「私たちが教える論理が、子供たちが学ぶ論理と同じとは限らない」:アトウェルの人生を変えた失敗とは。

ライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップの教師として実績を重ね、初代のグローバル・ティーチャー賞にも選ばれたナンシー・アトウェル。彼女の主著In the Middleは、1987年の初版から2014年の第三版まで、大きく変化しているが、どの版でも変わらず収録されているエピソードがある。それが、アトウェルが公立中の教師時代に出会った中学二年生ジェフ君のエピソードだ。今日は、アトウェルの教師人生を変えたその一つの出会いについて書いてみたい。

目次

ジェフとの出会い

ジェフ君との出会いは、アトウェルが教師生活3年目にメイン州にやってきた時のこと。転勤先の中学校にいる二年生だったジェフ君は、学習障害を指摘され、文字の認識にも苦労する生徒だった。文を読むときも指差ししないとだめで、自分と自分の兄弟の名前の他は20くらいの単語しかかけないのである。

一方、当時のアトウェルは、その若さにもかかわらず、すでにカリキュラム作りに没頭し、English Journal誌にもライティングの体系的なカリキュラムについての投稿論文を掲載するほどだった。勢いのある若手のバリバリの実践家、といったところだろうか。彼女は、当然自信のあるライティング・カリキュラムでジェフを伸ばそうとする。

アトウェルに従わないジェフ

ところが、ジェフはこれに抵抗する。リーディングでは個別の本を与えられることで伸びていくものの、ライティングに関しては、彼は授業中にずっと絵を書いているばかりで、アトウェルの用意する様々なアクティビティを無視し続けるのだ。家では書くようになっていくのだが、学校では全く書かない。

なぜジェフは学校で書かないのか? アトウェルはその理由について色々な仮説を立てては、一つ一つ「障害」を除こうとする。しかし、うまくいかない。半年後、ついに堪忍袋の尾が切れた。アトウェルのではなく、ジェフのである。

一年の半ばがすぎた頃、彼のやり方を認めない私の様々な指導を受けていたジェフに、ついに我慢の限界が来ました。ある朝の休み時間に、突然、すごい勢いで、「これが僕のやり方なんだ。僕がやることをやればそれでいいだろう? ほっといてくれ」とはっきり言ったのです。あまりの勢いに私はたじろぎ、最終的には、必要な数の作品を仕上げることを条件に、彼に自己流のやり方で書く権利を認めたのです。(p.7)

ジェフは正面切ってアトウェルと対決し、ついに、アトウェルの指示に従わず、自分のやり方を押し通した。そして面白いことに、指示に従わないながらも、自己流のやり方で、少しずつ文字を書くようになっていったのだ。

「私たちが教える論理が、子供たちが学ぶ論理と同じとは限らない」

このジェフ君についてのエピソードを語る第一章を、アトウェルは次の言葉から始めている。

私たちが教える論理が、子供たちが学ぶ論理と同じとは限らない
――グレンダ・ビセックス

その通り、教師があれこれ考えて作った最高のカリキュラムでも、それが子どもにとって最高の学び方になるとは限らない。ジェフにはジェフのやり方がある。それをアトウェルに教えてくれたのが、ジェフだった。アトウェルはこの体験をすぐに消化できたわけではないが、やがて、カリキュラム作りに没頭することをやめ、ワークショップの教師へと変貌していく。

教室では教師も学ぶ

ジェフとの経験で、彼女はもう一つのことを学んでいる。それは、教室という場で学んでいるのは生徒だけではない、ということだ。そのことにはっきりと気づいたのは、ジェフが卒業して2年後、ドナルド・グレイブスの論文に出会った時のこと。

生徒についての文献を読み、ライティング関連の研究やテキストに目を通し、生徒を教える。そのような教師が、実は生徒の学ぶプロセスやライティングについて何も理解しないままだというのも、十分にありえる話である。教師が自分の思い込みから自由になり、ライティング・プロセスのあらゆる段階をしっかり見つめてそれに関わるための環境を、実際に授業に組み込むことが大事なのだ。さもなければ、私たちは同じ失敗を何度も繰り返すだけである。(p.8 に引用された論文の一節)

この1975年の論文を読み、ジェフの時の失敗を繰り返さないことを誓ったアトェルは、ブレッド・ローフ研究科のライティング・コースで学び直すことになる。そして、教師も生徒も教室で実際に書くという、ライティング・ワークショップのやり方に出会うことになるのである。

今日書いたのは、アトウェルが若く、ばりばりの「カリキュラム派」だった頃の話。アトウェルは、ジェフと出会い、そして失敗した。しかし、その時の戸惑いと、その後の決意が、彼女を新たな学びへと誘い、ライティング・ワークショップの実践者ナンシー・アトウェルを生み出すことになったのだ。もちろん、実際にI the Middleを読むとわかるのだが、この後のアトウェルの道も一本道ではない。しばらくはライティング・ワークショップに反発する時期もある。とはいえ、後から振り返った時に、ジェフとの出会いが彼女の大きな転換点だったことは、間違いないだろう。

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1 個のコメント

  • いい話だなあと思いました。
    ジェフ君もアトウエル先生もいいですね。
    生徒が本音を出せることと、教師が完璧であろうとしないこと。
    学びには自分のスタイルがあるし、教師の方も当然学びの伸びしろがあるはず。
    周りの教師も学生もそういう姿にまた学ぶものは多かったんではないでしょうか。