[読書] 学校図書館の課題の源流がここに。今井福司『日本占領期の学校図書館』

探究型のプロジェクト学習や国際バカロレアというキーワードが踊る最近の教育の世界なのに、なかなか学校のカリキュラムと関われない学校図書館。個別には頑張っている学校司書や司書教諭の皆さんがいても、探究の拠点となるべき学校図書館の雇用や予算の状況は厳しいままだ。どうして日本の学校図書館はこうなんだろう? その歴史的背景を考える上で非常に参考になるのが、今日紹介する今井福司『日本占領期の学校図書館』だ。

目次

ルーツはアメリカにあり!日本の学校図書館

日本の学校図書館の制度は、大雑把にいうと第二次大戦直後の占領期にアメリカの影響を受けて構築されている。ということは、そのルーツはアメリカの学校図書館にあるわけだ。この本の魅力の一つ目は、「20世紀前半のアメリカの学校図書館ってどうだったの?」ということが具体的にわかることだ。アメリカの学校図書館というと進歩主義教育と絡んでデューイの実験学校の図(図書館が中心にあるやつ)がよく引用されるけど、僕はそれしか知らなかった。この本では、カリフォルニア・プログラムやヴァージニア・プログラムといったアメリカの学校図書館教育の実際が見られる。20世紀前半ということもあり設備としてはまだまだ貧弱だったアメリカの学校図書館だが、理念は本当に立派だ。例えば、児童中心主義教育を行ったシティ・アンド・カントリー・スクール(1914年創立)での実践を回顧した次の文章を読むと、素直に感嘆してしまう。

明らかにこの種の若い研究者はある種の図書館を必要としており、私たちはそれを備えている。Margaret Ernstのような図書館員とともに、私たちは子どもの実際のニーズに応えた学校図書館を発展させてきた。….9歳の子どもでも若すぎるということはない。彼らが自分たちの望むものを見つけられるよう図書館員は準備し、図書館が彼らのニーズに合致するよう計画されていれば、本の中にある特定のトピックについて研究を始めることが出来ることが分かっている。旅行、教室での議論、教師の読み聞かせは多くの疑問を導き、子どもたちは彼ら自身の好みに応じて、問題を選択し、調査に取り組むようになるだろう。(p.135に引用されたものを転載、強調はあすこまによる)

子どものことを「この種の若い研究者」と呼ぶこの姿勢、いいなあ。子ども主体の探究の場としての学校図書館は、もう20世紀前半にできていたのだ。

アメリカの学校図書館像を受け入れる戦後日本

上記のようなアメリカの学校図書館像は、戦後占領期の日本でどのように受け入れられたのだろうか。それが具体的に描かれているのがこの本の第二の魅力である。GHQによる戦後教育の基本方針を受け、戦後の学習指導要領(試案)の中で学校図書館がどのように位置付けられたか、文部省による『学校図書館の手引』がどのように作られたかという観点で、アメリカの学校図書館が日本でどのように受容されたのかが分析されている。特に、『手引』は、文部省の深川恒喜を中心に、滑川道夫や阪本一郎といった読書教育の著名人が作成に関わっており、とても充実したもののようだ。一度本物を見てみたい…。

『手引』で省略されたもの

しかし、この『手引』についての今井さんの指摘が面白い。『手引』作成の元にしたであろうアメリカの資料と対照しながら分析した今井さんは、次のように『手引』の欠陥を指摘している。まず、『手引』ではアメリカのヴァージニア・プログラムやカリフォルニア・プログラムといったモデルの説明が省略されてしまったせいで、実践者の学校図書館への理解が阻害されてしまった。そしてアメリカの図書館にはあった「カリキュラムに応じた資料の収集」という考えが『手引』では省略されてしまったせいで、占領期の新教育運動と学校図書館が繋がる可能性が断たれてしまった、というのだ。熱心な教員でも図書館に対しての理解が浅い、図書館が学校のカリキュラムから孤立している…いずれも現代に通じる問題だ

学校図書館での優れた実践が「例外」に止まったわけ

この本では、もちろん戦後の学校図書館を舞台にした様々な優れた実践も紹介している。しかし、そうした優れた実践群を読めば読むほど、「にもかかわらずなぜ、これらが例外に留まったのか」ということに意識が向かってしまう。その遠因にはやはり、制度的に「学校教育」と「学校図書館」がきちんと結びつかなかったことがあるのだろう。だから、1950年代の「逆コース」(占領政策の転換)の進行によって学習指導要領や教育界の雰囲気が変わってしまうと、戦後の優れた取り組みも「例外」になってしまう。加えて、学校図書館の運営についても、専任のスクール・ライブラリアンがいるアメリカに対して、日本では教員の中から担当者が決まっており、結局のところ、こうした制度的な不備が、学校図書館における「学校図書館の孤立化」を招いたのだろう。やはり、制度の設計というのはとても大事なのだ。

占領期の学校図書館の限界、そして現在

今井さんは最後に、占領期の日本の学校図書館について次のようにまとめている。

占領期日本に導入されたアメリカの学校図書館は、学校教育に関わるさまざまな問題と密接に関係して理論的な根拠を保とうとする機能体として、各種の学校教育実戦で重要な位置づけを与えられていた。本来であれば、占領期の日本でも同様の状況が起こる可能性はあったはずだが、現実としては学校教育と学校図書館の間に十分な結びつきを得ることはできなかったのである。占領期において結びつきが十分でなかった以上、その後の学校図書館実践において、学校教育の側の無理解が指摘されるようになるのはほぼ必然であったと考えられる。(p316)

この言葉は、占領期の日本の学校図書館の(アメリカ型の学校図書館受容の)限界を指摘した厳しい言葉でもある。しかし、「カリキュラムとの結びつき」や「専任の図書館担当教員」を欠いてしまった学校図書館が、学校教育の中で孤立した存在になってしまうのは、やはり必然であっただろう。どんなに個別には優れた例外的事例があるにせよ、この影響は現代まで及んでいる。

さて、最近はどうだろうか。冒頭でも書いた通り、探究型学習だ、プロジェクト学習だ、国際バカロレアだと、掛け声だけは学校図書館に追い風が吹いている。次の学習指導要領では、その風がさらに強まるだろう。しかし、学校図書館を学校教育に位置づけるカリキュラムや人を含めた制度や予算は、相変わらず脆弱なままだ。このままだと、風が吹いても帆を掲げることができず、そのうちに風向きが変わってしまうということにもなりかねない。風が吹いているうちに、カリキュラムや予算という問題に手を打っていく必要がありそうだ。

中村(2009)との関係は…

なお、今井さんの本の中でも何度も言及されるのだけど、「占領期の日本の学校図書館」というトピックについては、中村百合子さんによる『占領下日本の「学校図書館改革』という似たタイトルの本がある。どちらも同じ問題意識なので後発の今井さんとしては差別化にご苦労されたと思うが、次のように補完する関係になっていて、読者としてはありがたい。

  1. 中村(2009)…占領期の民間情報教育局(CIE)と文部省がどのように学校図書館の制度を設計したか
  2. 今井(2016)…実際にアメリカの学校図書館がどのようなもので、それがどのように輸入されたのか(またはされなかったのか)

ぜひ、両方あわせてどうぞ!

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