子どもたちの姿に改めて感じる、「ファンレターへの返信」の価値

先週の国語の授業は「作家の時間」のファンレターの返信を書く時間でした。今回のエントリは、下記エントリの続きで、ファンレターの返信について手短に書いてみます。

作文は「どう書かせるか」よりも「書いたものをどう扱うか」が大事。「作家の時間」の出版ウィーク。

2025.02.21
通称「赤床」で寝転びながらもファンレターへの返事を書く子たち。もらったファンレターは、のりで作家ノートに貼り付けます。

嬉しそうに返信を書く子どもたち

ファンレターの返信については、ブログでもこれまでに書いてきました。もともとトミー(冨田明広さん)に教わって2023年度からはじめた実践なのですが、今回やってみて改めて大事な時間だなと思います。たくさん渡されたファンレターを見て、子供たちは「めんどくさー」と口では言いながらも、楽しそうに書くんですよね。「書くの面倒くさいボーイズ」も、おしゃべりしながら書いています。ふだんの「作家の時間」よりも熱心かもしれない。10枚近くもらった子で、時間内に到底書ききれなくて、お昼休みに書いた子もいました。

ファンレターの返信を書くことの意味

前にも下記エントリで書いたのですが、ファンレターの返信を書く実践の教育的効果をあえて言葉にするとこんなことになるでしょうか。

  1. 手書きの機械が少ない風越学園において手書きの機械の確保となる。
  2. 自然な文脈の中で、実用文を書く練習になる。
  3. ファンレターを通して、自分の作品を読み直し、その価値を再認識する機会になる。
  4. 書くことを通して、保護者と子供の間に関係を作る。

たくさんのファンレター! 書くことを通してコミュニティができるといいなあ。

2023.05.12

でも、こういう理屈以前に、もらったファンレターに一生懸命返事を書いている彼の姿を見ると、お手紙ごっこで遊んでいる、字を書き始めたばかりの幼稚園の子たちの姿が重なってきます。アーノルド・ローベルの「お手紙」を持ち出すまでもなく、手紙をもらうのは本当に嬉しいのです。それが書く姿勢に現れています。この返信を書く時間で、彼らは自分の表現が誰かに届いた実感を深め、その喜びを静かに味わい、自分が書き手(表現者)であるという自覚を深めていく。

『君の物語が君らしく』にも書いた通り、僕は書くことの最大の価値を「発見としての書くこと」「自己内対話としての書くこと」に置いています。それは、全く読み手のいなかった「お話」をずっと書き続けた自分自身の子供時代の経験に根ざしている。でも、時間や空間を超えて他の人とつながるコミュニケーションツールとしての「書くこと」の力を、ファンレターの返信を書く場面を見ていると強く感じるのも事実です。この力に背中を押されて、彼らはまた次の創作プロセスに向かうのです。

何よりも、保護者の方に感謝!

この「ファンレターへの返信」は、「出版記念オーサーズ・トーク」と並んで、「作家の時間」の出版後の取り組みの柱。大事に続けていきたい実践です。もっとも、この実践をするには、まず大量のファンレターが子供たちに届かないといけません。風越学園の、「作家の時間」という特殊なカリキュラムに協力してくださる保護者の皆さんには、感謝しかありません。どうもありがとうございます。今回ファンレターを書いてくださった方へ。今週中にはお返事が届くはず。どうぞお待ちください。

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