書への集中のしやすさ、の3点から様々な比較実験が行われている。このうち、(1)については筆者はさほど差を認めていない。ディスプレイよりも紙の方が読むスピードが速いという研究結果はディスプレイの性能が低かった時代のものだし、透過光が目に悪くて…みたいな話も、客観指標だと大きな差は見られないという。
筆者らが注目するのは、(2)読みの操作性や(3)読みの集中度の大きな違いである。本書では、指定された答えを探す実験、誤字脱字を発見する実験、文脈上の誤りを発見する実験、読書への集中度を測る実験など、様々な実験が行われているのだが、そのほぼ全てで紙の方が優位という結果が出ているのだ。特に文章を移動したり並べたり、異なるページを行き来したり、テキストをなぞったりする「アクティブな読み」をする時には、紙と電子メディアの差は著しく大きくなる。
こうした実験結果はとても興味深い。電子メディア上では走り読みや斜め読みのような「浅い読み」が特徴的で、注意深く内容を理解しながら長時間をかけて読む「深い読み」が発生しにくいことは、僕たちも日々体感していると思う。ウェブサイトの文章は、注意力を必要とせずにすぐに読めるものばかりが増えている。それによって、僕たちの読書スタイルもだんだん「浅い読み」に偏ってきている(これは与太話だけど、子どもの好む本が「5分後シリーズ」とかになっているのも、そういう影響があるんじゃないかなあ…)。
最近個人的に印象に残っているのは、プロジェクト学習でウェブサイトを次から次へと見て調べている生徒たち。横で見ていると探しているはずの情報がそこにあるのに気づかない…みたいなことがしょっちゅう起きているのだ。「ウェブサイトの情報って、読んでるようで全然ちゃんと読んでないんだなー」と感じていた。本書では、こうした実感が実験で裏付けられている感じがする。ウェブサイトは、いくらそこに大量の情報があっても、電子メディアという「読みにくい入れ物」に入ってしまっていて、そこでの情報が読まれないのだろう。
電子メディアと紙のこうした違いは、厚さを感じる、ページをめくる、鉛筆で書き込む、読みやすい角度に調整できるなどの「手を使った直接体験」が、理解度や読み易さに大きく影響するからだという。筆者の表現を借りると、紙は、ただの表示メディアではなくて、「手を使って読む」操作メディアなのである。こうした操作性において、物理的な実体を持たない電子メディアは現時点で紙に遠く及ばないのだ。紙と同じ読書体験を演出する触感フィードバックがなされるデバイスが登場するまで、紙の優位性は当分続きそうである。
書く時の紙の優位性とは?
電子メディアに対する紙の優位性は書く時にも現れる。もちろん、長文が書ける、大胆な推敲が容易…などの電子メディアの優位性もあるのだが、先行研究は、「推敲が容易」という電子メディアのメリットが必ずしも実際には生かされていないことを示唆している。つまり、ワープロソフトを使うと、確かに文章量は増えるし、「良く書けた」という主観的満足度も上がるのだが、実際には直ちに文章の質の向上には結びつかないのだという。筆者らの推測によると、それは、文章作成の初期段階で全体構成などを考えることなくいきなり書き始め、一旦書いたら表層的な修正に終始して大胆な推敲をしなくなることが多いからだそうだ。
これも、実感ベースで良くわかる話である。詳しくは下記エントリに書いたけど、Chromebookで書いている僕の生徒たちにも、僕は構想段階ではまず紙の作家ノートに書くことを極力勧めているし、実際、そういうプロセスを踏んだ方が書ける子は多い。
逆に、文章が書けない子に良くあるのが、毎回促しても作家ノートを持って来なかったり、ノートを「汚く」使うことができなかったりして、いきなりパソコンで文章を書き出そうとして、行き詰まるタイプ。少なくともまだ未熟な書き手たちにとって、作家ノートという紙媒体は、思考を乱雑にメモして構想を組み立てるのに役立つのだろう。
本書では、他にも、講義ノートを取って記憶して事後のテストに備える場合の実験もあった。この場合も、知識を問う問題では有意差がないが、概念理解を問う問題では、パソコンでのノートよりも手書きのノートをとる方のテスト成績が圧倒的に良い結果になっている。これは、パソコンで打つ行為が紙に書くよりも認知負荷が重いために、講義ノートでも喋った言葉をそのまま打ち込む傾向が強まり、結果として概念理解がなされないままになるからのようだ。これも、実感ベースでもよくわかる話。ただのタイピングマシーンだったら、今や音声認識ソフトを使えばいい話ですよね…。
学校教育でどう使い分けるのか?
本書で示された紙の優位性、言い換えると電子メディアの劣っている点は、僕たちが電子メディアに対して持つ疑念を、概ね裏書きするものでもある。おそらく、現時点では電子メディアよりも紙の方が優位性が高い場面が多い。一方で、電子メディアの優位性(膨大な情報を「流し読み」できる、長文が書ける、ちゃんと意識すれば推敲もできる…)も忘れてはいけない。
筆者たちは、教育現場の電子化には極めて慎重だ。僕は(すでにChromebookを3年生から使っている風越学園にいることもあって?)筆者の結論とは少し違ってしまうのだけど、当面、学校教育で必要なのは、紙と電子メディアの優位性を踏まえて、「どちらか」ではなく「どっちも」使ってみる姿勢なのではないかと思う。例えば、電子メディアでだけ文章を読むと、流し読みの癖ばかりついて内容の理解がおろそかになる可能性がある。そういう「大量の情報を流し読みする」読書体験と同時に、紙と鉛筆を使って、線を引いたりしながら精読する体験も用意しないといけない。
また本書の調査結果によると、調べ学習のようなアクティブ・リーディングには、電子メディアではなく紙メディアの方が良いのかもしれない。とはいえ、実際にウェブサイトを見ない調べ学習なんて考えにくいのも事実だ。「それでもウェブは禁止」に踏み切るのも一つの方針だが、そうでなければ「流し読み」をさせない授業デザインを整える必要がある。
書く方でも、「使い分け」を考えることは重要だろう。少なくとも未熟な書き手にとって、最初から最後までパソコンの執筆で完結することは、あまり推奨されないかもしれない。短い文章であれば手書きでもいいし、長い文章を書く時にも、最初は紙の作家ノートで全体の構想を練ってからパソコンへ移るのが良いのではないかと思う。本当は、校正して誤字チェックをする段階でも紙に印刷した方が誤字脱字が見つけやすいのは間違いなさそうだけど、とはいえいちいち印刷する面倒臭さを考えると、生徒たちはやってくれなさそう。
こんな風に、本書での議論を元に、紙と電子メディアをどう使い分けるのか、何を守って何を諦めるのか、色々と考えることができそうだ。学校教育で紙と電子メディアの使い分けについて議論する際に、必ず参照すべき基本書と言えるだろう。おすすめです。