今日は土曜日。ICU(国際基督教大学)で開かれたヨネ・ノグチ学会にお誘いいただいて、彼の詩について発表してきた。「学会」とは言ってもこじんまりした勉強会スタイルの会。下記エントリに書いたように、僕は大学時代にはヨネ・ノグチ(野口米次郎)に興味を持っていたので、近年進展が著しいノグチ研究の現場にいる皆さんの会にお誘いいただけたことは素直に嬉しかった。
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今回、僕が発表したのは彼の散文詩集The Summer Cloudに掲載されていた一篇。資料を新たに探す余裕は到底なかったので、手持ちの蔵書や近くの大学図書館にある蔵書でまかないつつ、あとはとにかく暇を作って彼の詩を読むしかない。この時期は学校の仕事が忙しくて、力を尽くしたとは言いがたかったのだけど、選んだ詩の魅力に自分なりに光をあてることはできたかなと思う。その後の議論のきっかけを作れてよかったし、参加者の方々にも分析が良かったとお声がけいただいて、ほっとした。
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考えてみたら、野口米次郎の詩をめぐって複数の人でディスカッションするという経験、はじめてだった。そして、久しぶりに読んだ彼の詩は、面白かった。なんだかよくわからないけど、不思議な魅力がある詩。その魅力はなんだろう。それを言葉にして確かな手触りを得たくて、ひとつの詩について他の人と話をするのは、楽しい。短い時間で、詩の魅力が開かれていく感じ。読書会の愉しみが、詩ならとても短い時間で味わえるのだ。In the Middleでナンシー・アトウェルの言う、詩を “unpack”するってこういうことかなと思う。
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そして今日、いちばん印象深かったこと。たまたま僕の隣の席に比較文学研究の泰斗・亀井俊介先生が座っていらした。1960年代から、外山卯三郎さんと並んで野口米次郎研究の黎明期を支えてこられた方で、もうかなりのご高齢である。おそらくその場にいる誰よりも文学に詳しく、誰よりも野口の詩を読み込んでいる方なのだけど、その亀井先生の手元をちらっと見たら、なんと今回の会で扱う予定だった詩について、すべて原稿用紙に全訳を作成して臨まれていたのだ。
ああ、違う。やっぱりこれが研究者。自分には足りないものを教えてもらった一日でもあった。