ノンフィクションとの出会い、学校の環境構成、そして「子どもを正しく子ども扱いする」こと。

大変ご無沙汰しております…完全にブログを放置してしまっていましたが、この2週間ほど、色々とあって、心身ともに疲弊しきっておりました。まあ、世の中色々ありますね。今日も特に書くことはないのですが、生存報告を兼ねた雑記ということで。

画像はもはやいつのだという感じですが…笑。たぶん3週間くらい前の、我が家の近所です。過ぎ去った長野の秋は、紅葉が綺麗だったなあ…

いま、読書家の時間はノンフィクション月間

まず授業の話をすると、いま、読書家の時間はノンフィクション月間。12月が終わるまでに少なくとも1冊はノンフィクションを読もうね、と呼びかけています。過去には「10代におすすめの…」と銘打った下記エントリを書いたこともありましたが、真っ先に岩波ジュニアやちくまプリマーを持ってくるあたり、筑駒勤務時代のものとあって、難しすぎましたね。

10代前半にちょうどいい!? 説明・評論文シリーズのブックリスト

2017.05.02

風越学園では、もう少し平易なノンフィクションからはじめて、中2や中3くらいで岩波ジュニア新書に手を伸ばせればいいなあという感じ。いまは、『ちしきのもり』シリーズやポプラ社ノンフィクションシリーズ、くもん出版のジュニアサイエンスシリーズ、青い鳥文庫のノンフィクションなどが僕の視野に入ってきてます。物語に比べるとやっぱり読みにくそうな子もいつつ、一方で新しいジャンルとの出会いを楽しく受け止めてくれる子もいて、まずは滑り出した感じ。ノンフィクションに出会う場面を作るのは国語教育ではとても大事なことだし、今後もどうしたらブラッシュアップできるか、考えていきたい。

授業でも試行錯誤が続く…

とまあ、国語の授業は概ね楽しくやっているのですが、悩みもあります。なんというか、いまいちエンジンがフルに入りきらないというか…。授業開始の集まりとか、集中の具合とか、宿題の提出率とかが、それぞれ「もう少しいけるんちゃうん?」という感じなんですよね。問題というほどではないのだけど、100パーセントにもなりきってない感じ。なんでだろうと色々と考えているのだけど、一つ思いつくのは、風越学園のフリーな環境や授業スタイルは、学ぶ雰囲気を醸成するにはハンデになる可能性もあるということ。壁に囲まれた教室、いつも一緒に学ぶメンバー、個別の机、前方の黒板、授業開始を知らせるチャイム…授業にまつわる様々な道具だてが、風越学園にはありません。こういう「学校的な環境構成」が、生徒のマインドセットを学ぶことに向かわせている可能性を、今は割と大きく考えています。一つ一つは小さいんだけど、これが全部ないと、ボディーブローのようにじわっと効いてくるんじゃないか。もちろん、風越ならではの環境構成が風越ならではの学習を成立させることも多々あります(例えば膨大な蔵書とか)。だから、今の環境を自分がまだ使いこなせてないということかな。まだまだ試行錯誤が続くんでしょう。

子どもを正しく「子供扱い」すること

あと、風越で日々感じるのが、僕はもっと子どもを正しく「子供扱い」しないとなーということ。これまで中高生を相手にしてきたこともあり、そして、中高生はもう立派に大人と対等に話ができる年齢でもあるので、どうしても「大人扱い」してしまう。もともと、そういう風に距離をとって、自分の役割を限定してコミュニケーションを取るのが好きなタイプ、というのもあるのだと思う(下記エントリ参照)。

自分の役割を「教員」に限定したがる傾向について

2020.09.20

ただ、「大人扱い」と言えば聞こえはいいけれど、小学校の先生とはそうであってはいけないのだ、と思う場面にもいくつも遭遇する。だって実際、相手は子どもなのである。大人が相手を正しく適切に「子供扱い」して、そのかわりにその成長に責任を負う覚悟を持つ、そんなコミュニケーションスタイルが、時には必要なのだろう。風越でも、小学校出身の同僚ほど、子どもを適切に「子供扱い」する。中高出身の僕は(と、出自のせいにしてはいけない)、つい子どもに対しても対話的であらねばならないと思い込み過ぎてしまって、その結果として、主に生活面で伝えるべきことを伝えられない。相手を「子供扱い」するというのは、悪くいうと自己の全能感に基づく行為で大変危険なのだけど、その危険を自覚しつつ、「でも自分がこの子たちに責任を持つのだ」とぐいっと踏み込むことが、小学校では必要なのだと思う。ここら辺も、まだまだ頑張りたいな。

というわけで、最近考えたことを徒然に書く雑記エントリでした。

 

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