去年の9月から定期的に通わせていただいた甲斐利恵子先生の教室訪問も、3月12日で最後となりました。中学3年生の最後の単元は「言葉の学び さよならスピーチ大会」。生徒が3年間の学習記録を振り返りつつ、そこにある印象的な言葉を選んで発表をする単元でした。学習記録を積み重ねてきた甲斐先生の授業ならではの最終単元です。
目次
発表会前のあたたかなやりとり
最終単元とはいえ、スピーチの練習はしっかりと。事前に配布した文集をもとに、最初は1分で、次は1分30秒で練習の時間をとって練習させます。これで本番かな?と思ったらもう一度ありました。今度は立ち上がって、前方にいる甲斐先生と目を合わせてスピーチ練習をするように促します。「相手がいるっていう意識でやるんだよ」という呼びかけをしながら、技術よりも身体性、構えを重視して練習させていました。あとで聞くと、飽きさせないように形を変えて繰り返すことを意図しているとのことです。
面白かったのは、こういう本番前の場面でも、甲斐先生らしいあたたかなユーモアに満ちた生徒とのやりとりが随所に見られたことです。本番前に甲斐先生が「これからさよなら…(泣き真似をして)ウッ…さよならスピーチ大会を始めます」「先生、花粉症?」「違うわよ!」という場面。いざスピーチ大会を始めようとしたらICレコーダーを別のものと取り間違えていて、「ごめんねー、1分で戻ってくる!」と甲斐先生が出て行かれることも。そして戻られた時の、「先生、58秒で戻ってきましたよ!」「本当!?」(と走るポーズ)「先生、お若い!」というやりとり。いずれも、先生と生徒が信頼感を作ってきたことがうかがえるシーンでした。
生徒の選んだ言葉たち
そうした和やかな交流を経て、さよならスピーチ大会へ。名前順に、生徒が一人ずつ出てきて、自分の印象に残った言葉を読み上げながら、それについてスピーチ。聞いている生徒は発表の後に自分の文集のその生徒のページに、一言のコメントを書き込みます。後で「文集ぐるぐる」という回覧をするためです。
「俯瞰」「誰にコメントしても通じることは、誰にも届きません」「物語は終わっても、僕らの人生は終わらない」「披瀝」「書いて味わってみましょうか」「前の自分より今の自分」「good来た」…生徒たちが選ぶ言葉は、授業中に教わった熟語だったり、甲斐先生の言葉だったり、詩の一節だったり、同級生の言葉だったり。それぞれに選んだ理由があり、物語がある。それを共有し、クラスメートから拍手とお別れの言葉をもらう。そういう時間が穏やかにすぎていきます。
一人一人と甲斐先生のやりとり
「書いて味わってみましょうか」という甲斐先生の言葉を選んだのはKくん。9月の授業観察から見違えるように成長した生徒でした。将来、俳優の夢を志して専門学校に進むという彼にとって「書いて味わう」という甲斐先生の姿勢は、演じて味わうことともつながるのでしょう。甲斐先生もにこにこして彼を見守っていました。
一年生の時は周囲と対立するエピソードが満載だったというNくん。当時の座右の銘「俺がよければ全て良し」を選んで皆の笑いを取ります。やや照れて笑いに紛らわせながら「人間生活を送る中で大事なのはコミュニティで、人と人の関わりが幸せであることが自分の幸せにとって大事」と述べる姿に驚きました。Nくんってこういうことを言う人だっけ?
「感情がこもっている」という言葉を選んだSさん。発表の最中に「最後まで諦めないで…諦めないで…」と言葉に詰まった時、後ろを振り返って甲斐先生と目を合わせるのも素敵でした。なにやらそこで、二人だけの会話が行われているよう。
甲斐先生は発表する生徒をずっと後ろから笑顔で見ています。それは、後ろから、見えないはずのその生徒の目をみつめているようでした。発表生徒は、他の生徒にも発表しているだけでなく、甲斐先生にも発表して、きちんと受け止めてもらっている。こうして、一人一人との別れを迎えているのだなあ…。「皆との別れ」ではなく「一人一人との別れ」なのが、甲斐先生らしい。
「一人では学べないという経験を持って卒業することの大切さ」
僕の見学も今回で最後。授業後には「甲斐先生の授業では、言葉を学ぶ先に何があるんですか?」というストレートな質問をしたところ、次のような会話がありました。
甲斐先生「何を一番力を入れているかと言われると選べないかもしれないんですけど、言葉を知っているといかに自分が豊かになるか…ものの切り口が見えるというか…」
あすこま「その中で、他者とつながるということを重視されているような気がするんですが…」
甲斐先生「ええ、それはもちろん…他者の中で生きる人…自分を豊かにするのも、他者との関わりですから…」
今思うと、ここでの僕は「自分の作文の授業=自己を掘り下げる方向」「甲斐先生の授業=他者とつながる方向」という図式にとらわれていて、やや誘導的な質問をしています。この後、同席していた別の先生が「甲斐先生の授業は、内部を掘り下げて根をはって、そのぶん枝も外へ行く感じ」と言って、決して二項対立に収まらないことを指摘してくれましたが、そういう単純な図式を設けたくなったのは、自分の授業と比べて、甲斐先生の授業に「他者とつながることの大切さ」を気づかせる機会が多いからでしょう。
甲斐先生は、「一人では学べないという経験を持って卒業することがとても大事」ともおっしゃっていて、甲斐先生の授業ではそれが言葉の授業ときちんと結びついていることが、「国語の教育」でもあり「国語を通じた教育」でもあるゆえん。自分の授業は果たしてそうなっているのかなと思ってしまいました。
甲斐先生が、三年間育ててきた生徒たちとどういう別れ方をするのか。その場面を見られたことは貴重でした。これで9月から続けてきた甲斐利恵子先生の授業見学も一区切り。感謝の言葉しかありません。もう一回だけ、授業見学のまとめのエントリを書きたいと思います。